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共同体のあなたとわたし

今日、カメラの入ったトートバッグを知らないおじさんにおしりで踏んづけられた。
それでめちゃくちゃ腹が立って、怒りを放出した。体格の明らかに違うおじさんに。
今までの自分なら考えられなかった。
自分や自分以外の周りにも愛着がなく、全てがどうでもよかった。
過去の自分は持ち物もお金も仕事も、人間関係も、自分の身体さえも、
幼少期損なった人生をやり過ごすための消耗品でしかなかった。
だから侵害されても怒らないし優しくされても喜ばない。でも求められたいし承認されたい。
でも赤の他人に久しぶりにこんなに怒れた。
おかしいことをおかしいと怒れた。
この怒りという感情を長い間押さえ付けていたからうまい放出の仕方がわからない。
まだその怒りが尾を引いているし、なんなら些細なことでまた怒る。
それでも身体がやっと人間らしく機能し始めた気がして嬉しい。
私はもっと怒りたい。
性別でアイデンティティを決めつけられ差別されること、家族が私を往復ビンタしたこと、父親がいないことを可哀想と言った先生、セクハラしてきた大学の先輩。
もう人生を邪魔されたくないし邪魔したくない。
他人が侵害されてるのも許したくない。

パートナーがわたしとの関係を「共同体」だと言った。
ずっとその言葉を探していた。家族でもなく、よっ友や知り合いでもなく、友人であり、恋人でありパートナーである。

わたしたちは共同体だ。
パートナーだけじゃない。パートナー以外の、わたしの母も、友人も、その他のわたしとゆるく繋がったり離れたりする人も、関わる全ての人が共同体だ。
それぞれ違う人生を持ちながら交わりあう。
そう思うと世間からの謎プレッシャーや嫌な圧がふぅっとどこかにいってしまった気もした。

なにが言いたかったんだろう?

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