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ルール

先生は『この時間が終わるまでは席を立ってはいけません』と言い残して教室を出ていく。立て付けの悪いドアが、ガラガラと雷のように閉まった。

壁越しに廊下を走っていくスリッパの足音。何か大事件でもあったんだろうか。

今日の3時間目の国語は自習みたいだ。
黒板に大きな字で「じしゅう」と書いてある。
せめて何かプリントでも配ってくれればいいのに、一体何を学習したらよいのか。

「ねぇ、凄い顔してたね!花ごりら」

前の席のみかちゃんが、大好きなミッキーマウスに握手してもらった時くらいの輝いた眼差しを向けながら、私の机に両腕をついてくる。ちなみに、私はミッキーマウスと握手なんてしたくない。

「うん。凄いごりらっぽかったね」

このごりらは、動物図鑑に載っているごりらだ。怒った野生のごりらは見たことないけど、そんなイメージだ。というか、そんな顔だ。ごりらに似ていると、あえて話題に上ることもないぐらいこのクラスの共通認識となっている。ごりらに似ている人間が怒ったら、きっと怒ったごりらに似ているのだ。

くつくつと笑うみかちゃんは、少しだけ声を潜める。

「でも何があったんだろうね」
「分かんない。凄い慌ててたよね」

自習だろうとなんだろうと、元から学習なんてする気のないみかちゃん。今はとても助かる。やることがないのに動いてもいけないなんてなんて苦行。一人で居てもつまらないし、疑問がそのままで気も散るし、何より今日の漢字テストがなくなっているのが嬉しい。
周りの皆も、いくつか固まってひそひそ話しているけど、誰も席を立とうとはしていなかった。

このクラスはとても治安がいい。

私が知る限りいじめもないし、先生の顔はごりらだけど何でも話を聞いてくれるし優しい先生だ。消ゴムを忘れても誰かが貸してくれるし、けんかもない。皆が先生のいいつけを守るいい子なのだ。

窓から差す日の光は暖かで少し眠くなってくる。
みかちゃんは、花ごりらに飽きたのか、昨日見たドラマの主人公がちょっと意地悪で格好いいことを、またミッキーマウスのキラキラの目で話し続けているが、生憎私には興味がない。話しているみかちゃんを見るのは好きなので、うんうんと聞いている。

ガタガタッ

突然、椅子が倒れるような大きな音がして、うつらうつらしていた思考が戻ってきた。さっと周りを見回すと、皆教室の後ろを見ているようだ。振り返ると、一番後ろの席の山田くんが、床に倒れていた。椅子から落ちたのかもしれない。側に椅子も転がっていた。

一斉に教室がざわつく。山田くんの隣の席のしおりちゃんが、椅子に座ったまま落ち着きなく足をばたばたして、どうしよー!と叫んでいた。

山田くんは動かない。ここからでは顔も見えなかった。

教室はざわざわしているが、結局山田くんの周りの生徒も似たり寄ったりで大変だー!どうしよー!と騒ぐばかりだった。

「どうしよー!」

みかちゃんも同じく山田くんの方を見つめながら、そわそわと繰り返し、合間に私の顔を確認している。

「どうしよー!どうしよー!」

誰も席を立って助けようという人は居ない。勿論私も。そのうち誰かが呟きだした。

「どうしよう、先生呼んできた方がいい?あれ、でも席立っちゃいけないんだよね。山田くん!大丈夫?!山田くん!」

対角線上の一番前の席辺りに座っているいつも凄く真面目な市川くんが、席に座ったまま地面に転がる山田くんに声をかけている。それに続いて、周りの皆も口々に大丈夫?と山田くんに声をかけるが、やはり誰も席を立って助け起こそうとする人はいない。

「立っちゃダメなんだよね?」
「どうしよう、山田くん動かないよ?」
「何があったの?」

誰かが隣のしおりちゃんに聞いているみたいだけど、しおりちゃんは今にも泣きそうに顔を歪めながら何度も首を横に振っている。
前の席のみかちゃんは、少し落ち着いて来たようで、教室にかかった壁時計を見上げながら、あと30分もあるよ?と小さな声で私に確認した。

この時間が終わるまで、あと30分もある。

誰も席を立たなかった。

やがて教室は静まりかえって、ひそひそ声が、時折本当に微かに聞こえるくらいになり、誰も山田くんの方を見なくなった。恐らく見れなくなった。見たら不安で仕方ないのだ。どうにもできない現実が。

みかちゃんは自分の机に戻るタイミングを逃したのか俯きながら小さな声でどうしよう、と呟き続けていた。
その度に、大丈夫だから、と励まして強く手を握った。

日差しは相変わらず窓越しに柔らかい空気を運んでくる。

息がつまる30分は、親の説教を聞いている時間よりも本当に長くて、私はみかちゃんを励ますために何も関係ない話を続けた。
今日の朝、寝ぼけてベッドから落ちそうになったとか、目覚まし時計を止めようしたら手が滑って床に落としてしまったとか、本当は今日の漢字テスト自信があったのに残念だなぁとか、実は今日の給食は私の嫌いなグリンピースが入っているらしいとか。

しばらくすると、みかちゃんが小刻みに震えているのに気づいた。掴んだ手から振動が伝わってくる。こんなことは今まで一度もなかった。

「怖い」

みかちゃんは、私の手を振りほどいて、上体を起こそうとしていた。多分立ち上がろうとしている。私は瞬時に強く手を握り、みかちゃんに顔を寄せた。

「ダメだよ」

静かに、でも恐怖を増長させないように優しく。

「大丈夫だよ」

目を覗き込むと、はっと我に返ったのかみかちゃんの身体から力が抜けていくのが分かった。
さほど音は立てていなかったと思うけれど、周りから無言の視線が注がれているようだ。やたらと皆と目が合う。びっくりしている?怖がっている?不思議がっている?

暫くその視線に耐えていると、雷のようなドアが開いて先生が戻ってきた。誰かがすぐに山田くんが、と言いかけたがそれを遮って先生は話し始めた。

「素晴らしいです!皆さん約束を守れましたね。これからもその心掛けは忘れてはいけませんよ」

とても嬉しそうな弾む声。先生は今にも踊り出しそうに黒板の前をうろうろしながらクラスを見回し、チャイムの音が聞こえ始めると、倒れた山田くんの方へとゆっくり近づいていった。特に驚いている様子もない。テスト中にぐるぐる教室をねり歩いている光景と変わらない。

先生は、山田くんが動かないことを確認すると両腕を引っ張るようにしながら教室の外に引きずっていってしまった。
チャイムは鳴り終わった。

誰も席を立とうとしなかったが、私はみかちゃんの手を放し席を立った。

もうこの時間は終わったのだ。





私は最初から知っていた。

この教室の至るところにカメラが設置されていること。
山田くんは人間ではないこと。
3時間目の国語の授業は、もう183回目だということ。
私は記録用のAIだけれど、みかちゃんは気に入っていること。
先生は本当にごりらだということ。


教室を出ると廊下の先にいるいつもの黒いスタッフに今回の実験データを転送し終わったことを伝えた。ごりら達が研究したいテーマにはあまり興味がないけれど、またみかちゃんの話を聞けるのは楽しみだ。本人は覚えていないだろうけど。

今日は危なかった。立ってしまうと次回から居なくなってしまうのだ。そしてその分人間が補充されるのだが、どこからその人間が来るのかは、私の権限ではアクセスできない情報らしい。

振り返った教室は暗く電気が落とされ、もう何も見えなくなっていた。



fin.


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