基準をアップデートする
私は病気を持ちながら正社員として働いております。
病気や障がいと言うと「できなくて当たり前だよね」のように他者に見られる側面だけでなく、自分の可能性に限界を感じて蓋をする事例が散見されます。
でも、それって健常者、障がい者ともに勿体無いこと考え方では無いでしょうか。
確かに、病気を持つと出来ない事が増えます。
私も過度に残業も出来ないですし、大きな声で怒号が飛ぶ場にいる事ができないですし、稀に苦し過ぎて業務を早退する場合もあります。
とはいえ、こういう一般的に言うマイナスポイントはうまく活用することもできて、業務時間内で業務が完全に終わるように時間予測とスケジューリング、実行から完了までオンスケで動かすように工夫していますし、大きな怒号が飛ぶ可能性の少ない会社に転職しましたし、業務を休んでも自分の業務を代替する仕組みも構築しています。つまり、一般的にマイナスに見える要素も、自分自身の工夫次第で何とか改善できる場合があります。
こう書くと「それってあなただけができるものですよね?」という能力的な側面で疑問が浮かぶ場合があるのですが、そうではありません。
それを私は「基準」と捉えています。
つまり、「私は〜の人生を歩む」「私は〜ぐらいやって当たり前」「〜な仕事をしたいので仕事を頑張る」といった自分の中の目標や的を常に用意して、的や基準の通りに生きるという事を私は続けています。
全ての人に自分の考えを押し付けたい訳では決してないのです。
というのは、自分が目標を持った場合に、他者に関係するコントロールが難しい要素があった場合に、自分の目標を自分が達成できない場合に、自分で自分を責める事例を私自身も経験したことがあるので、気持ちは理解しているつもりです。
しかしながら、病気をお持ちの方の中には、億劫な気持ちになり過ぎて、少し卑下に近い感覚をお持ちの方も結構いらっしゃると思っていて、もっと自分の生きたいように生きればいいのにと私は本気で思っています。
それは、他者のサポートや環境整備で生まれるものではなく、自らの基準を自らでアップデートすることで、得られるのではないかと言うのが個人的な仮説です。
考えてみれば、日本人は基本的にレールを敷かれた社会で生きるのは得意ですが、レールから外れた段階で思考停止になる場合があるのかなと考えます。
ただ、病気や障がいを抱えるという事は、ある意味レールから外れた所からどう立ち上がるかという第一ステップがとても高いと言えるので、そこで停滞してしまう気持ちも理解しますし、理解されるべきポイントとも捉えることができます。
しかしながら、そこをエイヤ!で乗り越えないとあなたの人生はそこで止まってしまいますし、本当にもったいないと思います。なので、今苦しんでいる方はぜひ乗り越えてほしいと思います。
僕自身も、どうしようもない時がありました。
来る日も来る日も何も出来ない、非生産的だと感じる時間が着々と進む。
何もできないまま、苦しみながら年だけ経っていき、絶望感にまみれる。
今でも絶望と向き合うことなど日常茶飯事です。
でも、できることは広げて拡張できます。
基準が下がっていたとしてもアップデートできます。
一朝一夕で目の前の景色が変わることは決してありませんが、遠い遠い未来に向かって「今」を積み上げることができます。
状況はすぐには変わりませんが、自分が積み上げたことは自分に確実に返ってきます。
「基準」を定め、その時の状況に応じた「的」を用意し、確実に達成していく。
そして、現実が「基準」を上回ったら、「基準」自体を「アップデート」する。
人生って苦しいこと、辛いことに囲まれているとは思いますが、自分なりの「前」を見て、見続けて、「自分なりの人生」を改めて構成し直し続ける繰り返しが必要なのではないでしょうか。
その先に、自分の病気で一般的な枠に収まらないことが可能な気がしています。
私も試行錯誤の人生で、完成型とはとてもじゃないけど言えません。
他者を見て、悔しいと思うことも度々です。
でも、状況に流されず、漫然に生きず、一歩ずつ積んでいることは間違いないので、その日々の一歩を大事にして生きたいと考えています。
皆、いる位置こそ様々ですが、自分なりの「基準」を持って生きたいものですね。その先に「あなただけの生き方」があるのだから。
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