『泣いてもわめいても、願いが叶うことから逃げられない』
今年の5月25日に公開した『もっと見つめ合えていたなら』という記事があるのですが。
その記事の中で、私は私自身について「これまで目と目を合わせるコミュニケーションからずっと逃げてきたのかもしれない」というふうに書きました。
“ 単純に恥ずかしかったのかもしれないし、幻滅されることが怖かったのかもしれない。自分を知られるということに耐えられなかったのかもしれない。”
だから相手を大切に思うようになればなるほど、真っ直ぐに目を合わせるということを避けるようになってしまっていたのだと。
そのようなコミュニケーション不全により自ら無意識のうちに壊してしまった関係がたくさんあったからこそ、
次に誰かを愛するときには、しっかりと目と目を合わせて自分の思いを手渡すコミュニケーションをしていきたいと願ったのでした。
そしてその次の回、5月28日に公開した記事の終わりにはこのように述べています。
この宣言通りうっかり大恋愛に突入してしまい、この2ヶ月ほどの間、noteが書けなくなるという事態に陥っておりました。
正直、恋してなくても人生楽しすぎるって思っていたし、それに(ド恋愛体質の私のことだから)このタイミングで特別な人が出来てしまったらすべてのバランスが崩れてしまうって自分でもわかっていたので、
私としてはまじで求めていなかったんですよね、恋愛というものを。
(そのうちもーちょっと先の未来でできたらいいかなーくらいには思ってたけど)
しかも定期購読版Sunaoの着想が湧いて、すぐに審査も通って秒で動かし始めて、よし今からまた仕切り直してがんばろうって思った矢先のこと。
人生さんがどうしてこのタイミングで私にプレゼントしてくれたのかはわかりません。
でも、私は抗えずに受け取ってしまったのですよね。縁という名のギフトを。
大切に思う人と、 もっと見つめ合えていたなら。
そんな思いを胸の奥に抱える私がうっかり出会ってしまったのは、
「この人の目を見つめていたい」
言葉にして思うよりも早く、本能でそう求めてしまう相手でした。
立場も経験もどこの誰なのかも。
名前も年齢も性格もバックグラウンドも。
あらゆる情報をすっとばして、目と目を合わせた瞬間シンプルに「ああ。わたし、きっとこの人のことを好きになる」、そう感じたのです。
これまで長い間、頭で考えた損得勘定や条件によって付き合う相手を選び「恋愛ごっこ」「パートナーシップごっこ」をしてきた私です。
そんな私が、ここまで年月をかけて身につけてきた「正しさ」とか「こうあるべき」を捨てて、本能とか遺伝子レベルで誰かと惹かれ合ってしまうことを自分に許せたことを祝福したいなって。
説明できるような理由や根拠があるわけじゃなくて、自分に足りないものを埋めてくれそうな相手だからとかじゃなくて、
ただその人を見つめる喜びに感動することを自分に許せた自分をわしゃわしゃと抱きしめたい。
磁石のようにどうしようもなく惹かれてしまう相手を自分の人生のなかに生み出すことのできた自分に、心からのありがとうと賞賛を贈りたい。
やっぱりnoteに書いたことって、叶っていってしまいます。
言葉にすることで、自分が潜在的に望んでいることがはっきりとしてくるから。
心のなかにあるもので まず真っ先に現象として具現化されていくのって、表面的に自覚している “願い事っぽい願い事” ではなくって、もっと奥のほう、潜在意識に信念レベルで秘めている思いのほう。
潜在意識が無価値感でいっぱいだったらそれを証明するように優しくない世界が眼前に広がっていくし、
はんたいに潜在意識が愛で満ちているのなら、自分の世界は安心で満足なものになる。
その潜在意識下の思いと仲良くなるためのツールがアウトプットだったりするのだよね。
だからnote神社のパワーは偉大。
泣いてもわめいても、願いが叶うことから逃げられなくなる。
noteでなくとも、手書きのノートでも、やっぱり書くこと・話すこと・表現することは、人生の次のチャプターを開くための大きなチカラとなるのだと感じました。
みなさんもぜひnoteでもノートでも他の方法でも、内に秘めている願いや欲求を掘り起こしてみて、
