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自分の心の声を見つめる対話

断捨離をしていると一年前くらいのノートを見つける。
丁度風の時代だとワクワクしていた頃。

スピリチュアルに興味を持ち始め、
まだ執着やエゴ、戦いの意識でいっぱいだった頃の私を見つめる。

その頃求めていたものが全て 
今の自分に重なり感極まるのも束の間、

その時のまっすぐな言葉が少し響いたので残しておきたい


みんな頑張っている。
めげそうになっても、支え合い、奮い立たせ
自分の幸せを一生懸命に選んでいる。
幸せになるということは、
実は簡単なようで簡単な道ではない。
そんな気がしている。

自分と向き合う恐怖に立ち向かわないといけない決心が必要だから。
自分を生きているようで生きれていない。
自分という存在が機能しているようで空っぽで芽生えるそこはかとない虚無感。

それをいじくりまわせるほどの勇気も力もない色々な環境、経験、人間関係で形成されている奥深い部分。見つめれない。感じれない。
ただいつか越えないといけない壁であることは分かっている。そんな壁を見て見ぬ振りしているほうが楽だったりする。

私は逃げて浅いところで足をばたつかせている方が、楽だと、「思考」で思っているのかな。自分と向き合い自分を知っていくなんて。

「自分のことは自分が一番分かっている」と
母親や友人に強く訴えたことを思い出す。
実際分かってないし、自分を解放し生きれていない。外にある多すぎる情報の中、
誰かのストーリーに入り込んでは、
自分の個性と立場とポジションを務めて、
気づいた時には、人生の目標さえもそれで形成されていることに気が付き愕然とする。
魂として生まれ、尊いはずの「耀き」が、
内側を何かも、自分が何なのかを分別できない真っ暗なところまで来てしまった。
一体、どれだけ自分を知っているのか。
自分の幸せの源泉は何か。
その人の持つ、温度を、本来の温度に戻していくことができたら嬉しい。そのままでいいと誰かに伝えられるくらい、私も私のままでいいと、自分に戻っていくことをしていこう。


というようなことを書いていました。
私は、今自分を取り戻しはじめていて、豊かさを感じています。

とても繊細な部分を文章にしていくことで、
何か寄り添えるものになれれば嬉しいな、と。

今日もボソボソひとりごと読んでいただき本当にありがとうございます✨

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