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嘆くばかりで見誤りたい

最近、とある議員さんにちょっと怒ってしまった。三重県のひとだ。
そのひとはポリアモリーに対する偏見や差別を助長するような発言をしていて
当事者をおちょくるような投稿をしていた。
そのひとにとっての単なるおふざけは
当事者にはとんでもない凶器になる。
強く強く人間の喉をぐわぐわと押し切る。
それにプライベートのアカウントで
ポリアモリー差別を指摘した人たちを批判するような、すごくすごく個人的な愚痴みたいなものを平気で投稿していた。
その投稿は親しい友達にのみ公開されていて、
わたしもその親しい友達に入っていた。
その議員さんは有名なひとで
一部の団体からはめちゃくちゃに支持されている。
そんなひとがたったひとりの当事者を批判するということがどういうことか、
たったひとりの当事者がどうなってしまうか、
考えるだけで怖いきもちがした。
そして、わたしが親しい友達に入れられている、ということは
わたしは少なからず賛同したり理解してくれると思ったのだろう。
わたしはポリアモリーではないからよかったけど、もしわたしがポリアモリーだったら、
あの議員さんは一体どう責任をとるつもりだったんだろう?
いや、わたしがポリアモリーでなくても、それでもどういうつもりなのだろう?

またその議員さんはこんなことを投稿していた。
「バラつきやすい運動をまとめていく努力が必要だよね」
これも親しい友達にのみ公開されている。
バラつきやすい??
わたしはもともとばらついている。
わたしたちはもともとばらついている。
まとめていく??
あなたに、いったい、どういった権利があってわたしを自分の範疇に収めようとしている??
その時、わたしは、この人の、
この人のコミュニティの、ただの賛同者で
所有物になってしまったのだとわかった。
そんなの嫌だった。たまらなく嫌だった。
今、この議員さんの側に立つ、ということは
権力の構造を強化させることだ。
マジョリティにさらに高い高い下駄を履かせることだ。
そんな高い下駄履いて転んだらただでは済まない。
ポリアモリー差別をする人間は差別者だ!悪魔だ!とか言った話はしていない。人間は不完全だ。
だけど差別を指摘した人間の声を聞く必要はある。そうでなければわたしたちは誰かを一生踏み続ける。
誰かを踏むことを許すのは、自分が踏まれることも許すということだ。
そんなのは嫌だ。
全ての抑圧に無理だと言いたい。
自分の差別意識や特権を指摘されるのは苦しい。頭がガンガンする。
だけどそれを聞かないと一生頭がガンガンし続ける。
最後には痛みに鈍くなり、平気で人間を食べ始める。
「自分のことは自分でやれよ」
「社会のせいにすんなよ、自己責任だろ」
「ほら、結局ヒステリックじゃん、感情的だよね、弱者ってのは(笑)」
うるさい!うるさい!うるさい!
そんなの耐えられない。おかしい。他者をコントロールするな。

結局その事件はなんだか後味の悪いまま終わった。わたしはその後、インスタのノートにこう書いた。
「ポリアモリー差別に反対します」
ただそれだけ。たったそれだけを書くのにも冷や汗をかいて動悸が止まらなかった。
当事者はどんな思いで今回の指摘をしたのだろう。考えただけでも申し訳なかった。
そのあとすぐ、三重の議員さんがノートを更新した。
「ウケる」
これだけだった。もちろんプライベートのアカウントからの投稿だから、親しい人にしか見ることができないようになっている。
次の吊し上げはわたしだ。
しかも嫌な冷笑態度だ。
返すか迷ったけれど、頑張って3日後にノートを更新した。
「全然ウケない。」
そのあと、またしばらくして、今度は議員のアカウントからノートが更新された。
「嘆くばかりでは見誤る」
埒が開かない。それに本当に本当にやりとりがおもしろくなくてつまらない。
こんなの弱いものいじめと変わらない。

しばらく怒りで身体が震えていた。
ぶるぶるわなわなしながら、どうすればいいかを考えた。
ぶるぶるわなわなしていたら、なんだか歌いたくなってきて、
議員さんのそのつまらないマッチョなスローガンめいたものを口ずさみ始めた。
「嘆くばかりでは見誤る!嘆くばかりでは見誤る!嘆くばかりでは見誤る!嘆くばかりでは見誤る!」
そうしていたらなんだか力が湧いてきて、どんどん変でダサい韻を踏み出した。

そのマッチョ態度感じ悪〜
杞憂だとしても立ち止まる〜

どんどんどんどんダサい韻を踏んでいって、気付いたら何度も何度も歌っていた。
これだ!!
と思い、くそダサいラップをストーリーに投稿した。
「嘆くばかりでは見誤る
そのマッチョ態度感じ悪
杞憂だとしても立ち止まる
それが民主主義をつくる
それがあなたにはできる」
もうどうにでもなれ、と思った。
なんとかなれー!(ハチワレの決め台詞)
その後疲れすぎてパッタリと眠ってしまった。

目が覚めると投稿を見てくれている人がいて、リアクションをくれた人もいた。
議員さんも投稿を見ていて、なんだかかなり怒ってるらしいけれど
もうどうでもいいと思った。
このひとの側にいてもなんにもならない、と思ったからだった。

この議員さんの投稿にびっくりするものがあった。この投稿はあまりに腹が立ってスクショしてあるので原文まま引用する。

「これも差別よあれも差別よって
それ正しいんか、ちゃんと考えた??」

県議員様の厳格な発言に、くそダサいラップで返す人間がちゃんとしているわけがない。ちゃんと考えたらもっとカッコよくてイカしたスマートなアンサーを返しているはずである。
ちゃんとしていなくてもNOを突きつけたっていいはずだ。
でも県議員、とか、党の話になると
肩書きやでかいコミュニティになると
それが許されなくなるし
そういったマジョリティ仕草が正当化されてしまう。
「ちゃんと考えた」かどうか重視し、
「差別」かどうかを判断できないと、
扱いの不当さを言ってはいけない。
そうやってわれわれは今まで弱者を踏みにじってきたのだ。
弱者に、言葉を、機会を与えなかったのだ。

わたしはその議員さんや党とはもうあまり密接には関わりたくないけれど期待している。別にわたしのそういった期待に応えようが裏切ろうが知ったことではない。わたしの範疇ではない。わたしは何もコントロールできない。
そしてそれは相手にも言えるのだ。

そう言ったことがあってしばらく体調が悪かった。くそダサいラップを披露するためだけに今までの社会運動のコミュニティから逃げることになってしまったし。
けどそれもいいのだ。
むちゃくちゃだし結構面白いと思う。

先週、広島に行った。そこにもプロテストを続けるひとたちがたくさんいた。
帰り際、昼間の平和公園からコールが聞こえた。

Free Palestine! Free Palestine! Free Palestine! Free Palestine!!!!!

パレスチナに自由を!パレスチナに自由を!未来など存在しない、過去を忘れない、今だけが目前にある。踊って歌って泣いてリストカットして過食嘔吐して、笑って、悩み続けよう!

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