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おじさんになったお客様

いつものように通院のため路面電車に乗って病院に向かっていた。結構な勾配の坂道を上っていくから、少しだけ身体が傾くのを足の裏に力を入れることで耐える。窓に背を向ける横並びの座席に座っていた。理由はないがこんな傾きを無理して耐えているなど、周りの人間には知られてはいけないような気がした。 「おじさんになったお客様は」 意味もなくスマホでsns巡りをしている中ふと、車内放送が耳に入ってきた。一部しか聞き取れない。スピーカーが古いのか掠れた割れた機械的な女性の声が途切れ途切れに流

    • 一人じゃない

      朝目覚めると彼女はもういなかった。 家の裏道を通るトラックの音が、まどろんだ意識を横切っていっていってからしばらくして気付いた。布団の上からでも、台所にいつもあるはずの気配がそこにないのは分かった。 彼女の鼻歌交じりのご機嫌な歌も、バカみたいに音量のでかいテレビの音も。目覚まし代わりにならないほどか細い、自分を呼ぶ声も。 失うとどんなに大事だったのか分かるのは本当だった。 何も残ってない。最初からこんなに静かだったのか。 身支度をして家を出た。 いつも通り。いつもと違うと

      • 【雑記】感謝レベル

        私は自分のことを、感謝できない人間だと思っていた。 いつからそう思い始めたのかは分からない。 感謝することはとても難しいことなんだと思っていた。 有り難いと思っていることを相手に伝えるために、抑揚を込めた声でにっこりと微笑んで感謝の言葉やお礼や、いかに有り難いと思っているか伝えたり行動で示すことが、感謝する流れだと思っていた。 もちろんそれも間違ってはいないとは思うけれど、恐らく感謝にはその人や出来事によってレベルがあるんだと思う。 ※感謝レベル1※ 相手が何かしてくれ

        • レンタルできるもの

          今日は一言も話さなかった。 会社に行って仕事(になっていると思いたいけれど)をして、帰ってくるだけ。 列になっている静かなデスクの沈黙に耐えられず、一錠だけ安定剤を飲んだ。少しふわふわして、目の前がぼんやりして考えを突き詰めることが難しくなる。でもそれでいい。突き詰めたところで答えが出る問題とも思えない。それにこんな状況ではどちらにせよ、良い回答なんて出ないだろう。 寂しいも孤独も通り越してきたら、それがなんという名前なのか分からなくなった。 人も物も動物も全てが同じに

        おじさんになったお客様

          ルール

          先生は『この時間が終わるまでは席を立ってはいけません』と言い残して教室を出ていく。立て付けの悪いドアが、ガラガラと雷のように閉まった。 壁越しに廊下を走っていくスリッパの足音。何か大事件でもあったんだろうか。 今日の3時間目の国語は自習みたいだ。 黒板に大きな字で「じしゅう」と書いてある。 せめて何かプリントでも配ってくれればいいのに、一体何を学習したらよいのか。 「ねぇ、凄い顔してたね!花ごりら」 前の席のみかちゃんが、大好きなミッキーマウスに握手してもらった時くら

          ルール

          【雑記】パッションフルーツ

          パッションフルーツが好きだ。 香り、味、食感。見た目はあまり好きじゃない。蛙の卵みたいで。美味しさを知らなければ食べてみようなんて思わない。 好きなものリストに積極的に入れていた訳ではなかった。 何となく子供の頃から好きで、最近になってなんとなくパッションフルーツのドライを買って食べてみたらはまってしまった。こんなに美味しかったかな。砕かれる種の食感もカボチャの種のようで軽く重く楽しめる。 生のパッションフルーツを買ってみた。 ドライフルーツは砂糖浸けになっているから美

