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自分を綺麗に見せる事は、最高の礼儀作法!!!

『何故、自分は人を愛せなくなったのか? 』

… これ、よくあるテーマですよね、ドラマとかTVでも。結婚してセックスレスになって、愛を失ったのかと悩んだり。

こういう問題って人によっては重いかも知れませんが、僕的には割とコアな命題です。そして今回、その答えを喜ばしくも皆様に提供できるかも知れません。😁

じゃあ、ちょっと雑談っぽく、ざっくばらんに始めてみましょうか。

押上、東京スカイツリーにて(筆者による撮影日:2022. 01. 01)


… 初めに、僕は意外と「人間、外見だ」と思ってる人です。特に自分に関しては。

昔から恋愛の好みについては、顔はそれほど重要じゃなかったですし、ヨーロッパ経験後もやっぱり変わりません。ファッションもそこそこ普通なら、付き合ってもOKでした。

ただ、それは「僕が相手の女性に対して」の話であって、僕が僕自身に求めるレベルはファッションも創作も結構、レベル高いんですよ。なぜなら現実問題、「人間、外見だ」から。

もちろん、東京ではミエが全ての世界ですから、厳しいにこしたことはありません。ヨーロッパは意外とそこまでではないですが、白人以上に差別的な東京では、自分自身は喪服みたいな暗い地味な服装をしてる女性が大量にいるのに、不思議と男に対しては「外見が****でなければ、人に非ず」みたいな謎ムードが存在し、フルのヨーロッパ製の格好をしている自分でも気圧されるような何かが常にありました。

多分、今にして思えば、外人っぽい自由気風の僕の振る舞いが好かれてなかったのでしょう。最近はだいぶ日本の感覚に戻り始めてるので、BLACK FRIDAY セールとかで服を買い占めて、ファッションスタイルを日本に馴染む様に変えていきました。

服にも氣が宿るので、僕が日本で売られてないものを着るだけで、地元の日本人もどこか違和感を覚えるのでしょう。そういう事も考えないといけないのが、八百万の神・日本の国。まあ、ファッションショーのつもりで、我慢しましょう!😁😂

筆者近況(筆者による撮影日:2023. 01. 16)

… けど、けどね。

一度、変わってしまった自分の内面は、服と違って簡単には戻らないんですよ。いや、本当の自分に目覚め、かつ国際社会に揉まれてグローバル化した今の僕は、人付き合いも男女観も完全にヨーロッパのまんま

だから、昔みたいに惚れるとか、全くないです

そりゃあなた、キスやハグが欧米人のような挨拶がわりになったら、日本のドラマみたくドキドキなんて失くなりますよ。貴重なものだったのに、それが恋人でない異性とでも交わせちゃう。しかも社会的にそれがOKで、当たり前になり過ぎて、性欲も感じない。

女を街中で見るのは好きだし、セックスも好きだけど、これとそれとは違うのよ、不思議と!😱 驚くべき事に分別されるのよ、自分の中では!!😰

こういった内面の違いを証明するためにも、『自分はロシア系だから』と線引きしておいた方が有利だし、向こうがこっちを外国人だと思ってくれたなら、むしろ好都合。

ヤヴァい? … かも知れんけど、もう骨の髄まで欧米モードにカスタマイズされちゃってるのよ!🤣 だから、一目惚れとか、そういう恋愛って、想像できない。メンドクサーって感じ。😅

自称ウジュピオ共和国にて(デートしたリトアニア女子による撮影日:2017. 04. 01)


… 『なぜ、人を愛せなくなったのか?』と言うお題に関しては、僕の場合、従来の日本人の感覚では愛せなくなってるだけで、そういうものを本当の恋愛とみなしてないって感じ

価値観がね、もう全然違うのよ。だから、自分は良くも悪くも、欧米のグローバル化に順応しちゃったタイプ。もう、あのドキドキとかトキメキは期待もしてないし、白人の女にもコンプレックスとか全く感じず、普通に人として見てるだけ。

まあ、ヨーロッパの10年間は自分にとって学びもあったし、同時に打撃でもあったんだけど、やっぱり一番の喪失は、本気で人を純粋に好きになってみようと思えなくなった事

理由は、日本と違ってヨーロッパは大陸続きだから、いろんなタイプの人間がいるワケ。いくら良い女に出会っても、政治的ポジションが違うとか、宗教が違うとか、そういうのがいつもつきまとう。ほとんどの人間はそれにとらわれながら生きてるんで、そういうのが心底ウザいと思ってるし、僕もそうだけど、意外と政治的意見を気にするのって、男より女の方だったりするの。表には出さないけど。

