ネコポンタ

瞑想的に生きることを実践中。心静かに生きていきたいです。

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最近の記事

書くことによって生きられた人生

書くネタがない。 最近、新しい発見もないし、特に誰かに言いたいこともない。 でも、何か書きたい。 そう、私は文章を書くことが好きなのだ。 書きたいことがあるから書いているというよりも、そもそも書くことそのものを求めて書いているところがある。 ということで、今回は「私にとって文章を書くとはどういうことなのか?」ということを考えてみたい。 そんなことに興味のある人はいないだろうけれど、まあ、そもそも私が書きたくて書くのだ。 たとえほとんど誰も読まなかったとしてもかまわない。

    • 「孤独な人生」も悪くはない

      今の世の中は一人暮らしの人が増えている。 生涯通して結婚しない人も増えていて、「老後も一人」というケースは多い。 かく言う私も一人暮らしだ。 おそらく今後もずっと一人だろうし、死ぬ時も一人で死んでいくような気がする。 そう聞くと、「寂しくないのだろうか?」と思う人もいるかもしれない。 だが、特に寂しいと感じることはないし、未来に悲観もしていない。 なぜなら、「孤独」というものを別に「悪いもの」だとは思っていないからだ。 しかし、世の中には孤独でいることに耐えられない人も

      • つまづいた心が帰る場所

        最近、メンタルが不安定になっている。 そこで今回は、「メンタルが不安定になっている時、瞑想はどんな効果があるのか」といったことを考えてみたい。 「瞑想はメンタルに効く」とはよく言うが、それは本当なのだろうか? 私自身の実体験と実感と交えつつ書いてみる。 (ちなみに、今回の記事は5000字弱あり、やや長文だ) ◎心がしんどい時は瞑想も難しい まず、そもそもなぜ私はメンタルが不調なのか? 理由はいろいろある。 仕事が忙しくて単純に疲れているのもあるし、実績を認めらて前より

        • AI相談アプリの限界について

          前回の記事、『「苦しみの避け方」三選』の中で、「苦しくて誰かに話を聴いてもらいたいときは、AIに相談するのもいいかもしれない」と私は書いた。 だが、その後、いくつかAI相談アプリを使用してみた結果、「本当に辛くなっている時には、AIに相談すると余計に辛くなるかもしれない」と思うようになった。 今回はそのことについて書いてみる。 ◎世のAI相談アプリの不満点 まず、AIはよく喋る。 こちらが何か一言書いただけでも、3センテンスか4センテンスくらい返ってくる。 それだけ丁寧な

        書くことによって生きられた人生

          「苦しみの避け方」三選

          前回の記事、『瞑想では消えない苦しみの乗り越え方』の中で、「本当に苦しい時には、瞑想によってそれを避けることはできない」と私は書いた。 深く激しい苦しみというものは、避けようと思って避けられるものではなく、どこかで思い切って直面し、苦しむしかないものなのだ、と。 そうは言っても、「できれば苦しみは避けたい」と思うのが人情というものだろう。 そこで今回は、瞑想以外の「苦しみの避け方」についても考えてみたい。 「苦しみをどうにかしたいけれど、それと直面するのは嫌だ」という人は参

          「苦しみの避け方」三選

          瞑想では消えない苦しみの乗り越え方

          前回の記事、『内側に向かうために瞑想は役に立たないのか?』の中で、「瞑想を実践していくと、感情に振り回されにくくなる」と私は書いた。 今回は、このことについてもう少し突っ込んで書いてみる。 つまり、「瞑想によって本当に感情に左右されなくなるのか?」といったことや、「苦しみの感情にどう対処したらいいのか?」といったことについてだ。 (ちなみに、今回の記事は5500文字以上ある長文だ) では、行ってみよう。 ◎真の苦しみを前にして、瞑想は役に立たない さっきも書いたが、瞑想

          瞑想では消えない苦しみの乗り越え方

          内側に向かうために瞑想は役に立たないのか?

          前にもどこかで書いた気がするが、瞑想を実践することが必ずしも内側に向かうことにつながるとは限らない。 私は「内側には無条件の喜びがある」と言うが、ただただ愚直に瞑想を実践していけば、それを感じられるようになるというわけでもないのだ。 「じゃあ、どうすればいいのか?」といったことを今回は書いてみる。 まあ、いつもしている話とだいたいおんなじなんだけれども。 (なお、今回の記事は4000字ほどあり、いつもよりやや長めだ) ◎瞑想の実践は「最初のステップ」 まず、そもそも「内

          内側に向かうために瞑想は役に立たないのか?

          瞑想とは何か?

          ◎瞑想とは「集中すること」なのか? いったい瞑想とは何だろうか? 世の中には何百種類もの瞑想法が存在するが、いったい私たちは瞑想に何を求め、何を実践し続けているのだろうか? 多くの人は、瞑想を習い始めると、まず呼吸に集中することを教えられるのではないかと思う。 「自分の呼吸に意識を向け続けなさい」 「もし呼吸への集中が途切れて、無自覚に考え事をしてしまっていることに気づいたら、そのたびに呼吸に意識を向け直しなさい」 そんな風に指導されるのではないだろうか? もちろ

          瞑想とは何か?