アウトプットによってご自身の思いを天高く打ち上げてあげてみてくださいな。
恐れや制限や恥じらいをこえて本当の胸の内を表明できたとき、きっと日常を鮮やかに彩る “想定外の” 出会いや出合いが 巻き起こってくるはずだから。
+++
ふう。。
正直、「自分の恋愛事情なんて書いたところで誰にも受け入れられないよなあ」っていう “拗ね” だったり、
「こんなの誰も求めてないよなあ」みたいな怖さみたいなものしか今でもなかったりするのですが。
たった一人の誰かのことを想う以外のことがなんにも出来なくなったとしても、私書くことをやめたくないし、
それに、『相手の瞳に映る自分自身を信じる』というプロセスを経るからこそ知ることのできる心の世界をシェアしてみたいって思うんです。
「来年の目標は」とかそういうこと言うのって基本的にしないんですが(未来はできるだけ真っ白にしておきたい)、
やっぱり私って恋愛の話がすごく好きなんだなーって思うから、近未来的には(色恋沙汰を含めた)恋愛とか真面目なパートナーシップ、人間関係、コミュニケーションなんかについて話せる場を作ったりしていけたらいいなあって思うんですよね。
“場” と言っても大げさなものではなくて、今の延長線上で一対一でお話ししたりとか、そういう感じですが。
そういうことをしていくためには、やっぱりありのままの自分の現状だとか気持ちを表現することを制限しちゃいけないなって思うのです。
この2ヶ月間くらい、表現する・書く・打ち明けるということに関して、本当に自分で自分にすごく制限をかけてしまっていたから。
「こんなこと書いたってしょうがないよなー」とか「誰も私にこっち方面の話なんて期待してないよな」っていう気持ちで、勝手に自分に制限をかけてしまっていた。
『影響力がないのは怠慢です』というのは私が密かに胸に刻んでいる言葉なのですが、
こうして自分の気持ちを表現(アウトプット)しなかったこと、自分への集中力を途切れさせてしまったことは本当に私の怠慢であるなとすごくすごく感じています。
もちろん気分がのらないときはその気分に正直に、でもやっぱり私は偽らない飾らない私を表現していたい。
自分を制限してしまうとかそういう苦しさをこの2ヶ月間味わってみたけど、
やっぱり表現することを「やめる」ということは私はしたくないんだわ、と改めて感じるのです。
アウトプットをしないと、私という存在が淀んでしまうから。
という、なんだか本題よりも長いひとりごとになってしまいましたが、本日はこれにて解散です。
どうもありがとうございました。
+++
🐑 お知らせ① 🐑
心が多忙につき、LINE、DM等個別の連絡の返信がたまりにたまっていつも以上に反応が遅れています。
個人的に連絡をくださっている皆様におかれましてはどうか広い心でお待ちいただけますようお願いいたします。どうもすいません。
🕊 お知らせ② 🕊
定期購読版Sunao『優しいマーケティング』の話をしよう。に関しまして、これまでマガジン内の記事を一記事から単独でご購入いただけるようそれぞれに価格をつけていたのですが、
そうしてしまうと、マガジンをご購読いただいたかたに ご購読開始月以前の過去記事を(新たに課金しないと)お読みいただけないという問題が出てきてしまうことから、このたび単独での記事の販売を取りやめることにいたしました。
10月以降にご購読をスタートしてくださいました皆様におかれましては、現在過去記事も再課金なしですべてお読みいただけるようになっておりますので、ご興味のあるものがありましたらぜひチェックしていただければと思います。
またこれからご購読くださるかたも、ご購読開始月以前の過去記事もこちら(↓)からすべてお楽しみいただけますので、この機会にぜひご登録いただけましたら幸いです🌸🌸
無料版・定期購読版ともに、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
それではまた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?