じゅん

じゅん(女)です。中途視覚障害者です。エッセーや小説や現代詩を気ままに書いています。現…

じゅん

じゅん(女)です。中途視覚障害者です。エッセーや小説や現代詩を気ままに書いています。現在、絵を描く方法を模索中です。

最近の記事

連載小説 介護ごっこ(6)

「ばあちゃん、まだもどらないのよ」  母のしおれた声が耳に触れた。 「もう少し待ってみたら?」と恵美は言った。 「ちょっと遅すぎるわ。何かあったのかも……」  母は、起こりうる最悪の事態を推測して、自ら不安に陥っていくようなところがあった。 「ねえ、恵美ちゃん。今からその男の人のマンションに行ってみようと思うの」  時計を見ると4時半を回っている。もう少しでバイトが終わる。 「バイト終わったら、あたしが行ってみようか?」と恵美は言った。一人でそんなことをする勇気はなかった。母

    • 連載小説 介護ごっこ(5)

       次のフラダンスのレッスン日に、容子は朝から義母に付き添うことにした。その日も義母は、黄色いハイビスカスのムームー姿だった。目をつむりたくなるようなまぶしさの中に、花々のすき間からのぞいた葉の色が、影のように優しかった。 「ほれ、遠慮せんと、あたしの腕につかまり」  義母は腕を突き出した。拒んでばかりもよくないと思い、容子は腕に手をかけたけれど、体重をかけないように気をつけるのは、一人で歩くよりも骨が折れた。  バス停まで来て、容子はバッグからハンカチを出した。百メートルほど

      • 連載小説 介護ごっこ(4)

         いつもの通り三人で夕食を済ませ、義母が自分の部屋に引っ込むと、恵美が妙な話を始めた。昼時に、義母が高齢の男性とマンションに入っていくところを見たと言う。 「中よさそうだったよ」  恵美がこちらの顔色をうかがうのが分かった。 「人違いでしょ」とは言ったものの、容子の胸中は穏やかではなかった。 「黄色の花柄のムームーよ。ばあちゃん以外いないよ」恵美がスマホを脇へ置いた。「彼氏だったりして」 「まさか」  容子は苦笑した。 「でもさ、一人ぽっちだったら、ばあちゃんみたいな明るい人

        • 連載小説 介護ごっこ(3)

           恵美が駅地下の駐輪場に自転車を止めて、バスターミナルで待っていると、祖母が乗ったバスが着いた。金髪の頭と黄色のムームーで、すぐに祖母だと分かる。一緒に歩くときは、恥ずかしくて、他人のふりをしたくなるが、遠めに捜す場合は、目印になってよい。  乗客が次々に降りてくる。そして祖母が降りてきた。ガラガラ抽選機から落ちてきた当たりの玉みたいだった。祖母は辺りをきょろきょろと見回してから、横断歩道のほうへ歩いて行った。数人の歩行者が、信号が変わるのを待っていた。祖母がそこに加わると、

        連載小説 介護ごっこ(6)

          連載小説 介護ごっこ(2)

          「お母さん、そろそろ時間ですよ。行きましょうか」  容子は鏡をのぞきこんでいる義母に声をかけた。 「はいよ」  義母は白いバッグを斜めがけにして、スカートのすそをひるがえす。すたすたと歩く八十をとうに過ぎた義母の後ろ姿を見ていると、50そこそこで杖に頼る自分の体が恨めしくなる。白いエナメルのパンプスをはいた義母は、まだ靴もはいていない洋子の前で、ドンと玄関扉を閉めて外へ出てしまった。逆向きに脱いでいた靴をやっとこさそろえて、手すりを持ちながら靴をはき、杖を取って玄関を出ると、

          連載小説 介護ごっこ(2)

          連載小説 介護ごっこ(1)

           ベッドに横たわる花柄のムームーに目がくらんだ。蛍光灯の下では、ハイビスカスが悲しい花に見える。ハンガーがささったままでは、それは、がらんどうの布地。人に着られて初めて目を覚ますようだ。  にぎやかなフリルの襟ぐり、大きくふくらんだちょうちん袖、そこから白塗りの顔とたくましい腕を出して、踊っていた祖母はまだ生きている。発表会で浴びたライトが毒消しになったんじゃないなんて、恵美も母も、ほうけたように、にこにこしている祖母を笑っていたが、あれが認知症の初期症状だったと気づいたのは

          連載小説 介護ごっこ(1)

          短編小説 恍惚のモナリザ

           インターホンを押しても返事がない。私は妙な胸騒ぎを覚えた。先週ヘルパー仲間の福本さんが担当していたおじいちゃんの孤独死の第一発見者になったばかりだったのだ。  急いで預かっていた鍵でドアを開けて、玄関を上がった。多美子さんはダイニングの椅子に座っていた。丸まった背中にかくれて、頭は見えない。 「もう、多美子さんったら。びっくりするじゃないですか。返事がないんだもの」 「あら、ごめんなさい。これに夢中で、聞こえなかったのよ」  多美子さんはモナリザのジグソーパズルから顔を上げ

          短編小説 恍惚のモナリザ

          詩 昼休みのカフェ

          春の間 用なしだったエアコンが 作動を始めたにおいの中 人々は身も足どりも軽く やわらかい矢となって 私のぐるりに円を描く そこが 地表の何千億分の一の 私の居場所 そこでカタカタと キーボードをたたけば 昼休みは むこうのほうからやってくる 指を休ませたのは とれかけたブラウスの このボタンの上 とれずによく頑張ったとねぎらって その指をストローにからませる 食後のアイスコーヒー かきまぜる 涼やかな氷の音色 一口飲んで長いため息 またかきまぜる かきまぜながらストローの先