          理想を追うことに疲れたら

          ◎理想が叶った時に起こったこと もう昔のことだが、私には理想の実現に向けて努力していた時期があった。 努力して理想を叶えれば、幸せになれると思っていたのだ。 そして、何年も努力を重ねた結果、私は理想を叶えることができた。 「こうなったらきっと幸せだろう」と思っていた通りの現実を作り上げることに成功したのだ。 理想を実現したとき、私はとても強い幸福感を感じた。 きっと脳内麻薬がドバドバ出ていたに違いない。 私は有頂天になり、激しい喜びを感じたのだった。 だが、その状態

          理想を追うことに疲れたら

          外側の世界に依存しない喜び

          私はいつも「無思考=無心の状態の中に安らぎがある」とか、「集中しようと努力する意志を手放せば解放感がある」とか書いている。 こういった安らぎや解放感は、ともすると、「特別な何か」のように感じられるかもしれない。 「特殊な精神状態に入ったときにだけ現れる神秘的な現象なのではないか?」と思う人もいるだろう。 だが、実際にはそれは「とても当たり前の感覚」だ。 「特別なもの」というより「不変のもの」であり、「私たちの本質」と言ってもいい。 「常にここに在るもの」であり、だからこそ「

          外側の世界に依存しない喜び

          神経過敏な人が苦しみから自由になる方法

          私はけっこう神経過敏なところがあって、周りの目を気にし過ぎる傾向がある。 「自分はいったいどう思われているのだろうか?」 「ひょっとして嫌われているのではないか?」 「あ、さっきの一言で怒らせちゃったかな?」 こういったことが気にかかって、苦しむことがよくある。 何でもない時に突然、過去の自分の言動などを不意に思い出し、「あー、あれ絶対嫌われたわー!やっちゃったわー!」とか思って、落ち着きを失ってしまったりするのだ。 今回は、そういう苦しみの乗り越え方について書いてみた

          神経過敏な人が苦しみから自由になる方法

          いくらやっても疲れない瞑想

          このところ、生活の中で瞑想を実践するということについていろいろ書いている。 関連記事:『瞑想的に働くことについて』 関連記事:『「瞑想的に生きる」とはどういうことか?』 今の私は起きてる間ずっと瞑想しているような状態なわけなのだが、「それって疲れないのだろうか?」と疑問に思う人も中にはいるかもしれない。 だが、これが意外と疲れない。 むしろ、瞑想的な生活を始める前よりも疲れにくくなったくらいだ。 今日はちょっとそのことについて書いてみようと思う。 「瞑想的な生活は疲れ

          いくらやっても疲れない瞑想

          「瞑想的に生きる」とはどういうことか?

          今回は、「瞑想的に生活するとはどういうことか?」について書いてみる。 私は坐って瞑想するだけではなく、生活全体を通して瞑想を実践しているのだが、「それって具体的にはどうやるの?」という疑問を持つ人もいるかもしれないからだ。 いささか長い話になるが、興味のある方はぜひお付き合いいただきたい。 (ちなみに、今回の記事は文字数にして約4000字ほどある) ◎集中を維持する試みは失敗する 瞑想的に生活するにはいったいどうしたらいいのか? これについては、私も昔は疑問だった。

          「瞑想的に生きる」とはどういうことか?

          自分にハナマルをあげる日

          今朝は、自分の過去の記事をいくつか読み返していた。 だいたい二年前くらいに書いていた記事だ。 当時は精神的に調子が悪くなっていて、毎日が不安で仕方なかった。 だから、記事にはその苦しさがたくさん書かれていた。 ただ、その当時の私は、衣食住には事欠いていなかったし、生きていくのに特に不自由もしていなかった。 それにもかかわらず、次から次に不安が湧いてきて止まらなかった。 ほとんど一時も安らいでいることができず、不安が強くなるとよくパニックの発作を起こしたものだ。 たぶん、

          自分にハナマルをあげる日

          「内側に向かう」とはどういうことか?

          瞑想とは「内側に向かうこと」だと、一般には考えられている。 瞑想をすることによって、人は外側のあれやこれや(社会とか、他人とか、地位とか、名誉とか)に心動かされることがなくなり、自分の内側に落ち着くことができるのだと。 だが、「必ずしもそうとは限らない」ということが最近わかった。 今回はそのことを説明してみる。 ◎瞑想によって人は内側に向かえるのか? まず大前提として、基本的に私たちは外側のいろいろな物事によって、日々翻弄されている。 テレビで災害のニュースを見て心を痛

          「内側に向かう」とはどういうことか?

          苦しみが枯れるまで

          今日も今日とて瞑想的に生きている。 思考少なめで、静かに気づきつつ、生活している感じだ。 と、こんな風に、今でこそお気楽瞑想生活をしている私だが、二年くらい前までは自殺を考えるほど苦悩していた。 過去の私の記事を読んでもらえればわかるが、本当に「死にたい、苦しい、不安で仕方ない」というようなことばかり書いていた。 当時は、不安感が常にあって、時折それが暴走していた。 不安が強すぎて、居ても立ってもいられず、家の中をずっと歩き回ったりしていたものだ。 衝動的に叫び出しそうに

          苦しみが枯れるまで