だから、向こうもこっちも「惚れたから、ずっと頑張って付き合っていこう!」とか、そういう健気さもなく、また、ヨーロッパは"自由"の国だから、他に気になる異性が現れたら義理人情無視で、そっちにふらふらっと簡単に行ってしまう。

そうです。良くも悪くも『恋愛は競争』!🤮

だからね、日本に帰って来た時に「信じられない!」って思ったの。花の都の東京で、汚い格好やクソダサで歩いてる奴が。

なんか、そういうカッコして大都市を平気でウロつけるのって、「自分が他人からどう思われても構わない」という自愛の欠落というか、人から何とも思われても平気なんだという恥知らずと、訝しく思ってしまうワケ。

こういうタイプの人に限って、「ありのままの俺を受け入れてくれ」って女性に求めるんだろうけど、それはありえないぜ。俺的には。

筆者とミリツァ(筆者による撮影日:2019. 12. ??)

… 話をセックスレスに戻すと、だいたいこの手の夫婦って、結婚前は例のドキドキ・トキメキの恋愛観を持ってて、いざゴールインすると、一つ屋根の下では「夫婦だから」とだらしない服装して、互いにドキドキする努力を失ってるんだよね。そりゃ、異性感じなくなりますよ。

僕的には、他人の前で美しくしておくのは、相手の目の保養に有利になるし、誰だって綺麗なものを見てたいから、特に外見重視のSNS時代では、そういう『気遣い』が礼儀とすら思ってる人なの。だから、そういう男女の意識を忘れて、だらしない格好でも許し合うのが夫婦みたいな恋愛観を持ってるなら、それ、男ないし女を捨ててるから、当然、そんなふしだらな相手見て、ときめくワケないよね。セックスレスになるのも、愛が冷めるのも、自分で原因作ってるじゃん!って思っちまう。

昔、付き合ってた女が

『一緒になっても、常に相手が自分の事を好きだなぁと思ってくれるよう、綺麗でいようね!❤️』

って、切磋琢磨してくれた。あの時のセリフを、自分は今でも名言と信じて実践している。

さっき、「人間、外見だ」と言ったのはそういう意味なのよ、実は。

(ちなみに、僕が外国に行く前に付き合った女の写真は全部、捨てました。別れた後の断捨離みたいな感じで、付き合ってた時の思い出は全て自分の人生から消したかったのです。今思うと、もったいないなぁとちょっぴり後悔 … 🙄)

『人間、外見じゃない! 中身だ!』と言うのは、日本社会で再三再四、叫ばれ続けたテーゼだけど、僕的には「それを保つために外見を美しく彩るんじゃない?」って思うの。

『人間、外見じゃない! 中身だ!』をそのまま受け入れちゃうと、人は弱いから、「ちょっとくらい、だらしなくていいや」って甘えが出ちゃう。人間って、そういうものだから。

そう、だからなのよ。

実際、貴族も上流階級もキチッとしたカッコするでしょ? 何の為?って思うでしょ? 身は心を体現するし、貧すれば鈍ずる。さらに人間は外見で差別する生き物。それが現実だから、文句言ってても仕方ないじゃん?

だから、そういう現実を見つめてない奴が落ちぶれていった時に「なぜ?」って答えを問うても得られない。

そりゃそうだ。

結論を言うと、人間とはそういうもんだから、それを受け入れて生きる人がうまくいくのよ。

自分をキレイに着飾るのは礼儀です。少なくとも、昭和時代の日本はその事を教えていたはず。

自分が大した事ないクセに、他人にだけ大きなものを要求するのは自己チュウですよ。それでパートナーに逃げられても、しょうがないでしょ?

そういう事に気配りできるか否か。それが相手の愛を保たせる努力だと思いますよ。

「どんな事があっても、自分の事をずっと愛してくれ」なんて最高の甘え。別れた時にただ相手を恨むのか、あるいは『別れてくれて、ありがとう。自分がダメだったから、こうなったんだよ。だから、もっと良い男/女になるから!』って言えるのか、それはあなた次第です。

少なくとも、僕はそうしてきました。あなたにもできるはず!😉

(終わり)

セルビアの首都ベオグラードのホステルにて(筆者による撮影日:2019. 12. ??)


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