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本当のことなんてどこにも

仕事が変わって、言葉を扱う仕事になった。言葉を扱わない仕事なんてないと言われればその通りだし、これまでの仕事においても言葉と向き合ってきたつもりだったけど、向き合い方は大きく変わった。分かりやすく伝えるためにはどう表現するのがいいだろうか、相手の立場に立って考えてみた時にこの流れでうまく伝わるだろうかーーそういうことを考えるのがこれまでの仕事だったし、いわゆるビジネスってそういうことが多いんじゃないだろうか。でも今の仕事は違う。言葉そのものを売りものにする、そういう仕事だ。「リンゴが1つ置いてあります」、そのことを表現するだけであったとしても「黄色いリンゴが1つ置いてあります」と書かなければ、誰しも赤いリンゴを想像するだろうし、「床にリンゴが1つ置いてあります」と書かなければ、誰しも机か何かの上に置いてあるリンゴを想像するだろう。言葉にするということは、その時にこぼれ落ちる何かに責任を持つということなんだと思う。架空の物語を紡ぐだけであれば、無責任に想像の余地を残すことを楽しめるんだろうなと思うと、最近は物語に対する憧れで胸がいっぱいになってしまう(そんな簡単なものじゃないことは百も承知ですが)。自分が扱う文章に多くの人の人生が絡み合う時、自分が削った一言で、自分が付け足した一言で、それを受け取る誰かにとっての事実は1ミリ動く。編集というのはそういう仕事なんだと思う。本当のことなんて、どこにもないのかもしれない。その時、その場にいて、何かを目撃した人であっても、それをどう表現するか、どう伝えるかーーその少しの機微で物事は大きく歪められてしまう。その暴力性に、ふとした時に怖くなるけれど、それを引き受けていくこと、そして、「暴力」ではなく「魔法」としてその力を使えるように歩みを進めていくことが、今自分にできる精一杯のことだ。


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