          【雑記】パッションフルーツ

          【雑記】向こう側

          ふと、このバイクから飛び降りたらどうなるのだろうと思った。 純粋な興味もあった。けれど、身体がくっついていても孤独なことに疲れて、その状況に空しさを感じ始めていたからかもしれない。目の前の身体は暖かいけれど遠い。ぼうっと見下ろす先に、視界に捕らえきれない速度で流れていくアスファルト。 大してスピードは出ていない。このまま身体を傾けたら、映画のスタントマンのようにぐるぐる回転しながら道路に叩きつけられて息絶えるのだろうか。後ろを走っている車に巻き込まれたら、さぞ迷惑だろう。

          【雑記】向こう側

          境界線

          彼女は怒っている。 私は不機嫌です、と誰にでも分かりやすいように丁寧で冷たい声音を放ち、笑っていない目元を隠す気もなく口元を歪める。語気を強める。私を威圧できていると思っている。 ただの一人舞台の観客になる気は毛頭ない。 隣の店員は、きっと関わりたくないのだろう。一瞬で変わった空気を察知して、別の客の相手を始めた。いつも相手にしてもらえていないのか。上司だから逆らえないのか。萎縮したような小さな声で接客している。 少しだけ羨ましい。沸き上がる感情を思いのままさらけ出して

          境界線

          崇拝者

          何がそんなに面白いのか。 背後から女性の笑い声が聞こえる。若そうな、頭が悪そうな耳をつんざく高音。時折小さく間が空く、それはかなり息が詰まっていて、つまり腹を抱えて笑うときのそれだ。同じような女性の声色が重なって、失敗したハモりを聞かされているみたいにいたたまれない。 頭では違うと分かってる。正確に言えば、違う可能性が高いと分かってる。だってここは、人通りの多い新宿の歩行者天国だし。そこかしこから笑い声なんて聞こえてくる。 だから、こんな人がごった返している中で、後ろを

          崇拝者

          芝桜って桜じゃないの?

          芝桜って桜じゃないの?

          散り際の桜

          散り際の桜

          いろんなチューリップ

          いろんなチューリップ

          空飛ぶぺんぎん

          空飛ぶぺんぎん

          お笑い

          「ねぇ、何見てるの?」 「ん?お笑い」 「面白い?」 「そうだね、結構。っくくく」 一瞬だけスマホの画面から外された視線は、僕と目が合う前に再び画面に吸い込まれていった。コード付きのイヤホンは耳からだらしなく垂れ下がって、そのまま彼の手の中におさまる黒いスマホの上部に刺さっていた。彼の肩が揺れる度に、コードが腕に纏わりついている。絶妙な角度で画面は見えない。分かっている。わざとだ。 「ねぇ、何見てるの?」 「お笑い、だって」 不規則な呼吸のリズムに巻き込まれて、言葉がは

          お笑い

          はりぼて

          その先に何かがあるのかもしれないけど。 とにかく私は、周囲を黒いのっぺりとした壁に覆われて、ただ立ち尽くしているだけだった。 身長よりもはるかに高い、終わりなんて見えない壁。辛うじて闇とは別の平面を感じるくらいの微かな明かり。 時としてふわふわとそよ風にゆらぎ、嵐のような強風にはためき、突然止まる壁。 でも実際にそれが本当に壁なのかどうかなんて私は知らない。 黒くもないのかもしれない。 皆そう言うんです。 だからきっとそうなんです。 もしかしたらフェルトかもしれないし、

          はりぼて

          あなたの傍に

          いつも、あなたに連れ回されてるけど、別に苦じゃないの。 どこまでも遠く連れていって欲しい。 突然休みになったからって気まぐれに行った近くの水族館は、天井から青白い光の線がいくつも落ちてきて、海の底から世界を見上げているみたいだった。平日の昼間って空いてるんだよね。ゆっくりできて良かったね。 オフィス街も嫌いじゃないよ。綺麗に舗装された道は歩きやすいし、ネオンが眩しい夜も好き。暗闇に映える強い光を浴びて、綺麗だよって言ってくれるあなたも好き。 だけど、たまには一人で出掛け

          あなたの傍に