【私小説】私の進路と死④─タビノオワリ─
旅に出てから3日目。この日私は、初めて東京で朝を迎えた。
宿代を払って、外へ出てみる。
(それにしても、人多いな……)
人、人、人。朝だというのに、どこもかしこも人で埋め尽くされていた。時間帯ということもあるのだろうが。
東京に来ていつも思うのだが、どこに行っても人がいる。駅やその周りはもちろんのこと、閑静な住宅街や公園、細い道、寺社仏閣にも人がいる。
周りにこんなに人がいて、おかしくならないのだろうか? いや、ずっと東京に住んでいると人混みに関する感覚が麻痺してくるのだろうか。
そんなことを考えながら、車道の端にある自転車用の通路を駆けていた。
この日は富岡八幡宮へ行って、その後に浅草寺や上野公園、巣鴨の商店街、池袋に行こうかなと考えた。
富岡八幡宮と浅草寺、上野公園は写真を撮るため、巣鴨の商店街はテレビ番組でよく見聞きしていたことの真偽を確かめるために行く。池袋へは、行きたい心霊スポットがあるのと、宿探しのためといった感じだろうか。とにかく宿探しという目的以外は話題作りといってもいい。
両国の橋を渡って隅田川を越え、富岡八幡宮へとやってきた。
意外にも人が少なくて、静かな場所だった。かと言って田舎の神社のように、無人というわけではなく、参拝客も何人かいる。
朱で塗られ、金箔で装飾された派手な社から、黄色に染まった銀杏の木がひょっこり顔を出していた。屋根の後ろから顔を出していてもなお、社殿の雰囲気を損なわない感じが趣深くていい。
「今日もブログ投稿するから撮らないとな」
ウエストポーチからカメラを取り出した私は写真を撮った。
このとき、今日のブログの話題が決まった。
隅田川の脇にある道を走り、蔵前へと出た。
蔵前の手前辺りで、川の右側からスカイツリーと筋斗雲のようなオブジェが見えた。
(でっかいな)
さすがは日本一大きな建物というだけある。隅田川の対岸から見ていても、それだとはっきりわかる。
隠遁した後、自転車でスカイツリーの前を通ったことがあったのだが、
「これはいい感じのネタになるぞ」
さっそく私はカメラを起動させて写真を撮った。これは絶対に伸びるに違いない。
国際通りにある駐輪場に自転車を停め、そこから伝法通り経由で浅草寺まで歩いた。
人、人、人。
平日だというのに、人がたくさんいる。
私のように普通の服を着た参拝客。着流しを風流に着こなし、その上に羽織を着たり、首に襟巻を巻いた若い男。色鮮やかな生地で仕立てられた着物の若い女。キャリーバックのようなものを前に押し出して歩くおばあちゃん。老若男女という四字熟語を写真で表せと言われたとき、この写真を見せれば即合格できそうな感じだった。
お堂まで行途中、仲見世を眺めていた。
着物、昔ながらのおもちゃ、雷おこし、人形焼き。
仲見世にはいろんなものを売っている店がある。
特に驚いたのが、数珠を売っているお店だろうか。
その店の前には、メノウやヒスイ、水晶、タイガーアイなど、様々な種類の宝石で作られた数珠が並べられている。
(きれいだな……)
私は数珠を眺めていた。どれもキラキラしていてきれいだ。でも、買うお金が無いから、こうして見るだけしかできない。
いくつか数珠を手にとってみた。
最初に手に取ったのは、親玉と房が左右二つあるものだった。左側の房には玉が一つ多くついている。
次に手に取ったのは、親玉が左右二つあるが、房は一つしかないものだった。
(あれ? ちょっと形が違う)
最初に触ったものとさっき触ったものとで数珠の形が違うことに私は気がついた。この違いはどこから来ているのだろう。
品物が書いてあるところを見てみる。
最初に触ったものの品物には「数珠(真言宗)」、さっき触ったものには「数珠(曹洞宗)」と書かれていた。
「真言宗と曹洞宗? なんじゃそりゃ?」
歴史とか仏教のことはまったくわからないので、私は首をかしげた。けれども、仏教の種類の違いで使う数珠が違うというのはなんとなくわかった。
「これは読者に聞いてみようかな」
今夜に書くブログの中でその違いに詳しい読者に聞いてみよう。そう思いながら、参拝をしに門の方へと向かっていった。
参拝が終わったあとは、五重塔や本堂、雷門の写真を撮って上野公園を目指した。
お昼は上野公園で食べた。
東博と秋の色をわずかに残した木々の見える噴水に腰かけ、途中にあっファミリーマートで買った肉まんを食べる。
(そろそろ冬だね)
肉まんの暖かさとおいしさが、冬の寒さで冷えきった体にしみる。
(それにしても、やっぱり東京は人多いね)
多い。浅草寺から上野公園に来るまでにも結構な数の人とすれ違った。けれども、いざその中に溶け込んでみると、意外にも慣れてくるもので、何も感じなくなってくる。もしかしたら私は都会暮らしが向いているのかもしれない。
そんなことを考えながら、ゴミを片付けた。
(次は巣鴨へ行くぞ)
ゆっくり腰を上げ、私は目の前に停めていた自転車を動かそうとした。
「さあ、行こう」
ペダルを踏んで巣鴨へ行こうとしたときに、
「ちょっと君」
警官に声をかけられた。
「何ですか?」
面倒くさそうに私は尋ねた。
「行方不明の子と似てるね」
どこでこの警官は私の死出の旅路の話を聞きつけたのだろうか。私は恐怖を感じた。
「人違いか何かじゃないですか?」
「署の方まで来てもらえますか?」
「嫌だ」
私は必死に抵抗した。何としても、この旅だけは成功させるんだ。その思いで、警官から必死で逃げようとした。だが、警官の方が少し動きが速かったせいか、すぐ捕まってしまった。
警察に見つかって保護された私は、事情徴収をされ、家へと送り返された。私のグレートジャーニーは、わずか数十キロという短距離に終わった。
家に帰ってきたとき、母親から泣きながら、
「健。普通に高校へ行って、普通に就職して、普通に結婚して子供を産んで、立派に家を継いでくれればそれでいいの。だから、やりたいことなんて考えないで、普通に生きて! お願いだから、ねえ!」
これでハッキリとわかったのは、あの母親のエゴで強制的に生かされているということ。私には旅に生き、旅に死ぬことも許されていない。いや、それ以前にやりたいと思うことをやろうということすらも許されていない。前々からそう感じることが多々あったが、このことでよくわかった。
私は何のために生きているのかわからない。イエスキリストや源義経、坂本龍馬のように人生そのものに大きな意味は無さそうだし、かと言って紫式部や宮本武蔵のように卓越した何かを持っているわけでもない。むしろ私は、物覚えも悪くて手先も不器用、運動神経も皆無でコミュ障。大きな何かを成し得るような器ではないのは、自分でもよくわかっている。
でも、もし私に夢ややりたいこと、やるべきことが見つかったとき、この母親と戦わなければいけない。そのときは、不徳、親不孝のそしりを受ける覚悟で徹底的にやるつもりでいる。私の人生において一番の障害は、この母親だ。
【前の話】
【次の話】
【流浪編エピソード】
【関連】
書いた記事が面白いと思った方は、サポートお願いします!