のほし

東京。自己満ですがたまに更新します。備忘録。

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life goes on

言葉にしたくなる、記録したくなるのは何でだろうね?簡単に忘れていくこと知ってて、それが怖いんだ。 決断するときはいつも孤独だと思う。自分の人生に責任を持てるのは自分しかいなくて、良かったことも悪かったことも結局は全部自分に返ってくる。 でも、心を動かしてくれるのはいつも自分以外の誰かで、それが生きる原動力になってる。伝えようとしてくれる誰か、前に進もうとしてる誰かを私は見てる。しょうもない私や、もがいてる私のことも、きっと誰かが、見てる。 あの時の気持ちとか、たまに思い

    • グラデーション

      グラデーションが好きだ。揺らぎや曖昧さや夕焼けや、蒼い炎が好きだ。 自分の中にもグラーデーションは存在していて、それを感じることも好きだ。自分の中にあるグラデーションを感じるとき、生きているという感じがするし、自分は自分だけの人生を生きる主人公になっているという実感を得ることができる。 でも傍から見たときに、自分はグラデーションを許容するような人間に見えているのだろうか。 「グラデーションを許容する人間」から浮かび上がるイメージがあり、自分はそのイメージよりももっと鋭い

      • 名前で呼びたい

        学生時代は付き合っている相手のことを「彼氏」「彼女」と呼ぶ人がほとんどだった気がするけど、最近は「相方」とか「連れ」とか色々な呼び方をする人がいるように思う。 結婚している相手であれば、「夫」や「妻」や「配偶者」といった呼び方は公的な事実に基づいた表現であるし、性別を限定しないという意図を持った「パートナー」という呼び方も以前と比べたらかなり広まってきたと言えるだろう。 私は結婚しているが、夫のことを「相方」と呼ぶことも「連れ」と呼ぶことにも違和感がある。婚姻関係を意識し

        • 今日もくぅのことを考えてる

          くぅが死んだ。 5月20日、会社のトイレで開いたXのタイムライン。 これはあなたが知るべきニュースだと言わんばかりにタイムラインは一色に染まっていて、このスマホは私にくぅの訃報を知らせなければと必死になっているみたいだった。 お茶目で可愛くて、かっこよくて、どこか危なっかしい人だった。 でもそれが魅力だった。 渋谷クアトロで観たあのライブを忘れないよ。 あの日着ていた服も、センター街の匂いも、手ぶらで歩いた感覚も覚えているよ。 全身全霊で音楽に没頭して、身を預けていたね。

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        life goes on

          歳を重ねるという魔法

          どんな話の流れだったかは忘れたが、会社の人たちと話していたときに「歳を取るだけで自然と状況が変わると思っている人がいるけど、そんなことって全然ないですよね」みたいな話をしていた。 個人的にはここ2年ちょっとがしんどすぎて、いつか死ぬときに人生を振り返って、あの頃は最悪な時期だったな〜ってなるんじゃないかと思うくらい、本当に嫌になっているけど、こうなる直前が結構怖いくらいに順調だったから、まあこれも人生にとって必要な時期なのかなとも思う。 最近色んな人のインタビューなどを読

          歳を重ねるという魔法

          THE 1975@ぴあアリーナ

          ぴあアリーナでTHE 1975のライブを観た。素晴らしいライブだった。2019年にサマソニで観た時もその年のベストと言えるくらいの素晴らしいライブだったが、その時とはまた違う感動があった。サマソニは夏の炎天下で、マシューが酒を飲み続けヘロヘロになりながら、自分の痛みや弱さを曝け出し、ギリギリの状態だからこそ爆発するエモーションを放出し続けた様に圧倒された、そんなライブだった。昨年のサマソニは残念ながら行けなかったので、今日までにどんな変遷があったのかは分からないが、今回は彼ら

          THE 1975@ぴあアリーナ

          みんな働きすぎ

          最近あまり飲みに出かけなくなったのは、コロナが何度目か分からない感染拡大をしているからというのも勿論あるけれど、他にもっと理由がある。 私や私の周りだけなのか、社会人4年目の宿命なのか分からないけれど、とにかく仕事が忙しすぎるのだ。いや、もっと偉くなれば、もっと忙しくなるのだろうけど、身の丈に合わない量と重さの仕事を抱え始めるのがこの世代なのかもしれない。いや待てよ、これが一生続くという説もあって、それはそれで絶望である。仕事は終わらないし、疲れるし、仕事をこなすことで生活

          みんな働きすぎ

          本当のことなんてどこにも

          仕事が変わって、言葉を扱う仕事になった。言葉を扱わない仕事なんてないと言われればその通りだし、これまでの仕事においても言葉と向き合ってきたつもりだったけど、向き合い方は大きく変わった。分かりやすく伝えるためにはどう表現するのがいいだろうか、相手の立場に立って考えてみた時にこの流れでうまく伝わるだろうかーーそういうことを考えるのがこれまでの仕事だったし、いわゆるビジネスってそういうことが多いんじゃないだろうか。でも今の仕事は違う。言葉そのものを売りものにする、そういう仕事だ。「

