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催眠と洗脳

こんにちは、猫ねっこです。
今回は洗脳(brain washing)という言葉について、催眠のそれと比較しながら少しばかり追ってみます。

まず、催眠という言葉はある程度昔からあります。それは別稿でお示しした通り、16世紀のメスメリズムに端を発しそれに続く流れの中で医者らによって作られた概念です。殊に明治から終戦期にあってはトランス状態を利用する事が多くありました。
それ以前にもそのトランス状態に導く手法は宗教的修法の中に数多くみられます。

しかし、洗脳という言葉は全くその趣を異にします。その言葉を生み出したのは第二次大戦や朝鮮戦争下のアメリカCIAであり、即ち軍事を担う人間による一方的な見方から生まれた言葉となっています。ここにあからさまなトランス状態の利用は含まれてはいない様です。

終戦とその後、中国政府(共産党)は日本人捕虜を、そして朝鮮戦争に於ける西側の捕虜を収容所に送り思想教育を施していたという事は周知の事実でしょう。ラストエンペラー(映画)にも登場するあの様な収容所でしょうか。
そこで行われていたその”教育“は、教育よりも前にまず、自白やその強要の様です。善悪二元論に基づく罪の告白はとても自己暗示的で効果的であります。そうして中国共産党の思想にあった価値観を個人のそれと同化させようとした訳です。

専らその技法は当時の西洋に於ける催眠への心理学的研究やキリスト教的伝導の手法が元であり、中国共産党が一から生み出した技術ではありません。抑、催眠や暗示の軍事利用は第二次大戦下の西側諸国にすら見られる程の普遍的な事です。

殊に中国共産党の手法は罪の告白や懺悔などキリスト教的な趣が強く感じられる事がその特徴と思います。そうはいってもやはり暗示の一手法としてその様な手立ては以前から存在します。

中国共産党による思想教育への恐怖感から偏った見方、即ち心を他者が随意に操るなどという誤った概念が生まれました。
洗脳という恐怖から編み出した摩訶不思議な概念は的を得てはいません。無論他人の心などは随意に操れませんし、その様に見える事は本人の価値観や心的視点を遷移させるが故に出来得ると言えましょうか。それこそ価値観や視点を変えられるのは本人のみです。
本人が得心するが故に変化するのです、その得心が虚偽の事実の上にあったとしても。

催眠に係る技術が心理学に包括されていった過程で、殊に戦後期に於いては直感的な理解や経験則的技法が廃れその概念がより難解になってしまった様に感じます。

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