人間の「性」が暗示する、幸せのつくりかたについて。
昨日の夜は風が気持ちよかったので、パートナーの京介くんと二子玉川(東京都)の駅の近くの河川敷の芝生に座って、終電近くまでまったりお話ししながら飲んだりしてたんですが
昨日は小さなおともだちのキウイ↓(鳥です🥝)も一緒に連れていったんですよね。
で、おうちに帰ろうと思って駅に向かっている途中で、キウイがいないことに気づいたんです。
びっくりして、二人で慌ててキウイを捜索しに川のほうに引き返している途中、、、
道の端っこの なんか台みたいなのの上に うちのキウイくんがちょこんと置かれているのを発見。
きっと優しいどなたかが、道端にキウイが転がってるのを見つけて安全なところに避難させてくれたんだね。
姿は見えないけど、でも確実にそこにあった誰かの優しい気持ちにふれて、胸がじんわりあったかくなりました。
キウイ拾ってくれた人ありがとう。
直接お礼を伝えられなかったので、キウイに優しくしてくれた誰かさんに今日からいっぱいいっぱいいいことが起こりますようにと、にこたまの空に光るお星さまたちにお願いしました。
わたしも道端に誰かの大切なキウイが落ちていたりしたら、そっと拾って安全な場所に移動させてあげられるような優しい人になりたいと思いました😌
…
さてさて。
今日はサブスク版の『Sunaoの〝感じる〟女性性マーケティング塾』のほうを更新して参りたいと思いますよ🩷
今日は、そもそも論、『女性性マーケティング』って結局どういうことをしたらいいのかっていう話を書いていきたいと思うのです。
なんか、男性社会の中で一生懸命男性に擬態しながら男性と張り合って自分を殺して恨めし顔して生きてる女の人を(自分の世界から)消滅させたいなあって思うからさ。
だから、(男女とか HSP/非HSPとかの二元論で語るとまた色々言われちゃうかもだけど)女は女のやりかたで、HSPはHSPのやりかたで、私たちが幸せになる独自のルートってもんを築いていきたいよね〜って。
だって、そもそもだけど、男性社会の(土の時代の価値観に基づいた)仕組みの中で私たちが屈強な男性を見習ったり男性と競ったりして幸せになれるワケないじゃん。って思うからさ。
これは女の人だけじゃなくてさ。
性別問わず、
繊細さん向けじゃない社会の仕組みとか価値観の中にわざわざ居座って、繊細さんじゃない人を見習おうとしたり
屈強な人類たちと(あきらかに自分に不利な条件下で)競ったりしたって、私たち幸せになれるワケないじゃんね。って。
幸せになるどころか、こっちは満身創痍だよ。
って思うから。
だから、世の中で「THE・正解」とされているような「成功のしかた」みたいなものとは全く別の幸福街道を自分たちの手で作っていかなきゃだよね〜って。
それでね。
最近のわたし氏は「性教育の先生になりたい🪷」という夢を掲げているので、
今日は女と男のそれぞれの身体的な性感の特徴から、私たちの幸せの作りかたを考えていきたいと思います。
仮にもマーケティングの話なのに、なんでわざわざ身体的な性感の特徴なんてものについて書く必要があるんですか、すなおさんそんなに下ネタが話したいんですかと言われるかもしれませんが…(まあその通りですが)
この話は単なる下ネタにあらずなのですよ。。
それぞれの性感の特徴を紐解いてよーく見てみるとね、
これがまた、あらゆる面においての『極上の幸福への道順』を私たちに示してくれているように感じるのです。
(性ってやっぱり奥が深いです)
ご自分の身体と真面目に向き合った経験のあるかた(特に女性)ならよーくわかるかと思うのですが…
極上の幸福、つまりオーガズムの性質が女性と男性(内側と外側)では全く違うから、
私たち女性的な生き物が、全く違う性質を持った男性的な生き物の真似をするのって、実はめちゃくちゃ勿体ないことだったりします。
女性とかHSPって、思考で想定できる範囲の幸せを遥かに超えるような「神的な奇跡」とか「規格外の快楽」を受け取るチカラがちゃーんと体内に備わっているのに、
そのポテンシャルに蓋をして、自分以外のもの(「ちゃんとした大人」とか「物分りのいいイイ女」とかいう謎の生物)になろうとしちゃうんだよね。
で、
その本来のポテンシャルを思い出そうよ!
その秘めたるチカラを存分に使って、人類のみなさんにモテちゃおうよ!
っていうのが、わたくしの提唱しております『女性性マーケティング』っつーものなんですよね。
とまあ、女性性マーケティングの説明はこのくらいにして。。
男女の性感(幸せのつくりかた)の違い いきますね。
まず男性的な生き物の性感の特徴からざっと挙げていきます。
(性別が男だからみんなこう、とかではないですが傾向として)
これに対し、女性的な生き物の性感の特徴がこちら。
(これも女だからみんなこうだということではありません)
(むしろ膣内の性感が開かれていない女性の場合は、男性の性感の特徴のほうが共感できると思います)
ちょっと抽象的かつ雑で申し訳ないですがこんな感じですかね。
ベクトルとしては、男性が「外側」なのに対し、女性は「内」とか「奥」。
男性は相手に意識を向けることで自分側にも喜びが返ってきて、女性は自分の感覚に意識を向けるほど相手にも力を与えられる。
男性的なオーガズムが「天に突き抜けるような瞬間的な到達感」的なカラーが強めなのに対し、女性的なそれは「全身に響きわたる絶え間ない幸福感」の色が強い。
全く逆方向の意識とか質感なので、男性的な特性を強く持った人が女性の真似をしても満たされないだろうし、
反対に私たち女性的特性を強く持った人間が男性の真似をしたとしても、脳とか体の構造上、満足感は得られないんですよね。
先ほども書いたように、
これは性感の話だけに留まらず、自分や人を幸せにするにはどうしたらいいのかということを暗示しているように私は感じているのです。
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