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あなたの傍に

いつも、あなたに連れ回されてるけど、別に苦じゃないの。
どこまでも遠く連れていって欲しい。

突然休みになったからって気まぐれに行った近くの水族館は、天井から青白い光の線がいくつも落ちてきて、海の底から世界を見上げているみたいだった。平日の昼間って空いてるんだよね。ゆっくりできて良かったね。

オフィス街も嫌いじゃないよ。綺麗に舗装された道は歩きやすいし、ネオンが眩しい夜も好き。暗闇に映える強い光を浴びて、綺麗だよって言ってくれるあなたも好き。

だけど、たまには一人で出掛けたいよね。だから置いて行かれても、別に苦じゃないの。海釣りに行くって言ってたし、私なんて連れて行ったら、海の水に濡れないかとか、汚れないかとか気にしてくれるから大変だよね。ゆっくりしてきてね。

あなたが私を撫でてくれる手は優しくて、うっとり見つめられるとちょっと困ってしまう。嫌な訳じゃないの、ただどうしていいか分からなくて私は黙り込む。もらってる思いに、返せるものがないから罪悪感。でもあなたはそれでも笑ってくれるから、黙ってても伝わってるのかな。私の気持ち。

私の部屋はあまり広くない。暖房もない。隣の部屋からテレビの微かな笑い声が漏れてきて、あなたはそっちの部屋に居るのだと分かった。もう今日はこっちの部屋には来てくれないのかなと思ったけど、仕方ないよね。あなたのペースに合わせるから。

ある日、あなたは綺麗な人を連れてきた。お肌もつやつやしていていい匂いがする。私と並べて、あなたはいつもみたいにうっとりと見つめてくれる。でもその視線を私だけには注いでくれない。この人は誰?

私は俯いて口を閉ざすだけ。石を通り越して、型枠に注がれた流れるセメントのようにじわじわと固まるだけ。

そうだ。昔、傍観者みたいだと言われたことがあったな。いつだったろう。シワだらけの手に、宝物みたいに触れられた。あの頃。私は私自身の主役にはなれないし、なる気もない。ただ、見つめるだけ。そこで起こることを、理解はできるけど関わることはない。関わるという選択肢がそもそもない。私は私、あなたはあなた。その境界線は揺らがない。

綺麗な人は、私と同じ部屋で暮らすことになった。隣で静かに微笑むその表情は品があって、すらっと細い顎もとても素敵だ。わたしにはないもの。あなたが好きになったのも分かるなぁ。この人が来たら、私はどうなるんだろう。要らないんだろうか。私はもうすぐ捨てられるんだろうか。

あなたと一緒に居られた時間の分、あなたの存在で、私は変えられてしまった。もう前の私には戻れない。放り出されたら私に行き場所はないの。それはあなたも分かってるはず。だから、そばに置いてくれるよね。このまずっと、あなたの人生を見守っていたい。
本当は一番がいいけど、でも、一緒に居られれば幸せだから。だから苦じゃないの。本当だよ。

今でも私のこと好き?



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「んー。どっちにしようかなぁ。得意先に挨拶回りに行くから、やっぱりプレーンのレースアップがいいかな」

彼は何年か前に購入したオーダーメイドの革靴がお気に入りだった。足にぴったりと馴染むし、フォーマルにもカジュアルにも履ける使い勝手のよさも気に入っている。手入れも週一でしているが、磨くほどに鈍い控えめな革の艶が深まりとても美しい。所々シワも出てきたがそれがいい味をだしている。
痛んでしまいそうだから何足か別のものを買い足したけれど、やはりこれが一番しっくりくる。

大事に靴箱から取り出して、その革の艶をゆっくりと味わいながら玄関に揃えた。きっと、にやついた顔をしていることだろう。

「今日はずっと一緒だね」

fin.

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