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おじさんになったお客様

いつものように通院のため路面電車に乗って病院に向かっていた。結構な勾配の坂道を上っていくから、少しだけ身体が傾くのを足の裏に力を入れることで耐える。窓に背を向ける横並びの座席に座っていた。理由はないがこんな傾きを無理して耐えているなど、周りの人間には知られてはいけないような気がした。

「おじさんになったお客様は」

意味もなくスマホでsns巡りをしている中ふと、車内放送が耳に入ってきた。一部しか聞き取れない。スピーカーが古いのか掠れた割れた機械的な女性の声が途切れ途切れに流れている。

おじさんにならないお客様もいるんだろうか。

私はおじさんなのだろうか。いや、聞き間違いに違いないのは分かっている。それでも私は、おじさんにならないお客様がいる可能性の面白さに惹かれ、それが真実かどうかなどどうでもよくなってしまっていた。

女性はおじさんになることは出来ないし、おじさんという魚が居たような気もする。今から得体の知れない魚になってしまうなど考えるだけで恐ろしい。

私はまだ時折つきんと痛みを訴える左膝を、不自然にならない程度にそっと手の平で覆った。いや、いっそ魚になってしまっても問題はないのかもしれない。足なんて必要なくなるのだから。

坂道を上り終えた路面電車は、心地よく揺れながら地下鉄に比べればよっぽどゆっくりとした速度で滑り続ける。窓の上部から流れ込んでくる外気は生暖かくもあり、生命を感じさせる逞しい緑の香りがした。もうすぐ終着駅に到着するというところで、また車内のアナウンスが流れた。また途切れ途切れだ。

「カードをご持参になったお客様は、各種サービスのため」

fin.


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