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一人じゃない

朝目覚めると彼女はもういなかった。
家の裏道を通るトラックの音が、まどろんだ意識を横切っていっていってからしばらくして気付いた。布団の上からでも、台所にいつもあるはずの気配がそこにないのは分かった。
彼女の鼻歌交じりのご機嫌な歌も、バカみたいに音量のでかいテレビの音も。目覚まし代わりにならないほどか細い、自分を呼ぶ声も。

失うとどんなに大事だったのか分かるのは本当だった。
何も残ってない。最初からこんなに静かだったのか。

身支度をして家を出た。
いつも通り。いつもと違うところをわざと探しては落胆する、意味のない一日。上の空を装っては、勝手な憐憫に浸る主人公を楽しんでいる。

「ただいま」
家に帰るとフローリングをかけてくる、たどたどしい小さな足音。手の平におさまりそうな小さな身体を抱き上げて腕の中に抱き締める。その肩越しに妻を見た。

「おかえりなさい」
妻はこちらに声をかけながら、綺麗に盛られた晩御飯をリビングに運んでいくところだった。後ろ姿でも肩を揺らしながら鼻歌を歌っているのが分かる。

そう、一人じゃないんだ。

fin

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