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自分爆開花で生きる。-被害者の人生から創造者の人生へ-

今までたくさんのものを恨んで、生きてきました。

今までたくさんの憤りを感じて、生きてきました。


楽しいことや幸せなこともたくさんあったし、感謝できることももちろんたくさんあるけれど

それと同じかそれ以上に、恨みや憤りといった感情たちにもまた、特別な存在感があるものです。



たとえば、わたしはわたしの中で、こんな悲しみと再会しました。


お母さんと離れたくないのに、幼稚園に行かなければいけないことへの悲しみ。

朝が苦手なのに、学校の時間に合わせるために無理やり体を起こして動かなければいけないことへの深い悲しみ。


それから

「嫌なこと、みんなで我慢しましょうね」という圧力をかけてくる大人たちへの憤り。

学校や社会から感じ取った「苦手なことは克服しなさい」「周りと足並みを揃えるために、得意なことは発揮しないようにしなさい」という圧力への憤り。

自分の苦手とすることの価値ばかりが評価される世の中への絶望感、やるせなさ。



「自分より若い女だから」という理由だけで、自分の機嫌を取らせるための道具にしようとしてくる男たち、

見た目をそれなりに小綺麗にしてるってだけで、コンパニオンのように扱おうとしてくる男たち、(あたしはアンタたちのために可愛いわけじゃない)

お金さえ払えば女を思い通りにできると思い込んでいる男たちへの嫌悪感。恨み。

資本主義的な男尊女卑の価値観を疑いなくあっさり受け入れて懐柔されている女たち(過去の自分の姿)への怒り。


自分をころして生きることを「正しい人の道」として次世代の子どもたちに教育してきた大人たちへの恨み。

人や自分を傷つけてしまう人間で溢れた社会を作り上げた大人たちへの怒り。


「人に迷惑かけないように」「自分のことは自分でやりなさい」と子どもたち世代に教育しておきながら

自分たちが老いると今度は「年寄りをいたわれ」とばかりに執拗なかまってちゃんに豹変する老人たちへの嫌悪感。


それから

金と権力さえあれば搾取も人殺しも正義になるこの世界を作り上げわたしたちに残した祖先たちへの恨み。

弱き者は力で屈服させればいいという世界観で生きる人類への嫌悪感。



そして何より

そんな怒りや恨みを抱えながらも抵抗することのできなかった、自分を守ることができずにいた、世界をなんにも変えることができずにいた無力で小さな自分自身への憤り。悔しさ。



こういうのって、一般的にはあまり褒められた感情ではないと思います。

上に書いたことの中には〝言っちゃいけないこと〟みたいなのが含まれていることも一応わかってはいます。


でもわたしには、それらの存在を無視して生き続けることは、できませんでした。

怒りや恨みや絶望感を、まるで持っていないかのように生きることは

自分の孤独を無視するのと同じことだからです。


怒りや憎悪や絶望感を、なかったことにして生きようとすることは

自分をひとりぼっちにするのと同じことだからです。


幸いにも、わたしはその痛みに耐えることができませんでした。

早い段階で耐えられなくなって、よかったなと思います。

もしもこの痛みに耐え続けられてしまったら、自分の孤独を無視し続けることができてしまっていたら

その先でわたしはきっと「凶悪な加害者」へと変貌してしまっていたと思うから。



ある日、

自分の中にある怒りや憎悪を丁寧に紐解いていった先に、本当の自分のいのちの光があるということを知りました。


闇の中から現れたその光は、建前や損得勘定などで作られた見せかけのそれとは全く違っていて

『爆発的』とも言えるくらい、これまで体験したこともないほど圧倒的に眩しくて、そして同時にどうしようもないほどあたたかいものでした。


その光に出会うことで人は生きながらに生まれ変わることができるのだと、現実世界の絶望の真っ只中で、わたしはそう確信したのです。



真っ暗で何がでてくるかわからない、自分の中の闇に潜っていくことはとても辛いものです。

その道を進む途中では、自分でも途方に暮れそうになるほどの巨大な感情のかたまりに遭遇したり、自分でもうろたえてしまうような熱い怒りを見つけるかもしれない。

でもそれらを通過した先で出会うのは、おそろしい怪物などではなくて

圧倒されるほどにあたたかい祝福と、心からの安堵感。

そして、本当の自分を表現して生きる〝わたし満開🪷〟の生きかたを創造する豊かなチカラの源が、そこにはあるのです。



被害者意識は、すべて創造のたねに変えられる日が来る。

わたしはそう思っています。


自分が自分を知ろうとし、忘れていた自分と再会することで

わたしたちは、孤独やかなしみを圧倒的な光に変えていくことができるんだ。

そんなふうに思っているのです。




今日は、noteのヘッダーにもかかげている『自分爆開花』について書いてみました( ˊ࿁ˋ ) ᐝ

まあ、真新しい内容ではないんですが、自己紹介みたいなもんですかね。


自己紹介といえばこちらの爆長文noteですが。笑

(これ、ひとつの記事にまとめないでエピソードごとにわけて書けばよかったなあって今さら後悔です。いつか作り直そうかな)



