猫ねっこの雑記帳

宗教や心理学等を適当に独断と偏見で考えてみる事が趣味のしがない仏徒。病気持ちのお豆腐メ…

猫ねっこの雑記帳

宗教や心理学等を適当に独断と偏見で考えてみる事が趣味のしがない仏徒。病気持ちのお豆腐メンタルにつき何卒お手柔らかにお願いしますね。

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宗教と心理学と <はじめに>

初めまして、猫ねっこと申します。 最初に申しておきますが、この場は私の思考実験的な雑記帳です。 抑、宗教や心理学等の分野に関して私は独学のみです、よって学会の大勢やその様な見方を全く持ち合わせておりません。また浅学ゆえ間違った事や議論の余地があるところに関する誤った考えこそたくさん持ち合わせています。その点ご容赦の程お願いします。誤りなどはお手柔らかにそっと教えて頂けますと幸いです。 さて、そろそろ本題に。 心理学と宗教、なんとなく心理学の立場が強いように私は思います。

    • 瞑想とマインドフルネス

      こんにちは、猫ねっこです。 瞑想という言葉にはたくさんの解釈のされ方があります。昨今話題のマインドフルネスについても然りですね。 今回はマインドフルネス的なものから宗教的なもの、殊に仏教的なものまで大まかに述べます。少し秘教的(esoteric)に踏み込んだ内容ですが何卒ご容赦くださいませ。 抑も、マインドフルネスは数息観(呼吸を数える)などと上座部仏教から切り取った手法である事は明白です。歴史的にもみても戦後の時代に米国で広まったものであり宗教的純粋さには欠けるもので

      • 拙訳 夜船閑話 2

        鵠林師匠(白隠禅師)が行脚をやめて鵠林山松蔭寺(静岡県沼津市)の住職になられてからおおよそ四十年、以来所化(行脚する修行僧)が少しでもこの境内に立ち入れば彼らは師(白隠禅師)の厳しい言葉をありがたく感じ、警策(座禅に於いて肩を打つ時に用いる棒)の痛みすらその滋いとし、ある者は十年、またある者は二十年とこの寺に居着き去ることを忘れる者が少なくない。尤も、鵠林師匠の下で一生を終える事こそ満更ではないといった感じである。 その様な者らは叢林(禅僧が集まって学ぶ場)に於いて秀才とし

        • 拙訳 夜船閑話 1

          こんにちは、猫ねっこです。 さて、題名の「夜船閑話」とは江戸時代の禅僧、白隠慧鶴師によって記された瞑想、即ち心身修養法に関する書籍です。戦前期(江戸の終わりから)の心身修養法に係る大家が必ずと言っても良い程に引用する、瞑想の奥義(おくぎ)書の一つとでも言えましょう。 あくまでも私の趣味として現代風に意訳してみようかと存じます。私は文語文の読み下しに関して専ら我流故、固有の言い回しや語句こそ私の解りうる範囲で現代風に改め、詳細な解説などは明治期に出版された”詳注 夜船閑話“

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        • 拙訳 夜船閑話
          2本

        記事

          死という未知に就て

          こんにちは、猫ねっこです。 今回は超自然的な分野に少し踏み込んでみます。 死という事は誰しもが逃れられないものであり身を以て直面するとやはり掴みどころのない恐怖を感ずるのでしょうか。仮に眼前の現世が酷く苦しければ希死念慮という様にそれを望んでしまうことは現代こそ往々にあるようですね。 抑、何人たりとも科学的にその死後に就いては確証を持って知り得ません。そこにあるのが希望なのか絶望なのか、はたまた全くの無意識なのか、何もわかりません。経験則的な試み、即ち臨死体験を集めその規

          死という未知に就て

          利他と自己

          こんにちは、猫ねっこです。 往々にして宗教では利他、他の人の為に、そう言った事が善い事であると言われます。それこそ清貧であったりと。これは無論道徳的に善い、そう言ったことと完全に重なりますし、そうでなくてはいけないでしょう。 私は利他への心の動きこそ素晴らしいものだと思います。しかし、それを考える時、社会的自己を意識しているかどうかという事で精神状態に大きな差が生まれます。即ち、第三者的に見てあなたが他の人のために何かをしていてもその考えがあなたの意識に上がってはいけない