          本当のことなんてどこにも

          空白の夏

          いつものことだけれど、思い付くままに何か書いてみようと思う。 私の仕事はコロナで大きな打撃を受けて、中心となって取り組んでいた事業はふっ飛んでしまった。悲観的にならざるを得ない状況だが、悲観的を通り越して、今はあらゆることに対する実感がない。本当に2020年はあったのかな。コロナ以降に起きたあらゆることが幻のような気さえしてくる。この先改善する見通しがないし、みんなもうその場しのぎでやっていく体力が残っていない。怖いのはコロナより人間だと話をしていた。情報は錯綜し、人々は何

          空白の夏

          願い続けてきたこと

          弱い人間だ。自粛生活の息苦しさが積もり積もって、気が滅入ってしまっていた。家族のように思っている人と家族ではないから会えないこと。在宅では仕事が思うようにできないこと。嘆かわしい出来事が目に見えているのに、自分はあまりも無力であること。 テラスハウスは私も大好きな番組だった。そのニュースはあまりにも衝撃的で、あまりにも悲しかった。頭から離れなくて、眠れなくなってしまった。昔書いたnoteとかを見返していた。言葉は人を陥れるためじゃなくて、「分かり合う」「許し合う」ために使う

          願い続けてきたこと

          死なないための音楽

          こんにちは。音楽好きの若者のひとりとして、今この状況において思っていることを自分なりに書いてみます。私は音楽を自分で作ったり演奏する人生は選ばなかったけれど、それでも音楽が大切で、音楽のために自分ができることをしたいと思い音楽業界で働いている23歳です。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、音楽業界は今、大きな危機に瀕しています。もちろん大変なのは音楽業界だけではなく、今を生きる全ての人が当事者として、それぞれの危機に直面しています。国や企業のあり方・人生との向き合い方など

          死なないための音楽

          パラサイト

          『パラサイト 半地下の家族』というタイトルの響きと、ポスターが醸し出す不穏なイメージから、暗くて残酷なだけの映画かと思っていた。この頃は社会に希望を持てないからか、そういった類いの映画やドラマを毛嫌いしていて、あまりこの映画を観に行く気にはならなかった。「悲しいのは、現実で十分」とよく話している。しかし、この映画を観た友人に感想を聞いてみると、みな口を揃えて絶賛するし、暗いだけじゃなくてストーリーが面白い、とのことだったので仕事終わりに観に行ってみることにした。 確かにユー

          パラサイト

          2020

          年が、明けたらしい。年末もずっと仕事をしていたからだろうか、年が明けたという実感はなく、同僚に「あけましておめでとう」と言われて少し驚いてしまった。 社会人になって初めての年越しだった。少し遅い仕事納めも、少し遅い仕事始めも、悪くないなと思う。年始セールもそろそろ落ち着いてきた街を歩いて、なんだか世間から取り残されたような気持ちでいた。 就活中の友達と渋谷で新年会をした。楽しそうに仕事をしている人があなた以外見当たらない、と話す言葉が印象的だった。私だって決していいことば

          後悔

          あの頃、君はいつも不機嫌だった。 なりたい自分が遠くてもがいていたのか、 孤独に怯えていたのか 分からないけれど、とにかく悲しかった。 何もかもがうまくいかなかったんだ。 一番の敵は自分自身だったのかもしれない。 いつかを信じていたから歩いていたよ。 君が笑うのを待っていた。

          ひとつのバンドが終わるということ。‐plenty解散によせて‐

          plentyが解散した。 2017年4月13日、発表されたそのニュースはあまりにも突然で、私は一気に悲しみの底に突き落とされた。 大学帰り、友人と寄った新宿のサンマルクカフェ。 「plenty、解散」 見えたスマホの通知をそっと閉じた。 何も変わらない日常のなかで、溢れそうになる涙をこらえようと必死だった。 そのとき、plentyとの別れまでに残された時間は約5カ月。 行き場のない気持ちを抱えながらも、私はその事実を受け入れるしかなかった。 解散がどんなに嫌でも、plent

          ひとつのバンドが終わるということ。‐plenty解散によせて‐

          ありきたりだけれど

          何もかも当たり前に続くと思ったら大間違いだということを、改めて実感している。 信頼していた人が自分のもとから離れることになってしまったし、親戚のおじさんには重い病気が見つかってしまった。 自分にはどうしようもできないことが悲しくて、やるせない。 大事な人が増えれば増えるほど別れも増えて、辛い。 私は家族のなかで一番の末っ子で、大好きな大人たちがたくさんいるのだけれど、この世に最後に残るのはもしかしたら私かもしれないと思うと、とてつもない胸のざわめきに襲われる。 確かに辛い

          ありきたりだけれど