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君の目にもっと素敵な景色を映したい

街を歩いていると、すれ違う人々の表情がやたらと目につく。その表情、何を映してるの?

・求めているのは自分を知ってくれる「スーパーヒーロー」

・誰も何も君のすべては奪っていない

・”らしい自分”に手を伸ばす



求めているのは自分を知ってくれる

「スーパーヒーロー」



「笑顔」「無表情」「どっちつかず」



その表情の裏側は探れない。というか、表と裏があるのかなとさえ思う



ひとりフラッと歩いている時の表情って、その人の人生の現在地を示していると思っていて、充実してたりハッピーだったりする人はそのうまく言葉に出来ない”明るい空気感”が滲み出ている



何かすっきりしない、きっともっと見たい景色がある中で見れていない人の表情はめちゃくちゃ曇ってるわけじゃないんだけど霧が発生している



その背景、僕は他人ながらとても気になって色々想像してしまう。



「そうしてそんな顔して歩いてるの?」って聞きたい。理由がなかったとしても「理由がない」ってことを聞きたい



そして、厚かましいけど、きっとそういった聞いてくれる人をそういう人は求めているような気がする



僕もあの頃、うまく話せなかっただろうし、恥ずかしくて本音の10%くらいしか言えなかったかもだけど心の中では「いつ来てくれるの?」って、いるかもわからないスーパーヒーローを待ちわびていた



誰も何も君のすべては奪っていない


もやもやしていても日常は繰り返す波のように一定の速度で自分のところへやってくる。



通学、通勤、オフの日の雑用、食欲と睡眠欲。



やるべきことを淡々とこなして、気付いたら日が落ち始めて、気付いたら明日の自分のことを考えて一日をシャットダウンする。



この流れの中に自分の”理想”を噛ませている人、多分かなり少ない故に生まれるは”冴えない表情族”。



「現代人は忙しい」と思い込んでいる。「時間がない」「忙しい」「やる隙間がない」といっては自分の、自分による、自分だけの理想を叶えてあげてないからこそ行き詰ってしまう。



よくよく考えてみたら、自分が理想としている生活や活動っていうのは他の誰かに依存しているものではないことの方が圧倒的に多い



英語を勉強したいとか、映画を観に行きたいとか、痩せたいとか、格好よくなりたいとか。



別に誰の指図も受けないで自由気ままに目指せることしかない



24時間みっちりのタイムスケジュールで生きている人なんてほぼいない。総理大臣だってきっと少しの余白時間を持っている。すべてが書面に書き出された生活を強いられているわけではない。少しでも、そう、5分でも10分でも余白はある



”らしい自分”に手を伸ばす



表情が冴えると取り巻く環境が変わる。人生はまるで派手にグルグル僕たちを振り回すジェットコースターのようだとつくづく痛感させられる。



冴えない表情でいると、それは見えない強靭な魔除けみたいなものになっていて、誰も近づいてこない。大切な何かを奪われてしまう、そんな危険な匂いが漂ってしまうんだろうなー。



その根底にあるのは、”らしい自分”になれていない、”理想の自分”が遠くでニヤニヤして待っている状態の自分に対する残念な気持ちのせい



「どうして出来ないんだろう・・」

「なんで頑張れないんだろう・・」


って考えては答えを見つけられずにまた日常の波がやってきてそれを片付けるサイクルに飲まれる。いつまでたっても脱出できなくてその熱い気持ちも年を取るにつれて薄れていき、成れの果ては自分のメンテナンスを放棄するようになる



ま、嫌よね?こうなりたくなんてない。



でも、誰だって最初からこうなりたいなんてもちろん思って生きてきたわけじゃないすべては”諦め”という名のトラブルメーカーが横からさじを投げてきた結論



すべてはその”らしい自分””理想の自分”へ向けた一歩を確実に踏み出すことでしか変えられない。5分、10分、いや、2分でもいい。頭で考えていることを手や足で表現してみること。



大した覚悟なんていらない。だって、その先にあるのは”らしい自分””理想の自分”なんだから。それに手を伸ばすだけ。気軽な柔軟体操くらいに思ってやればいい。



街中ですれ違う人たちがより自由に、らしく生きることが出来るようにおまじない。



僕は昔よりもだいぶ余計な羽、脱ぎ捨てて軽くなったから。もっと高く飛べると信じて生きているし。この気持ちになれたことだけでも大きな変化であり、人生のターニングポイントだったなと振り返ればありがたいこと




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