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都会と田舎

都会はすごい。
夜遅くまで電車やバスが走っているし、なんなら地下鉄やモノレールまである。
若者がたくさん居て、金曜の夜は駅周辺が憂鬱になるくらいにぎやかだ。
冬はイルミネーションで街が照らされていて夜も怖くない。
対照的に私の地元はそもそも駅が少なく、あっても無人駅。ICカードは使えない。
バスの本数は年々減っている。
私の地元から都市部に繋がるバイパスができて若者はどんどんいなくなった。私も地元を去った若者のうちのひとりだ。
夜は街灯がほとんどない。
都会には多くの資源、エネルギー、人間、文化や娯楽が集まっているように、私には見えた。

炭鉱で栄えていた地元。
たくさんの朝鮮人を強制的に働かせて栄えた私の地元。
だけどエネルギーが石炭から石油に変わり、私の地元はどんどん廃れていったという。
炭鉱の労働者は吐き捨てられた。
そもそも炭鉱労働者は炭鉱札という通貨で賃金が支払われていたし、その通貨は炭鉱内の売店や炭鉱経営者が指定した店でしか使えなかったという。
現金に交換することは難しく、出来ても多額の手数料が取られた。
そんな資産も技術もなく、消費さえも搾取されていた弱い立場の労働者から炭鉱を奪えばどうなるか。
そんなの誰が考えたってわかる。
それに加えて私の地元には同和地区が多い。
祖父は、かつての恋人が同和地区出身だった故に、両親に反対され、その人とは結婚を諦めたという。

地元には諦めの香りがたちこめている。
生活は良くならない。貧困は連鎖する。文化や教養はお金と余裕のある社会的地位のある人間のもの。仕方のないこと。差別はなくならない。嫌なら地元から出ていくしか無い。でも出ていっても地元の事で、何か言われるかもしれない。出身で差別されるかもしれない。
実際、今でも私の地元自体の柄が悪いと言われ嫌厭される。
実際は高齢者の多い寂れた町だ。
貧困と差別と搾取に塗れた忘れられた町。
幾ら他所から賢いエリートが来て地元の人間を説得しても、昔から住んでいる人間の心は硬い。
実際、地元の若者の中にはなんとか息を吹き返そうと頑張っている人もいる。
だけど長い歴史が地元の人間を足踏みさせる。
暗くて辛くてやるせない負の遺産がある。
この地元には沢山の屍が転がっている。
その面影が見える。
こうやってこの国は田舎を使い捨ててきた。

この前、安川邸に行った。
炭鉱で労働者や住民を搾取し、金を搾り取っただけあって安川敬一郎のお屋敷は広くて綺麗で美しかった。
お屋敷の中にはカフェがあり抹茶や茶菓子を飲み食いすることができるらしかった。
炭鉱労働者の血と汗と涙でできた屋敷で、庭で、優雅に茶を啜るマダム。
その近くで背筋を張り、シワひとつ無いパリッとしたシャツを着て立つウェイターらしき男。
それが私には嫌に感じた。
そこには私の居場所は無かった。

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