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宗教の役割

こんにちは、猫ねっこです。
私の信ずる、宗教の役割について私見を。

宗教とその役割は時代によって、それこそ心理学や哲学等諸々の学問の分野にその役割の明け渡しつつ、誰かしら何かしらがその部分を担ってきている訳です。現代では戦前まで宗教の範疇であった事の大方を心理学や哲学などの学問が占める様になったと私は感じます。尤も現代の宗教学こそ歴史的な事実を拾い上げるところばかりでその超現実的な教義を大切に真面目に取り扱う事は少ないかと存じます。

そうは言っても宗教は宗教。それこそ利他にあるのみです。利他行の中に自分を大切にする行いも大いに含まれるのですが。我慢を重ねての捨て身の“利他”(と称するもの)は誰から見てもそれはとても危険です。“利他”、という二文字だけではその意味を表すのに無理があります。話がそれましたね。。。
そして摩訶不思議な奇跡やご利益といった物をやはり信ずる、そうしてそれらは少なくとも主観的に現れてこなくてはならないものであると。畢竟(ひっきょう)、やはりそこに湧き上がる恐ろしいほどの主観的な喜びと畏れ、感謝の感情にこそ真髄があると、尤も私はそう考え、そう信じています。
(ここまで取り敢えず書いてみましたが、私の愚考を文字にすると私が見てもだいぶカルトチックに感じましたw)

さて、心理学や哲学に於いてはやはりその主観的な奇跡や感情があまり重んじられない気がします。思考に関する理論や技法は宗教のそれをある程度担えても、主観的な喜びや救いに目を向ける事はあまり無い様に思います。

とは言うものの、宗教も時代によって大いに変化していますね。平安仏教と江戸時代あたりの仏教ではその主なる担い手も、目指す信仰も大いに違います(時代が降るにつれ現世的な利益をより強く意識した信仰になっていった様に私は感じます)。ましてや現代、飽食の時代においては閉塞した儀式的な側面の強調(葬式等)や利己的な狂気じみたカルト信仰こそ宗教に対する社会的なイメージなのでしょう。はたまた、超自然的なところへの単純な興味等、肯定的に考える方もいらっしゃいますね(無論立派な崇高な信仰を持たれている方こそ大勢おられる事でしょう)。

この現代にあたってこそやはり自分の正しいと思う信心をしてゆきたいと私は想います。


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