見出し画像

【エッセイ】上野②─高崎城と和田城の話─(『佐竹健のYouTube奮闘記(25)』)

 駅からバスに乗って、高崎市役所の前で降りた。

 高崎城跡は公園になっていた。正確に言えば、公園だけでなく、高崎市役所のある辺りなども本来の城の敷地内に含まれるのだが。

 公園の右脇には長い土塁が続いている。

 長く続く土塁に沿って続いている歩道を、日傘をさしながら歩く。

(長いなぁ……)

 とにかく長い。一体土塁はどこまで続いているんだろう。そんなことを考えながら、ひたすら歩く。

 しばらく歩いていると、櫓と門が見えてきた。

 櫓は白い漆喰が塗られた二階建てのものだった。

 この櫓は乾櫓といって、かつては城の北西にあった櫓だ。明治のころに高崎城が陸軍の駐屯地になってから、別の場所へ移築された。それを戦後に移築したのがこの乾櫓である。

 乾櫓の下に門があった。

 この門は東門と呼ばれていて、かつては追手門から南へ行ったところにあった出桝形の門として使われていたものらしい。こちらも明治に別の場所に移築され、戦後にまた高崎城へと復元移築されたものである。

 乾櫓と東門から少し歩いた先に、ここに陸軍の駐屯地があったことを示す石碑があった。

 後で調べていてわかったのだが、明治に入ってから、高崎城は陸軍の管轄となり、施設が建てられた。この際本丸や二の丸の主要な施設は取り壊されたので、現在も残っているものは、三の丸の長い土塁と水堀しか残っていない。

(陸軍の施設があったのか。よくある感じの話だね)

 明治維新のあと、城跡に軍の施設ができたという話はよく聞く。新潟県の新発田城、大阪府の大阪城などがその代表例だろう。

 乾櫓と東門を見たあと、その向こう側にも何かあるのではないか、と思った私は、奥の方へと向かった。

 奥の方へと歩いてみたが、土塁と水堀がずっと続いていた。

 土塁の上に植えられた青葉の繁る桜木は、初夏の爽やかな風に吹かれ、堀の水面とともに揺らめいている。

 土塁の果てまで行こうかな、と私は思った。でも、暑いし、時間の都合もあるから、私はさっき来た道を折り返し、バスで高崎駅へと向かった。

 鉢形城や山名郷へは行かないのかい? と疑問に思った読者がいるかもしれないが、今回は諦めた。高崎へ着いたのが午後の3時くらい。そして、駅へと着いたのは午後4時半くらい。もう回れる時間的余裕はない。鉢形城や山名郷は、また今度行こう。


 帰りは高崎線を使って帰った。

 相変わらず長い道のりだった。籠原で乗り換える下りの列車よりは短いかもしれないが。

 大宮まで来ると、もう私の住む街が近づいてるな、という安心感に包まれた。個人の感想になるけれど、大宮より北側はやはり遠い。

 列車は浦和を経由して、東京の赤羽へと入った。私は赤羽駅で埼京線に乗り換え、十条駅で降りた。


   ※


 帰った後、私は後輩の配信で栃木と群馬へ行ったことを話した。

「え、栃木と群馬行ったの!?」

 興味津々そうに、後輩はその話にかじりついて来た。

『うん。佐野城と高崎城行ってきた』

「日本スネークセンターは行った? ロマンチック街道は通った? 華厳の滝は見た!?」

 後輩は好きなYouTuberが行った場所に行ったか、食い気味に聞いてくる。

『通ってないw てか、私の旅は鉄道使ってるから』

 私はありのままの事実を答えた。

「えー、なんか残念」

 少ししょんぼりした声で、画面の向こう側にいる後輩は言った。

 基本的に私の旅で使う交通手段は、鉄道と歩き、自転車がメインだ。それゆえに山奥や交通の便が悪い場所でのロケは難しい。正直やってみたくはあるけれど。

 私は心の中で、ごめんよ、と謝りながら、後輩の配信を聞いていた。


   ※


 後日私は図書館へ行って、高崎城について調べることにした。

 高崎城に関する説明について、本によって記述が2通りあった。

 一つは井伊直政が築城したという記述と、もう一つは、和田義盛の乱のあとに上野国へ落ち延びた和田一族が建てた和田城が前身になっている、という記述だ。

 前者は単純に井伊直政が箕輪城に入ったときに、以前の居城に替わる新たな拠点として作ったと書かれている。後者は前半の「井伊直政が箕輪城に入って」のところは同じだが、後半に「和田城を改修して高崎城とした」という旨の記述となっている。

(結局どっちなんだろう)

 私は少し混乱した。どちらの記述を採用するか迷った。

 後で高崎市のHPを調べたり、高崎城について書かれた他の文献を読んだりして、最終的に、

「井伊直政が箕輪城からかつて和田氏の拠点があった和田城に移してきたことに始まる」

 という双方の記述をいいとこ取りをした無難な記述に落ち着かせた。よくわからない和田義盛の一族云々の話まで語るのは、少しリスキーな感じがしたので。

 動画の方の反応はイマイチだった。このまま終わってしまうのも悲しい。ほんの一秒でもいいので、よければ動画を見てもらえるとうれしい。


【前の話】


【次の話】


【関連動画】

この記事が参加している募集

熟成下書き

日本史がすき

書いた記事が面白いと思った方は、サポートお願いします!