          催眠と洗脳

          こんにちは、猫ねっこです。 今回は洗脳(brain washing)という言葉について、催眠のそれと比較しながら少しばかり追ってみます。 まず、催眠という言葉はある程度昔からあります。それは別稿でお示しした通り、16世紀のメスメリズムに端を発しそれに続く流れの中で医者らによって作られた概念です。殊に明治から終戦期にあってはトランス状態を利用する事が多くありました。 それ以前にもそのトランス状態に導く手法は宗教的修法の中に数多くみられます。 しかし、洗脳という言葉は全くその

          ジェンダーと宗教に就て

          こんにちは、猫ねっこです。 昨今のジェンダーの問題、つまり男女間格差の問題やその多様な性別への理解を妨げるものとして「宗教の教義」の解釈がその要因の一つたると私は感じます。 今でこそ宗教はあまり表立って感じられない事も多いですがそれはほんの最近の事で、それ以前は顕著に政治や文化即ち民衆の意識へ宗教的な価値観が影響を及ぼしていた、換言せば教導していたように感じます。 現代でも地区で行う祭典や慈善活動、お祭りなどその文化の深部に、即ち幼少期から関わる行事として一定数根付いてい

          ジェンダーと宗教に就て

          催眠と心理学 歴史編その2

          こんにちは、猫ねっこです。 今回は前回の続きです。 今回は主に海外での捉えられ方に視点を置きます。 リエボー氏によるナンシー派の影響はかの有名なフロイト氏やユング氏(カール・グスタフ・ユング氏)にも感じられますが狭義の“催眠”を活用する事はあまり無かった様です。大元の、主にトランス状態を使ったメスメリズム(大催眠)に就いては奇を衒った印象の他あまり良い物とはされなかったようで、そのような介入は薄れていったように感じます。 東洋思想に焦点を当てた論文を幾つも書かれたユング

          催眠と心理学 歴史編その2

          宗教とその個人的理想

          こんにちは、猫ねっこです。 善き宗教、と言ってもただ単に私が善いと思う、そんな宗教に対する理想についてです。特定の宗教を批判したり評価したりする意図は全くございません、何卒ご理解ください。 まず、宗教とは主体的に喜んで自分から求めるもの、少なくとも自他を尊重して大切にする事を重んずる教義でなければなりません。特定の存在を攻撃したり、比較批判しあったりするものではいけないと思うのです。宗教に必要な事は少なくとも、隣人愛、和合、融和の精神です。この世全て、即ち極悪人であっても

          宗教とその個人的理想

          催眠と心理学 歴史編その1

          こんにちは、猫ねっこです。 本題に入る前に先ず、私は心理学や宗教学を主として学んだ人間ではございません。単なる趣味程度の者故、誤り等多々あるかと存じます。その点何卒ご容赦ください。 さて、催眠と心理学、それは催眠療法というものが存在するくらいに深い繋がりが見られます。 今回はその繋がりを歴史的側面から少し追ってみます。 抑(そもそも)、科学、即ち論理的解釈を重んじる概念が希薄な時代では、催眠に於ける諸現象の活用は宗教の担う範疇でした。それは神の奇跡や仏のお慈悲、呪い(ま

          催眠と心理学 歴史編その1

          病気と宗教

          こんにちは、猫ねっこです。 病気と宗教、信仰とも言えましょうが、これは往々にして関係の深いものであると私は思います。 治病に関する術式や祈り、そういったものはどの様な宗教にも、無論古代に於いては医術にもみられます。目指すところが病を良くする事であると、その観点から鑑みれば現代の医療とその目的は同じですね。精神医学に於いてはその適用範囲を精神的な側面に限る事が多い様ですが。 尤も目的は同じでもその手段は大いに異なります。宗教的なアプローチであればあらかた経験則的な、若しく

          宗教の役割

          こんにちは、猫ねっこです。 私の信ずる、宗教の役割について私見を。 宗教とその役割は時代によって、それこそ心理学や哲学等諸々の学問の分野にその役割の明け渡しつつ、誰かしら何かしらがその部分を担ってきている訳です。現代では戦前まで宗教の範疇であった事の大方を心理学や哲学などの学問が占める様になったと私は感じます。尤も現代の宗教学こそ歴史的な事実を拾い上げるところばかりでその超現実的な教義を大切に真面目に取り扱う事は少ないかと存じます。 そうは言っても宗教は宗教。それこそ利他