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noteを始めて3周年

noteを始めてから、3年が経った。
その間、実にいろいろなことがあったものだ。

特に、3年前から2年前くらいにかけては、離婚したショックと過酷な労働が原因でうつ状態になり、そこから回復する途上にあった。
毎日生きることが辛く、一日一日を過ごすだけで精いっぱいだったのだ。

たとえば、当時はこんな記事を書いていた。

このように、当時の記事もnoteにはたくさん残っているが、そこには、絶え間ない不安に苛まれながら懸命に生きようとしていた当時の自分の心情が、リアルに描写されている。

この頃の私は常に不安で、いつパニックの発作が起こるかわからず、笑うことさえもできなかった。
また、「死にたい」という想いにも取り憑かれていて、橋を渡っていると下に飛び降りたくなり、バイクを運転していると対向車線にハンドルを切りたい欲求に駆られた。
我ながら、「よく生き延びたものだなぁ」と思う。

そこから、少しずつ体調も回復し、私は瞑想に取り組むようになった。
元気になってきて、何かをしてみたい気持ちが高まった結果だった。

とはいえ、瞑想自体は10年以上前から実践していた。
ただ、精神状態が悪化してしばらく休んでいたので、体調の回復に伴ってそれを再開したのだ。

ちなみに、その頃の記録は下のマガジンにまとめてある。

当時は比較的暇だったこともあって、一日に4~5時間ほど瞑想を実践していた。
私はやるとなったらとことんやるところがあるのだ。

ただ、それでやり過ぎて嫌になってしまい、たしか2~3ヶ月くらいでまた瞑想をしなくなってしまった。
それからは仕事が忙しくなったこともあり、noteの更新もせず、ひたすら労働に打ち込んでいた。

そこから約一年後、私はnoteの更新と瞑想の実践を再開した。
再び瞑想の実践から得られた気づきを、noteで記事にするようになったのだ。

私は日常生活の中で瞑想を実践するようになり、その結果、とても静かで穏やかな心境に至った。
心の中に風一つなく、穏やかで心地よい感覚がそこにはあった。

それは瞑想の世界では「ハート」と呼ばれている感覚であり、平安を意味している。
そして、私はこの「ハートの感覚」を誰かに伝えたいと思うようになり、いくつか記事を書いた。

ちなみに、当時の主な記事は下記マガジンにまとめてある。

それからのち、自分の内側では「穏やかな心(ハート)」を大事にしながら生活していたのだが、外側の世界では私の仕事はどんどん忙しくなっていった。

そんな中、そうした外側の忙しさに引っ張られるようかのように、私は「ハート」を感じることが難しくなっていった。
家に帰っても疲れて寝るだけで、自分を満たすことがなかなかできなくなっていた。

そしてある日、とうとう我慢の限界が来た。
私は仕事を辞める決意をし、上司に辞表を提出した。
このままここで働いていたら、自分は緩やかにすり減っていくだけのように思えたからだ。

もちろん、理想的な職場など、どこにもないだろう。
これから別な仕事をしても、辛いことや理不尽なことはあるはずだ。

ただ、私は今一度ゆっくり考える時間を持ちたかった。
自分と向き合って、これからどう生きていくかを真剣に考えたかったのだ。

そんな中で、私のエネルギーが爆発した。
今まで我慢してきたものが解放され、「自分らしく生きたい」という想いが内側から噴き出したのだ。

そうして私は「自分らしく生きるにはどうしたらいいか?」という問いをめぐって、記事を書くようになった。

それに関する主な記事は、下記のマガジンにまとめてある。

ちなみに、この流れは今も継続している。

嫌なことは「嫌だ」と言う。
我慢ばかりを自分に強いるのではなく、もっと自分をありのままに肯定して生きられる人を、世の中に増やしたい。
そんな想いで、今は文章を書いている。

それにしても、こうして振り返ってみると、私の考えがこの3年間でかなり変化したことがわかる。
言っていることも、時期によってけっこう矛盾していることがあるかもしれない。

ただ、私は私なりに、その時々の正直な気持ちを書いたつもりだ。
それらが互いに矛盾するのであるならば、それは私がそれだけ前に進んだからなのだと思う。

これから先、何を書いていくことになるかは、自分でもわからない。
ただ、力の続く限り、読者に言葉を届けたいと思っている。

私は書くことが好きだ。
書くことは、私の人生に「意味」を与えてくれる。
書くことによって、静かにエネルギーが満ちてくるのだ。

逆に、文章を書いていない期間が長く続くと、私は何か「間違った生き方」をしているような気分に囚われる。
きっと私は文章を書き続けるように創られているのだと思う。

今後もnoteがある限りはここで文章を書き続けていくつもりだ。
そんな私の文章を読んだ人が、もしも何かを受け取ってくれたなら、私はとても嬉しく思う。

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