yurie | yin yoga

2歳半で喘息を発症 / 33歳でヨガを本格的に始めた事で喘息が寛解 / 陰ヨガ講師 /…

yurie | yin yoga

2歳半で喘息を発症 / 33歳でヨガを本格的に始めた事で喘息が寛解 / 陰ヨガ講師 / アシュタンガヨガ練習生

最近の記事

あてにしないこと

現代の仕事の場面では「自分の特技を活かす」、「強みや得意なことを把握する」という風潮がある。 10年以上の会社員人生から思うことがある。それは、分かりやすい”強みや得意なこと”に頼るのは危険な行為だ、と言うことだ。 私自身「バイタリティがある」とか「ハングリー精神がある」あるいは「責任感が強い」等、社会人として評価されることは多かった。 その結果として役職を任されたり引き抜きの声がかかったり、給与が跳ね上がったりしていった。 反面、喘息の悪化、不眠症発症、免疫性乾癬の悪

    • 【養生の道】vol.01 自然の摂理を知り、すでに会得している者から「学ぶ」

      貝原益軒の『養生訓』には、84年の人生をかけて観察した周りの人々の様子や自分自身の人体実験に基づく養生の教えが詰まっている。 『養生訓』には、どれだけ身体が丈夫に生まれても、養生を教わらずに人としての楽しみが多い人は、多くの病気に苦しみ、元気が衰えていく。 という教えが書かれているが、養生の道は大道であるが故に教わらない限りは実践が難しいという。 そう、ヨガにせよ、養生にせよ、師から教わらない限りは実践不可能なのだ。 私が思うに実在する師から学ぶのが一番だが、肩書きを

      • 【脱力研究①】脱力への第一歩は「十分な緊張状態を経験する」こと

        これは私自身が脱力を体得して、使いこなしていく為の記事です。 まず、私が目指すことは以下の3つです。 ・頑張ると成功するという世界観から脱却する ・脱力という感覚を体得する ・自分も他人も脱力させてあげれる人になる これはコンサルタントの萩野友彦さんや、元陸上競技選手の為末大さんらが口を揃えて”脱力の重要性”を話しており、私自身もヨガを実践していく中で最も重要ではないかと思い取り組みについて記録の為に記事を書くことにしました。 今日はまず為末大さんのXより、 「脱力す

        • before after ~yogaを始める1年前と今~

          この1年間、自分の身体と向き合い、ヨガの知識を体系的に学んできました。この環境に感謝しながらも、過程を楽しめたかというとそんな余裕は無く(今もあまり無いが・・・)別のフェーズに移りながら常にもがいていたように思います。 ただ、振り返ってみると大きな恩恵を受けていることに気づき、続けることで得られるbody・mind・spiritの変化は計り知れないなあと思う今日この頃です。 今日は私の身に起きた1年前と現在の変化を比較して記載しておこうと思います。 きっと同じようにヨガに

        あてにしないこと

          私のスピード

          この曲を聴くと、私は無条件で涙がでる。 10代、20代の頃の息づかいを癒してくれる。 そして世の中全ての人が、自分のスピードで生きることが出来ればいいなと心から思う。 無理に自分のスピードを貫くのではなく、ほんわかした空気を纏って。 大変なことが目の前に起こる。誰の人生にもあると思う。 そこで、苦しみにもがくことなく、生きているのだから次にまた進めるはず。

          私のスピード

          健康状態が優れない間に、洞察力が磨かれる

          33年間の喘息患者としての経験から、私は長い間「ほんとうに人生で価値があるものは何か」というのをずっと探していたように思います。 人生でいちばん大切なものは何か。 何の為に生きているのか。 人生にどう対処するか。 目の前に起こった出来事に対して、何を選んでも改善しない喘息に対して、一体どうして良いのか分からず、もがいて苦しんで、見て見ぬ振りをしたり、あまりに自分が情けなくて強がってみたり、健康な人として振る舞ったり、考えない様に別の熱中できることを作ってみたり。 周

          健康状態が優れない間に、洞察力が磨かれる

          アシュタンガヨガを始めました

          約2年程前から会ってみたいと思っていたヨガの先生が居る。 その先生は、私と同じく2歳半から喘息患者でありながらも現在ではアシュタンガヨガを教えている(正式にはマイソールクラスを主宰している)。 私は2014年頃、音楽活動と並行してヨガに興味があり当時長野駅前にあった沖ヨガをベースとしたヨガ教室に通っていた時期があった。 ヨガに触れられていただけでも幸せだったと思うが、当時24歳の私にはピンと来ず、その後もヨガフェスに行ってみたりしたが私が求めていたヨガと出会えないまま仕事

          アシュタンガヨガを始めました

          32年間の喘息経験が初めて人の役に立った話

          2024年1月22日17:30過ぎ、ヨガ同期のAさんから気管支喘息になってしまったと連絡が来た。 Aさんは、誰が見ても健康で美人で笑顔が素敵で、その上フットワーク軽く世界中どこでも一人で飛び回る超cute & sexy & powerfulな女性。 日頃から身体も健康で今までほとんど西洋医学的な薬に頼らずとも平気な、私からしたら何とも羨ましいことこの上ない健康生活を送り、趣味のDJやダンスや映画を心から楽しむ快活な女性だ。 ここで、私はなんと伝えたら良いか混乱した。 長

