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脱線したらええやん

こんなご時世なので就職活動で悩んでいる方も多くいると思います。
そんな悩んでいる方向けの文章を書いてみたいと思います。

まず、前提としてこんな事を話します。
①あなたの考える「普通」を手に入れるのは難しい
②社会って結局ヒエラルキーだよ
③脱線したっていいじゃない

・・・

まず①から。
「普通」の定義って難しいかも知れませんが、

仮に、普通にそこそこの企業に行って、そこそこの給与をもらって、
結婚を意識する彼女がいて、健康で、いずれは持ち家や車を持ちたい、
そして子どもが欲しいって願望は色々な人が思い浮かべるかも知れません。

けど、これって昨今では結構、難しい事だったりします。なぜか?
下記の文章を読んだ瞬間に、私は腑に落ちる感覚がありました。

ちきりんさんのこんなブログ記事を見てみてください。

まず、こうやって書いている私自身が、
そんな大した給与をもらっているわけでもなく、
持ち家や車も持っておらず、そもそも健康ではなかったりします。

もしかすると、あなたがイメージしている「普通」は、
ひと昔前なら当たり前でも、現在はハードルが高い事かも知れません。

・・・

次に②。
社会って学生時代に想像していない程、見えないヒエラルキーがあって、
逆転が正しいかどうかすら分かりませんが、ひっくり返すって、
結構難しい事が多かったりします。

なので、こんな事を言うと夢も希望もありませんが、
相当やり切っている人以外は、身の丈にあった生き方をする以外に
選択肢がない状態に陥ったりします。

また、ヒエラルキーの中にもヒエラルキーが存在しており、
個人的には「しょーもな!」って思うのですが、それが現実だったりします。

学歴社会でなく、実力主義の社会と言っている人がいるのですが、
それは数段階目のヒエラルキーである就職活動を本気で取り組んだ人は
そんなことは口が裂けても言えないと思います。

それは、有望ベンチャーですら学歴社会の風潮があったりするので、
表面的に「学歴なんて関係ない」と言う人々を増やして、
社会に対する不満を噴出させない霞ヶ関の意図的な操作だと考えています。

・・・

最後に③について。
私は就職して1社目までは悪くない路線を走っていたはずですが、
その後体調を崩して、脱線というか、人生が崩壊していました。

でも、いつ誰がどんな状況になるか分からないこの時代に、
脱線しない事を避けて生きるなんて実質的に不可能だったりします。

というのは上司ガチャを失敗するだけで鬱になったり、
社会の構造的な不況であったり、疫病が流行したり、
親の介護だったり、どこにリスクが潜んでいるかが全く読めません。

私の場合、親に恵まれ、友人に恵まれていた為、
何とか復帰する事ができましたが、
ちょっとでもフォローが不足していれば、もしかすると
まだ私は監獄のような閉鎖病棟にまだいるかも知れません。

だからこそ、いつかどこかで自分は脱線するぐらいの感覚で
いた方が楽かも知れません。むしろ、脱線した方が得られる事も
あるかもしれません。私は人生に何より大事な「人」と
「優しさ」を見直すきっかけになりました。

これらは今、私が人生を生きる根幹になっていたりするので、
どこにプレゼントが落ちているのかなんて全く分からないです。

だからこそ、脱線する事に怯えて、脱線しないように生きるより、
自分の生き方自体からどう学ぶか、その生き方をどう正しく捉えるか、
そして、現実をどうより良くしていくかに焦点を当てるべきなのかなと。

・・・

結局、この記事を書いて何を伝えたかったのかというと、
悩みに悩んでいる方に、そんなに悩まなくてええんちゃう?
脱線したってええやん。
むしろ、その方が幸せになれるかも。という事を伝えたいのです。

もちろん、私自身、一回脱線して、
1周目より人生の難易度は上がりました。それは事実です。
でも、その頃より面白く生きられているのかなとは思います。

人生には失敗や反省はつきものです。
真価を問われるのは、そこで腐ったり、立ち止まったりするのではなく、
集中する事に集中して、自分の人生に向き合って、
まず立ち上がり、どうリカバリーないし、乗り越えるないし、
別の方向性を模索するかなのかなと思います。

どの選択も全て正解。
なら楽しむのが本間の幸せなんやと思いますよ。

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