そうそう。

今までも何回かお知らせしてたんだけど、今度『性 × 自分爆開花』ってテーマでお話しを書いていきたいなあって思っていて

それってどーゆーことなんですかねって話なんですけど


今日書いたみたいにね、

自分の中にある

怒り、恨み、憎しみ

悲しみ、痛み、トラウマ

寂しさ、絶望感、やるせなさ

とかっていう「創造のたね」にエクスタシーで火を付けることで

失っていたチカラを取り戻すことができるし、眠っている〝 本当のわたし(自分の中の神性) 〟が爆発するように開花していくってわたしはすごく感じたから

こういうテーマでこれから書いていきたいなーって思ったのです( ˊ࿁ˋ ) ᐝ


心だけで向き合って自己受容しようって思って、できるならいいけどぶっちゃけ結構むずいじゃん。

少なくとも私は心だけじゃできなかった。

心で向き合うだけじゃ、どうしても満ちない「何か」があるように感じてたんだよね。


そのなぜか欠けているように感じていた「何か」がね、

ずっと見ないようにしてきた性(生物の肉体を持つ自分)というものを直視して、自分のからだと仲良くなることで満たされていくのが、私には はっきりと感じられたんだ。


女性の性って、(女性自身の意識の中でさえも)なぜかその価値が低く低く見積もられてるけどさ。

エクスタシーっていう体感を何度も何度も自分に刷り込んで覚えさせることで、

どんな恨みもトラウマも被害者意識もちゃんと塗り替えていけるし自己受容なんて余裕でできようになるし、

そのくらい物凄い癒しと創造のパワーを誰もがそもそも体内に秘めてんだから、みんなが自分の性を大切に思える世の中になるといいよねっておもうんだ。


だから「性が低俗なものである」なんていう意識を引き継ぐことは自分のところで終わりにしなきゃなって、思うんだあ。



なんか今まで四年?とかnoteやってたのにちゃんと書かなくてごめんねケチってたみたいでって感じなんですけどね。。

でもまあ、きっと今がタイミングなんだろうということでこれからがんばろうと思いまあす。


嫌いなものは嫌いなまま、許せないものは許せないままで。

闇と光の全てを内包したまま、自分という存在を満開に咲かせてまいりましょうね〜🪷🪷🪷

爆🫶🩷




そういえば

そろそろ大好きな酔芙蓉のお花が咲く季節かな〜と思って

今日は近所のお寺と神社にお花見に行ってきました。

蕾はどピンクなのにお花は真っ白。日中と夕方で色が変わる不思議なお花なんだって。前に見たときは淡いピンク色だったな。


記憶の中の酔芙蓉はふわふわ柔らかくて優しいイメージだったけど

久しぶりに会ったらめっちゃ爆開花してて怖いくらいだった。鳥肌立ちながら見ました。


でかいんだよおおお



今、これを見てくれてるあなた様とわたし様の人生が、まるで酔芙蓉の花のようにこれからこわいくらいに(笑) 爆開花していきますように〜🪷

ということで本日は以上です。

ご清聴ありがとうございました。




最近再開しましたSunaoのおみせやさん💒

ハートが潤うちゅるるんアクセサリーや雑貨たち、自分爆開花♡女性性爆開花♡のお守りにお受け取りいただけましたら嬉しいです🩷



過去記事の玉手箱たち⇩(個人的に特にお気に入りのnoteをテーマごとにお詰め合わせしました🎁)、多くのかたにお受け取りいただけてとても幸せに思っています。

(現在は3種類の玉手箱をご用意しています🧸)


だれかが道に迷いそうになったとき、孤独を感じたとき、ひとりで泣きたくなったとき。

ここに残した言葉やメッセージたちが、ぎゅっと隣りで手を握って差しあげられるような存在となりますように。



こちらもよろしくです🦥

「自分を好きになる」の、その前に。基本の書。


最後までお付き合いありがとうございました。

それではまた〜。



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