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レンタルできるもの

今日は一言も話さなかった。
会社に行って仕事(になっていると思いたいけれど)をして、帰ってくるだけ。

列になっている静かなデスクの沈黙に耐えられず、一錠だけ安定剤を飲んだ。少しふわふわして、目の前がぼんやりして考えを突き詰めることが難しくなる。でもそれでいい。突き詰めたところで答えが出る問題とも思えない。それにこんな状況ではどちらにせよ、良い回答なんて出ないだろう。

寂しいも孤独も通り越してきたら、それがなんという名前なのか分からなくなった。

人も物も動物も全てが同じに見える。
Amazonに並んでいる消耗品の並びに犬が並んでいても、あまり驚かないかもしれない。そもそも、ペットショップの通販サイトだってあるのだ。Amazonに並んでいるのと変わらない。

買えるものは、増えている。

人もレンタルができる。披露宴に出てくれる友達。instagramで誕生日を祝う写真をとってくれる友達。婚約者に紹介する両親。デートしてくれる恋人。欲望を満たしてくれる人。

レンタルしていることに気づいていない人もいる。

おこづかいをあげると一緒に遊んでくれる息子。
いい子にしていると優しい母親。
一緒に悪口を言うと仲間にしてくれる友達。

引き換えにしているものがお金ではないだけで、それはレンタルと何も違わないのではないか。目を逸らしていても、いつか無意識の反乱にあってゆっくりゆっくりと、誰にも分からないように静かに首を絞められていく。気づいたときには、もう肺に空気が入らない。

誰かに、何かに依存することが怖くて何にも興味が持てないふりをしている。興味をもたなければいけないと思いながら、全力でブレーキを踏んでいる。

絡まりすぎた結び目をつま楊枝で少しずつほどこうとしているのに、我慢できずに引っ張ってもっと結び目がきつくなるのと似ている。

人も物も動物も全てが同じに見える。

どれも手に入るのに、どれも手が届かない。


fin.

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