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一生、このわたしと生きてゆくしかないんだね

「自分って、どうして〇〇なんだ? もっと▢▢だったらいいのに」
こんなことを思う人は、若い方であるほどに、少なくないだろう。

どうしてこんな顔なの、どうしてこんなスタイルなの、どうしてこんな能力なの、どうしてこんな親の元で生まれたの、どうして頭が悪いの、どうしてスポーツできないの、どうしてこんな性格なの、どうしてセンスないの

「どうして」あるある

イヤ、若い人ならかわいいものだ。
私は、40を過ぎてもなお、「どうして」がとまらなかった(笑)


私は、若い頃より「自分は〇〇だから、▢▢はできないよな」などと、「この私」で生まれたことを、さして努力もしないクセに、のろいながら生きてきたところがありました。

人の能力・ポテンシャルは、「生まれながらに決まっている」。

そのように母から教えられて育った私は、気づかぬうちに自分を「固定した人間」としてガチガチに固めていました。
そしてそれは「努力をしない言い訳」にもなったわけです。

今ある「このわたし」は、いろいろと不足だらけなのに、それは「変えられない」。

だってそれは「遺伝で決まったことだから」。だから何をしたってムダだよね?


私はこのように自分を位置付けていました。
このような「自分は固定化している」という考え方を、私は密かに「遺伝教」と呼んでいるわけです。

「人は変われない」と信じた私が陥るワナ⤵


自分という器をまじまじと眺め、「いろいろ足りねーな―」と思う私は、自己受容もできていない上に、「人は変われない」と信じ切っていました。

だから43歳で乳がんが判明したときには、

「どうして、わたしは40代でガンになるようなカラダに生まれたの!! どうして!!」


と、自分のカラダを呪うのでした。

自分のカラダに、ガン細胞という命を脅かす因子があり、それが消えずに刻一刻と増殖しているかと思うと、恐ろしかった。
とにかくそこから逃れたい、このカラダから、「わたし」を切り離したいと切望しました。

しかし、それだけは絶対にできない。自分の体から逃れられるのは、死ぬときだけです。


……ウソでしょ?

わたしは、わたし以外の人間にはなれないの!?


ゲスの極み乙女さんの曲にも『私以外私じゃないの』って、ありましたっけ。

この体も、この心の在り方も、この容姿も、この能力も、ぜーんぶ、死ぬまで「このわたし」とともに在り、絶対に切り離せないんだ。死ぬ瞬間まで「このわたし」で生きるしかないんだ。

マジか……


マジだ。


あー、そうですかっ!!!
はいはい、わーかーりーましたよっ!!!

ようやっと、わたしは、わたしであることを、受け入れたのでした。


受け入れると、こんな私が誕生しました。

「どうして〇〇なの?」と思うかわりに、
「どうしたら▢▢できるかな」という考えにシフト

「どうして」と憂いていても、ある日突然、「私じゃない私」になれることは絶対にありません。
嘆くだけ、時間のムダです。

だったら、「どうしたら」いいんだ?

「どうして?」ではなく「どうしたら?」が生まれました。


40歳を超えてから……なんて、ちょっぴりお恥ずかしい話ですが、わたしは、このわたしと生きることを受け入れて、その上で、「さあ、どこを変えれば、どこを工夫すれば、わたしは今より幸福になるのか??」を真剣に考え始めるようになったのでした。

「遺伝教」が骨の髄まで沁みついた私でしたが、乳がんに罹患したことで「自分を受け入れなければ、この不幸は一生続く」と崖っぷちまで追い詰められたため、脳みその軌道修正が必要となったのです。
(ご興味のある方はマガジン『脳みそジャーニー』をお読みください)

「変われない」から「変われる」を知ったわたしは、その風通しのよさを、40代になってはじめて堪能しているのです(笑)


ずっと昔から、夫が言ってきた言葉がありました。

「人は、なりたい人間に、なれる」


遺伝教の信者であった私は、「なーに、きれいごと言ってんの」と受け流してきましたが、イヤ本当にそうなんですね。

「自分がなろうとする人間に、自分はなれるんだ。一日一日を、なりたい自分になって、過ごせばいいんだ」

私は、まだ生まれたてのヒヨコみたいなもので、コケたり、溝に落ちたりします。

しかし、「変われる」と気づけたわたしは、ヒヨコはヒヨコでも、「無限の可能性を秘めたヒヨコ」。


誰も、私が「生まれ変わった」ことに、気づいたりはしません。
私だけが知っていればそれでいいのです。

私は、私の中だけで、ドラスティックに、貪欲に、これからも自分が変わってゆくことを楽しみ続けるつもりです。

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