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「あなたを愛するために、生まれてきました」

ある日、いつものようにゴロゴロうとうとしていたところ、ある情景があたまに浮かんできました。

わたしがお母さんの子宮に生を受けたばかりの ミジンコサイズすなおちゃんだった頃のことです。


胎内記憶と呼べるような確かなものでもないし、確かめようもないので 妄想でしかないかもしれません。

だから、これはわたしの中だけの真実のはなし。


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お母さんのおなかのなか。

ちいさなちいさなわたしの原型、タイニーすなおちゃんの身体に宿った わたしのたましいさんはこう言います。


「あなた(わたしの身体)に出逢うために、生まれてきたよ」

「会いたかったよ」


魂と、身体。

この出逢いを果たした時点で、わたしという存在は、すでにパーフェクトだったのです。

魂と この身体が出逢った時点で、全て完成されていた。


魂というものが本当にあるのかわからないけど、わたしの魂は、わたしの身体と出逢い ともに生きていくためにこの星に生を受けた。


だから、魂がこの身体に出逢えたところで  すでにゴールテープは切っていたのです。

人はどこか遠い場所にあるのであろうゴールに いつかたどり着くことを願って人生という旅をする。

でも、そうじゃなくて、他の誰でもなく わたしがわたしとしてこの世に生を受けた時点で、すでに全ては完璧だったのです。


どんな人生を歩むのか、そんな小さなことは一切問題じゃない。

わたしがわたしに出逢えたこと、そのことがなにより価値のある最高なことだから。

何かを得るときも、何を失うときも、自分が「この自分である」ということ。この人生において、それ以上に価値のあることなんて何もないのです。


この人生の目的は、わたしが受精卵だった時点ですでに達成されていたのです。

ちゃんとした健常者になるためでもなければ、何か大きなことを成し遂げるためでもない。

わたしはただ、この私に会いたくてこの世界に産まれてきました。


この奇跡の出逢いを果たした時点で、わたしの命はすでに この宇宙で最も崇高な結果をたたき出していたのです。


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