          32年間の喘息経験が初めて人の役に立った話

          緊張は何かに中毒していることの暗示

          ヨガをしていると、普段は出来ているのに緊張して力み、アーサナが行えない事がしばしばある。 では緊張のサインとして具体的に何があるのだろうか。 ・歯を食いしばる ・喉がこわばっている ・目が落ち着かずに動いている ・眉をひそめている ・目が細くなっている(目を酷使している) ・身体の動きが忙しなくなっている などなど身体から発せられるサインで自分の状態がわかるという。 では反対にリラックスさせるのは、上記と逆のことを行えば良い。 非常にシンプルな話だと思う。 ・歯の噛み

          緊張は何かに中毒していることの暗示

          アーサナとポーズの違い

          アーサナを行う上で、最近気を付けていることがある。 それは一言で言うと「意識」だが、どんな意識を持っているか言葉にしてみる。 【例:ヴィーラバドラ・アーサナⅡ(戦士のポーズ2番)】 ・スワディヤーヤが未熟だった初学者レベルの私  →両手を左右に広げ、胸を開き、なるべく遠くへ伸ばすイメージ ・現在の私  →吸う息で皮膚と筋肉の間にスペースをつくり、吐く息とともに中心から手の先まで川から海へゆったりと流れていくイメージ これは『Light on Life』を読んだ影響が大

          アーサナとポーズの違い

          出来なかったアーサナが自然と出来ていく

          元々身体が弱い&長年の会社員生活で体力筋力はあまり無い所からRYT200の資格取得となった。 お恥ずかしい話だが、昨年11月卒業段階での私の内訳を書くと、 全70以上のアーサナ中 ・完全にできる様になったアーサナ(至福感に身を委ねられる段階まで到達):15こ ・ポーズはとれるが、気持ち良く何分でもキープ出来たり至福感に身を委ねられる所までは行ってないもの:40こ ・適切なポーズさえとれないもの:15こ そう、ポーズをキープ出来ているだけのものはヨガではないしアーサナでもな

          出来なかったアーサナが自然と出来ていく

          Good bye 一般論

          自分の身体と向き合う時間はどんな時間も尊い。 それが、眉毛でも爪でも、スキンケアでも、ヘアセットでも。本当に何でも良いと思う。 会社員をしていた頃は、兎に角時間が無かった。 当たり前残業、上司がずっとオンライン。 家に帰れば、夕食準備や洗濯などの家事。 ここに子どもがいたら、もう本当に自分の身体に向き合う時間すらないと思う。 残業のおかげか、お金はあったので時間が無い分お金で埋め合わせしていた(正確には埋まっていないが)。 けれども、どんなにお金をかけても満足するのは一瞬

          Good bye 一般論

          Light on Life 「コシャとは何か?」を読んで

          ヨガの資格をお持ちの方は恐らく聞いたことがあろう、「パンチャ・マーヤ・コシャ」という考え方がある。 RYT200の時はパンチャは5、マーヤは幻、コシャは鞘(さや)、覆いであると習ったが、アイアンガー氏の著書『Light on Life』ではコシャを「相」と表している。 理論上の5つの異なる階層が人間にはあり(目に見えないが確かに存在しているので”幻”がついている)、一番外側にあるのが肉体の相でその他4つの相を玉ねぎの皮のように包み込んでいると記されている。 では肉体の他に

          Light on Life 「コシャとは何か?」を読んで

          ネバーランド(〜ねばならぬ)からの脱却

          「タイトルなんか、後でつければ良い。」 こんな当たり前のことに気づくまで、一体どれ程の無駄な時間を費やしただろう。 そして、「まとまっていなくても良いじゃないか。」と言う結論が出たのも最近である。 この2つがなかなか受け入れられなくて、元来メモ魔の私は消化しきれないほどの思ったことや本を読んで知ったことの雑多なメモをどう扱って良いか分からず(大体はそのうちどこかに行ってしまう)整理が進まなかった。 それがどう言うわけか、今日ふと「私のnoteなんて誰も見てないし、最終的に

          ネバーランド(〜ねばならぬ)からの脱却

          「頑張る」ではなく「脱力する」

          真面目なJapanese(私のことです)は、何をするにもきちんと取り組むが故に、時として自分で自分の枠に押し込めてしまう時があります。 ヨガを行なっていて、そんな自分の性質に気づきました。 一方でインド人はどういう気質かというと、インドに行ったことのあるヨガ講師は口を揃えて、「テキトー」と答えます。 大雑把で適当でゆるい。全然気にしない。 ルールから外れても、約束を守れなくても、時間に遅れても、笑っている。 そもそもそれが「悪い」とすら思っていない・・・! 私はこれ

          「頑張る」ではなく「脱力する」

          書きたいことが沢山あり過ぎて・・・

          そう、書きたい事が沢山あるし、言葉がどんどん出てくるし、アイデアも際限なく出てくるのに、ブログに書こうとすると型にはめるように思ってしまっていたようで、苦しくなる&長くなってしまう現象になっていました。 この現象に名前をつけるとするならば「妖怪、型はめ」。 型なんてどうでもいいんじゃい! 型破りな文章でいいではないか。 ・・・と、決意を新たにまた書き始めようと思います。 Good bye ! 妖怪、型はめ!

          書きたいことが沢山あり過ぎて・・・