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「第33回 神戸をわすれない」に参加して

少し前の話になりますが…、2月8日、「神戸をわすれない」という会が世田谷ボランティアセンターにて行われました🍀

今回で33回を迎えた当会。
意外にも、ボランティア活動の拠点となる「世田谷ボランティアセンター」で行われたのは今回が初めてだそう😲

今回、私は初参加で緊張していましたが、時間が進むにつれどんどん和やかな雰囲気になっていき、安心しました🌱

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「神戸をわすれない・せたがや」のはじまりについて
阪神淡路大震災から1年が経とうとするある日、世田谷から神戸にボランティアに赴いたさまざまなグループが、この地域で「神戸」での体験を共有してつながりたい、世田谷でのまちづくり、人の関係づくりに活かしたいと、立ち上げました。
ここ数年は、会員を募るわけではなく、1.17周辺に、年に1度の「わすれない」出会いの時をもち、会に集まった人たちが、思いを共有する場としています。


「せたがや災害ボランティアセンター」の活動について

まず、世田谷ボランティア協会 災害担当部長の安松 克昇さんから、「せたがや災害ボランティアセンター」の活動についてお話いただきました。

2019年10月に発生した台風19号。ここ、世田谷区内でも被害が発生しました。
安松さんからは、実際に被害を受けた場所を視察したこと(被害を受けた状況の写真や、地域ごとの実際の雨量など)や、「どうしてこのような被害が起こったのか」を区で検証していることなどをお話いただきました。

「野田北部・人とまちのいま」の上映

今回のゲスト、青池 憲司監督とその仲間たちは、兵庫県神戸市長田区の野田北部・鷹取地区に拠点を置き、その地域のまちと人びとの復興・再生の様子を記録し、14編にもわたる記録(記憶)ビデオ「人間のまち~野田北部・鷹取の人びと」を完成させました。

2020年の今年は、阪神淡路大震災から25年目、四半世紀の年です。
青池監督たちは、昨年12月、再び野田北部地区に赴き、25年目の地域をカメラに収めました。
そして、今年1月に完成したのが「野田北部・人とまちのいま」です。

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35分にわたるこの映画では、「生き残ってきた方々が、地域で集団をどう構築しながら生きてきたのか」が語られていました。
それぞれの震災経験が、今の行動につながっている。いつしか、防災や救援活動という「人が生き残るための最低限のもの」は、まちづくりという「今住んでいる場所をよりよくするもの」となり、いろんな世代やルーツの人が過ごしやすいまちへと変化していった過程がわかりました。

何より、「次世代に何をつなぐか」を住民が考え、行動している様子が伝わってきました。

25年を振り返り、あすにつなぐ

映画が終わった後は、青池監督と、佐藤 滋さん(早稲田大学 研究院教授)によるトーク「25年を振り返り、あすにつなぐ」が行われました。

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佐藤さんは、野田北部のまちづくりに最初から深く関わってきました。25年前、青池監督に誘われ野田北部に入り、活動を見て、「まちづくり」への可能性を感じたそうです。ちなみに青池監督は、もともとコミュニティに対する関心が高く、集団の映画を撮り続けていたため、「被害にあった共同体がどういうふうに再生していくのだろう」という興味を持って野田北部に入られたそうです。

印象に残ったことは、まず、「阪神淡路大震災から25年を経た神戸でのまちづくりから学ぶことは多い」ということです。佐藤さんは、野田北部のまちづくりについて「ワークショップなどで、初めからいろんな人を巻き込んで創造的にやるというわけではなく、町内会などのコミュニティをベースに、着実に外に向かって開いていった」とおっしゃいます。普通の人が普通に考えて、やりたいことを実現していくという、日常生活の延長上にあるまちづくり。そういった「住民主体」のまちづくりが始まったのも、阪神淡路大震災がきっかけだったとのことです。

次に、「まちづくり」という言葉は、訳せない言葉であり、「Machi-zukuri」として世界に知られている、ということです。というのも、佐藤さんは「『まちづくり』というのは、ここ50年の間に取り組まれた文化的な活動で、初めは『閉じて』いても、他人が入ることで『開かれた』ものとなり、当たり前になっていくものだ」とおっしゃいます。例えば、今では災害が起こると当たり前に必要とされる「復興公営住宅」も、阪神淡路大震災の時の住民と行政、専門家が協力して生みだしたからこそ、できたものだそうです。
ちなみに、「開かれた」まちづくりには、災害FMのような小さなメディアの影響が大きいようです。それは、バラバラになった住民の活動を1つにまとめ、それを伝えることができるためです。

災害を想定する報道では、どうしても「大災害からどうやって身を守るか」ということにフォーカスされがちですが、「その後のまちづくりをどうするのか」という視点も重要だと青池監督はおっしゃいます。そして佐藤さんは、「復興」には、今までやってきたことが連続してつながっていくことが大切だと考え、地域での事前復興まちづくりのワークショップを東京で提唱してきているそうです。

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この会でいただいた、神戸市長田区・長田神社商店街の和菓子のお店「きねや」さんのお饅頭。甘くておいしいのはもちろん、パッケージにはおみくじが入っていて、遊びごころを感じられます。
「きねや」さんは、1916年に創業した、老舗和菓子店です。「神戸をわすれない」の会では毎年、このお饅頭を取り寄せ、神戸の今に思いを馳せてきました。
「だんだん店もたち行かなくなってきて、そろそろやめなくては」と弱音を吐いている、店長の松田さん。震災後も必死に商売を続ける中で「世田谷で、こういった会を続けてくれていることが、とても励みになる」とおっしゃっているそう。世田谷からも長田を訪ねたり、お菓子を取り寄せたりすることで、応援したいですね。

きねや本舗
〒653-0003 兵庫県神戸市長田区五番町7丁目8

ねつせた!メンバーとして

今回、私は初めて当会に参加しました。主催者の方からは、「最近に起こった災害では、SNSの影響力が大きいとわかった。これからも重要になってくると思う」と言っていただきました。
ねつせた!は、SNSで情報を発信するプロジェクトです。これからの世の中、特にこのご時世ではコロナのことなど、いろんな課題に立ち向かっていく中で、SNSを使って私たちがどのような情報を発信していくのか、ということを考えさせられました。

今、ねつせた!メンバーとして活動している私ですが、実は阪神淡路大震災の年に神戸で生まれ、育ちました。もちろん当時のことはわからないですが、母からは妊娠中に避難所生活をして大変だったことなどを聞いています。そのため、心のどこかで「あの頃、誰かが助けてくれたから、今の自分がいるのかもしれない。」と思っていて、それが知らず知らずのうちに今のねつせた!での活動にもつながっているのかもしれません。

私たちねつせた!が活動している世田谷は、市民活動やまちづくりがとても盛んな場所です。そんな世田谷で、自分の地元である神戸のまちづくりについて学ぶというのは、誇らしいような、なんだか不思議な感じがします。そして、そのような「まちとまちの繋がり」は、自分の生い立ちや、歩んできた人生を振り返るきっかけにもなり、今までの人やもの・ことへの「出会い」というのは、大切なものだなあと感慨深くなりました。

最後に、この会の主催者・星野 弥生さんが、「セボネ」2020年4月号に、今回の会について寄稿されています。ぜひご一読を!

(りお)

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