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【エッセイ】下野③─佐野城と佐野家の歴史─(『佐竹健のYouTube奮闘記(23)』)

 喫茶店から出た私は、両毛線の電車に乗って佐野城を目指した。

 車窓からは、少し伸びた稲が植えられている水田と青い山々が見えた。日本の原風景を題材に絵を描くと、絶対こういう作品がありそうだな、といった感じの。

 長らく鉄筋コンクリートと人の街に住んでいる私にとっては、とても情緒を感じられた。

 こうした場所に私も住んでいたことがある。けれども、きれいな地平線は見たことがなかった。確かにのどかな田園風景はあるけれど、近くに街は見えたりするし、下手すれば住宅街の中だったりする。

「やっぱり本格的な田園風景はこうでなくちゃね」

 田園風景の中に余計なものは少ない方がいい。山と青空、入道雲、送電塔、電柱、そして民家だけでいい。空に関しては夕焼け空でもいい。それだけでも絵になるから。


 佐野駅に着いた。

 佐野城について書く前に、この一帯を治めていた佐野氏と城主佐野信吉について説明しなければいけない。

 佐野家は藤原秀郷を祖とする藤姓足利氏の一族だ。

 聞き慣れない氏族なので説明しておくが、藤姓足利氏とは、藤原姓を名乗っていた足利さんだ。源氏から出ている足利尊氏の足利氏と区別するため、藤原を表す藤姓という枕詞がついている。

 藤姓足利氏といえば、『平家物語』の以仁王の乱のところで、平家方の軍勢が梅雨の大雨で水量の多くなった宇治川をどう渡ろうか考えていた。そのときに、馬で川の流れを緩めるというやり方で渡ろう、と提案した足利忠綱という青年が有名だ。

 話は佐野氏に戻るが、代々同市にあった唐沢山城を拠点としていた。時の当主佐野昌綱が、ここで北条氏康や上杉謙信と戦った話は、歴史好きの間ではよく知られている。

 そんな佐野氏であったが、房綱の代に跡継ぎがいないという事態が起こった。そこで豊臣秀吉の家臣であった富田家から養子をもらうことになった。その養子となった人物こそが、信吉である。

 信吉は唐沢山から現在の佐野駅前の一帯に城を移した。これが、佐野城の始まりである。

 だが、江戸時代の初めに兄がやらかしてしまったため、佐野氏はお取り潰しとなった。このときに佐野城も廃城となったのである。


 話は現代に戻る。

 改札を出てすぐの場所に城跡があった。目の前の三の丸跡には遊具などが整備されていて、子どもの遊び場となっていた。

 入り口側から見て右に鐘楼があった。中に鐘が吊り下げられていない。おそらく復元されたものなのか、もしくはどこかの寺にあったものを移築したのだろう。真実はよくわからないが。

 このまま歩いて二の丸跡方面へと向かった。

 二の丸跡の入り口には、地域の集会所を兼ねた資料館があった。資料館には瓦などが展示されていた。

 さっと資料館を見たあと、二の丸跡の奥へと向かった。

 奥には満開に花咲き誇るツツジの垣と池があった。

 池には錦鯉が十数匹泳いでいた。5月の陽光を反射し、きらめく水の中を泳いでいる様子は、初夏らしい爽やかな光景であった。私は持っていたカメラで写真と動画を撮った。

 写真を撮ったあと、本丸へと向かった。

 二の丸跡から本丸跡に移動しようとしたときに橋があった。その下には深い溝があった。おそらくここは堀だったのだろう。そんなことを考えながら、橋を渡る。後で調べてわかったのだが、ここの溝は実際に堀の跡であった。

 本丸跡には大きな石碑のある広場があった。本丸の名残と言えるものは、二の丸や北出丸の間を横切っていた堀跡ぐらいで、これといったものは無かった。だが、ここから石垣や礎石などが見つかっていることから、ここに城があったということは事実だ。

 北にあった北出丸の方にも行ってみた。

 北出丸の方は、コンクリート造りの謎の小屋があっただけで、あとはこれといった名残は無かった。


 駅へと戻ろうとしていたときに、私は西側から佐野の街と初夏の青い山々が見えることに気がついた。この日は天気が良かったので、さらに鮮やかに見えた。

(きれい……)

 私はウエストポーチにしまっていたカメラを取り出し、写真を撮った。

 撮る際にコバエが邪魔をして撮りにくかった。だが、何とか撮ることができた。青葉の繁る木の枝が、フレームみたいになっていて、少しおしゃれな感じがする。

 私は信吉がここに唐沢山城に替わる城を建てようと思った理由が、何となくわかった。眺めがいいからだ。

 眺めがいいということには、単純に景色がいいからという意味もあるが、一番はやはり、敵の様子を探りやすいというのが大きい。高いところに城があれば、敵がどこからどのように攻めて来るとか、そうしたことがわかりやすい。他にも、平野部に拠点があった方が交易がしやすいなどの理由もあるのだろう。あくまで素人の見解なので、深く考えていないのはご査収いただきたい。


 帰りは東武伊勢崎線を経由して帰った。

 駅のホームからは鉄の柱と線路、そして青い山々と空があった。

「栃木はやっぱり山がきれいだね……」

 栃木にいると、必ずといっていいほど、紺碧色のきれいな山を見る。

 停まっていた電車に乗る前、私はカメラを取り出して写真を撮った。

 青空のおかげか、写っている山がより色鮮やかに見えた。

 カメラのシャッターを切ったあと、停まっていた電車に乗って東京へと帰った。

(続く)


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