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グラデーション

グラデーションが好きだ。揺らぎや曖昧さや夕焼けや、蒼い炎が好きだ。

自分の中にもグラーデーションは存在していて、それを感じることも好きだ。自分の中にあるグラデーションを感じるとき、生きているという感じがするし、自分は自分だけの人生を生きる主人公になっているという実感を得ることができる。

でも傍から見たときに、自分はグラデーションを許容するような人間に見えているのだろうか。

「グラデーションを許容する人間」から浮かび上がるイメージがあり、自分はそのイメージよりももっと鋭い人間に見えていて、乖離があるのではないかと思ってしまう。そもそもその認識が間違っているのかな。

本当はグラデーションを受け入れて、許容して、抱きしめていきたいと思っているけど、それと同時に極端なところもあるのが自分だというような気がしている。

これって表裏一体なのかな。リアルはグラデーションの中にあるということに誰よりも自覚的だからこそ、諦めているというか。決めるしかないとか、一旦こう思うしかないみたいな諦めが常に建前として自分の顔の前あたりに存在していて、それを無意識のうちに対外的には使っているのかもしれない。

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