          詩 昼休みのカフェ

          詩 大地の末端から

          赤い星が南の夜空に現れると 防波堤は それを取りに行くための 建設中の橋になる いつごろから人々は 橋をかけ始めたのだろう 大地の末端から あてどなく 橋げたばかりが伸びて重くなって このままじゃ落ちるぞと叫ぶ声に 急いで橋脚づくりに回る人多数 そんなことお構いなしに橋げたは今日も伸びる だって橋の上は 陽が当たる 星が見える 橋脚は追いつかない ほら だからもう一度 橋のたもとまで みんなじゃなくても半分ぐらい もどりなさいと 刻々と暮れる夜空に 赤い星の警報音が 鳴りわた

          詩 大地の末端から

          詩 真逆の波形

          今日もすれちがった 逆光の影になって 表情がつかめない その人の背後の窓が 明るすぎて 私はうつむく なぜなら眉をひそめてしまうから いつも会うのはこの角度 階段ならば私は上り その人は下り 廊下ならば私は南へ その人は北へ 二人とも同じほうを向いて 笑いながら手を洗ったときもあったのに あるときその人が少し先に去って 私が少しあとに去っただけ わずかなずれ 微調整すれば また重なると思っていた けれどその人と私の波形は いつの間にか山と谷が真逆に かっちりと固まって ずれが

          詩 真逆の波形

          詩 箸さがしのうた

          炎天下を歩き通して コッテージに着いた五人 逆光の枝葉を日よけにして 丸くなって座る のどが渇いた源次郎 水をがぶがぶ飲んでいると 友たちは弁当を食べ始めた 遅れをとった源次郎 あわてて弁当の包みを開けると 箸がない 「箸がねえや」と大声出すと 返ってきたのは はあ、へえ、ふうん、あっそ むしゃむしゃむしゃとうまそうに 食べる友に背を向けて 箸を捜しに行こうと決めた 川沿いを上流へ歩いていくと あちらもこちらも箸だらけ キャンパーたちがバーべきゅー 野菜をのせる 肉を返す 口

          詩 箸さがしのうた

          詩 眠れない真夜中に

          眠れない真夜中に 見つけた 空っぽの物干しざお 水たまりの中の満月 自販機の明かり 光るプルトップ 雀のなきがら 埋めてあげたいけれど ごめんねとつぶやいて 寝返りをうつと 掛けぶとんのきぬずれが 私を 嫌というほど尊大にする 身動きを止めて 息をひそめると あるのは 自分の体の形の穴だけ 深い深い穴の底から 聞こえてくる 赤いビーズを連ねたような 救急車のサイレン ずんずん近づいてくる 熱い 窒息しそうになるほど 赤々と燃えながら 私を飛び越して 水平線の向こうへ回りこんだ

          詩 眠れない真夜中に

          エッセー 絵を描いてみたくて 一視覚障碍者の夢

           トマス·マンの小説『魔の山』の中に、顧問官の医師が、目をつむって子豚の絵を上手に描いて見せる場面がある。まだレントゲン技術が十分でないころの結核療養所で、たくさんの患者を診てきた医師の透視眼のなせる業だと思う。  私には透視眼などないけれど、ちょっと真似してみたくなった。メモ帳に鉛筆で子豚を横から見た図を想像しながら、鉛筆を走らせた。まず丸を描いて、短いしっぽをぴょこんと一本、足はあとからちょんちょん、ちょんちょんと添える。いつも〝やってやれないことばかり〟なので、幼児の落

          エッセー 絵を描いてみたくて 一視覚障碍者の夢

          現代詩 おばあちゃんの寝床

          点滴のチューブが おばあちゃんの体を おなかのあたりで二つに分けている 枕の上の茶髪の頭は 絶え間なく生まれる時間に かわるがわる抱えられて どこかへ運び去られてしまった でもはだしの足は 昔へ昔へと伸びて いつかのステージの ハワイアンに絡みつく 気ままに舞う 十枚の爪 光の尾を引いて 細かいふるいを編み上げる 風に舞う 氷点下の粉 炎天下の砂 そこに太陽は 命をあまた寝かせて去った しゃれこうべと足跡模様の 夜空の色のシーツ ざわんざわんと 波のように引きずって 太陽が

          現代詩 おばあちゃんの寝床

          短歌 網膜の (駆け出し歌人二作目)

          網膜の 色紙ににじむ 青葉山 絵筆は遠き 鳥のさえずり

          短歌 網膜の (駆け出し歌人二作目)

          超短編小説 湯気の箱詰め

          は熱さとの勝負だった。だが誰にも礼も文句も言われないから気楽ではあった。そもそも彼らには、直也の姿が見えてさえいないようだった。  ところが閉店まで残り10分を切ったとき、一団の中の一人が立ち止まって直也の顔をじっと見上げた。それは、一年前に85歳で死んだ祖母ではないか。 「おばあやないか……」  感極まった直也に、祖母は丸い頬を光らせてうなずいた。もともと小さかった祖母は、さらに小さくなっていた。むにゃむにゃと動かす唇が、「しっかりやりや」と動いた気がした。 「おばあ、どこ

          超短編小説 湯気の箱詰め