バイオベース

母の命の灯はプラスチックチューブと可動式ベッドによって支えられている

ご挨拶

どうも。ホローです。
母の体調が悪いと聞き、ぼくがアメリカに来てから1ヶ月ほどが経ちました。
当初は毎日の日記のようにしようと思っていたのですが、あまり書くこともないし、備忘録のようになり、他のこともちらほら書いたりして、そんなことをしながら、なんと8週間の連続更新だそうです。noteに褒められて嫌な気はしないですよね。素直に嬉しいです。
とはいえ、母の病状のことなんてあんまり書きたくないわけです。だって悪いニュースばかりが届くんだもん。で、今回も悪いニュースです。
いよいよ母が死にそうです。
ただ、ネガティブな記事ではありません。

なぜ書くのか

母の体調のことを書く理由なのですが『母のことを冷静に判断するため』と『自分の感情を風化させない為』です。
身内をダシにして何かをしている、というのは傍目から見てあまり良い行為とは言えないと思いますが、そんなことはどうでも良いんです。
肝心なのは客観的な視点と判断です。
母の体に何が起こっていて、ぼくはなにか出来ることがあるのか。また、それは本当にする意味があるのか。
そういったことを判断するために書いています。
また、同じような境遇の人に向けても書いています

ときに冷静さを欠いて後悔をすることもあると思います。
また、これから来たるべき時に備えるというのも良いと思います。
今の時点で、ぼくは母に対して何も出来ていません。
母というものは強い生き物らしく、息子に対して強がる性質があるようです。
そのおかげでぼくの負担は少ないですが、痛みをバレないようにして動く母の姿には正直クるものがあります。

死にかけてる母を見て

本日アメリカは2月7日です。2日ほど前から母の体調が著しく悪くなったので病院に移送しました。
現状として、癌は膀胱と肩、腎臓に転移しており、まともに動くことも出来ません。
文章にするとなんとも味気ないものになるのですが、実際は食事や水ですらまともに飲み込めず、膀胱、腎臓はほとんど働いていないので体内に水が溜まる一方で、体はどんどんと膨れていってます。
特に右半身への水の溜まりがひどく、これを体外に排出するにはマッサージをして毛穴から排出するしかありません。もちろんニオイもあります。

そんな自分の状態を理解しているのか、理解していないのか、死にたいのか、生きたいのかすらわかりません。母の言動は変わりますし、
「患者本人の意志に任せる」
というのは卑怯な逃げ道のようにも思えます。ジャンキーの言うことに信憑性はあるのか、という話です。
抗がん剤や痛み止めはコカインや覚醒剤よりも強いドラッグです。

とはいえ、ぼくたちが延命治療を選択することも出来るのですが、それはぼくたちのエゴであるかもしれないという点で、正解がありません。
誰が何を選択しても、最悪になりうる状況です。本当にクるものがあります。
ぼくはそんな母をみて、感情がとても不安定になります。
「なかなか死なないもんだなぁ」と思うこともあれば、いきなり涙が出てくることもあります。落ち込んでしまうと、自己肯定感がなりを潜め、現状の体たらくぶりに吐き気を覚えるほどになってしまうので、ぼくも寝込んでしまったりします。

どう思った

そんな中で「あーぼく、このままじゃダメかもしんない。」というふうに思いました。
身近な誰かの死は、本当に心をおかしくします。自分の中で軸だと思っていたものは、いとも簡単に吹いて飛んじゃうようなもんなんだと実感しました。
ぼくに必要なのは強い心です。他人の言うことなんか聞かないぞ、というメンタルは持っていますが、ぼく自身の自己評価の低さが原因にあります。
改善するには、誰かがぼくを評価する際に使うパラメーターが必要です。
社会的承認欲求というものは万人に存在します。行き過ぎた承認欲求は身を滅ぼしますが「自分の強みを認めて欲しい」という欲求は、自分を高める糧にもなりますし、感情をコントロールするメタ視点の獲得や、なにより仲間ができるようになります。

ただ、人に求めるようなことをするのは人道に反する行為だと思います。多くの人たちが利他的につながっている姿はなんともみていて気持ちの良いものです。

そういうわけで、ぼくは【成功者】に成ります。
お金をひたすら稼ぐんや!みたいなタイプではなくて、多くの方の協力を得て、みんなの力で何かを成し遂げたい、という気持ちなわけです。ごくごくありふれた月並みな言葉になりますが、この年になってようやく少しだけ理解できました。

まとめ

ぼくは自分に恥じない生き方を選択します。

励みになります。ありがとうございます。 サポートして頂いたお金は紛争孤児支援団体への寄付や、書籍やインディーゲームを買ったりするなど、個人的な使途に利用します。