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崇拝者

何がそんなに面白いのか。

背後から女性の笑い声が聞こえる。若そうな、頭が悪そうな耳をつんざく高音。時折小さく間が空く、それはかなり息が詰まっていて、つまり腹を抱えて笑うときのそれだ。同じような女性の声色が重なって、失敗したハモりを聞かされているみたいにいたたまれない。

頭では違うと分かってる。正確に言えば、違う可能性が高いと分かってる。だってここは、人通りの多い新宿の歩行者天国だし。そこかしこから笑い声なんて聞こえてくる。

だから、こんな人がごった返している中で、後ろを歩いている女性が「自分」のことを笑っている可能性なんて、ほぼゼロだ。

破れた服でも着ている?鳥の巣みたいな頭をしてる?ちどりあしで歩いてでもいる?たとえそうだったとしても、そんな人間そこらじゅうに居る。自分は特別でもなんでもない。

笑い声が止まない。

鳩尾を誰かにずっとつかまれて人質にされているようだ。開かない胸郭に圧迫されて酸素が肺の奥まで入っていかない。鼻先を掠めるマルボロの匂いに、一番近いコンビニを瞬時に頭に思い浮かべてしまってから、静かに目を閉じて深く深呼吸し直した。

また夢で会いましょう。

応急処置は、その存在を消すこと。タバコって何ですか?そんなものがあるんですねぇ。へぇ、吸ったこと?ないですよ。そんな使い方するんですか、初めて聞きました。

なんでこんな所を通らないといけないのか。活気溢れるまち?結構。私には縁のないものです。じめっとした日陰にわざわざ隠れて、暗い、太陽は眩しすぎると誰にも聞き取れない音量でぼそぼそ吐き捨てているのがお似合いなんです。

同じ熱量で燃えているのに向き先が違うだけで、道が違ってしまう。選択肢は無限にあって、現世の自分であれ、過去のカルマであれ自分で選んでいる。信じている。崇拝している。でもそれに気づかずに、流されていると思い込む方が圧倒的に楽だ。

他人の物差しで生きるのは逃げだ。いくらでも言い訳ができる。論理的に考えるという物差しは、真理のようで真理ではない。論理を崇拝している状態だからだ。結局他人の物差しであることに違いはない。

ある場面では、論理的に考えることに意味はない。
相変わらず捕まれたままの鳩尾は解放される気配もなく、嗅ぎ慣れた煙は鼻の奥にこびりつき、甲高い奇声は止まない。ただでさえ浅い呼吸が徐々に間隔を詰めてくる。

恐らくもうすぐキャパを越えるだろう。

私は、私に対して随分ご立腹のようだ。こうまでして何に気づけというのか。何を見落としているのか。意識せず足元に落ちていた視界の中、地面のひび割れたアスファルトの上に真新しいもっこりと盛り上がった白い線が見えた。横断歩道か、歩道の線だろう。

その時、突然全ての音が止んで、周囲の景色が白く強く光り始めた。眩しくて目蓋を閉じても遮れない。平衡感覚を失って体が揺れ始める。たぶん動いたら終わりだな、と本能が感じていた。

暗がりに居たいって言ってるのに、こんな明るい所に連れ出すなんて何て悪趣味なんだ。天国にでも連れていこうといているのか。全然心が惹かれないのだから、どうせならもうちょっとちゃんと仕事をして欲しい。

呆れを過ぎて、怒りが込み上げてきそうになったところで霧が一瞬で晴れるようにぱっと視界が戻った。顔を上げるといつもの交通量の多い大通りを左右に飛ばすタクシーの群れ。信号待ちの人達の喧騒が耳に戻った。

目玉だけで状況を把握し直して、大袈裟なほどゆっくりと深く深呼吸した。指先が冷たいのに、手の平はじんわりと湿っていた。

ああ、コーヒーね。

ふと、毎朝行きがてら買っているコンビニのコーヒーを買い忘れていることに気づいた。さっきの角で寄るのを忘れた。
戻ろうと、青になって流れだした人の波に逆らいながら30メートルもないだろうコンビニの位置を黙視してから歩みを進める。

それにしても物騒なお知らせだったな。「ちゃんと」仕事してくれなくてよかった。あ、そうだった。何が「ちゃんと」なのか、私は知るはずもない。

笑い声は止まない。

fin.

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