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才能について

才能の正体

最近ふと才能について考えたことがあって、ザザっとまとめてみました。

才能って言葉聞いて何を浮かべますかね?

自分には絵描きの才能がある
文章を書く才能がある
運動の才能がある

こんなことを考えるのではないかと思います。
これはこれでその通りなのかなとも思います。

そんな中で、よく才能がないからできない。
自分には才能がないから

と諦めてしまうことはあるあるなのかなとも。

その才能ってそもそも何を指すんでしょうか?

おそらく才能とは

「生まれ持ったもの・能力」


という認識がなされているのかと思います。

ただ、もちろん両親からのDNAなんかは関係してきたり、人種や骨格などそれこそ生まれ持ってくる能力というのはあると思います。

しかしながら1996年のイギリスの大学の研究の中では、生まれ持った才能なんかないとも言われています。

少なからず一度はこういうことを考えたことがあるのではないかなと思っていますが、これって結果が出ない言い訳であったり、潜在的に他人と比べて自分が劣っているということを才能のせいにして安心しようとしているということがあるのかと思っています。

しかし、何に興味を持って、何を自分が望んでいて、どんなことを成し遂げたい、どんなことがやりたい
こういうのは全て後天的に何かが生まれてできているものです。

1歳にも満たない子供が、絵の才能があるなっていうことでいきなりそっちの道に行くというよりは成長の過程で何らかの影響を受けて絵を描き続ける、試行し続けることによって才能というものがより開花して唯一無二のものになっていくのかと思います。

才能ってこう考えるとわかりやすいのではと思っています。
自分が認識したり、いいなと思ったりしたものに対して才能の芽が生まれます。

そしてその才能の芽に水をやる、すなわち鍛えていくことでいずれ花が開いていきます。
しかしながら、興味もないし、そもそも知らないという時点で才能の芽すら出ていないので、ようは才能はないのです。

例えばピアノ弾けたらいいなと思っていても、弾けない人がほとんどなのではないかと思います。
それって才能がないのではなく、やらなかっただけだと思うんです。
自分でやろうとも思わなければ、そもそも才能もクソもないと思います。

運動神経がない、運動の才能がないという人がいます。
でも本当にそうなのでしょうか?

ただただ芽が出ているのに適切な肥料や水を与えることができず、自分には才能がなかったと言って、他人の花見て、あいつは才能があるからいいなあと。

私は演技の才能はあります。
興味もあるし、何より演技って面白そうって思っています。
でも俳優になっていないのは、別にそこまでしてやりたいわけではないので、その才能を活かす、向上させようという気がありません。
でもその分自分のやりたいことの方面では目一杯水をやっています。

もうお分かりかもしれないのですが、
才能がないとは

「知らない」

とか

「認識していない」

ということに近いと思っています。
知らなかったらそもそも芽が出るはずがないので、自分の知らないことでいきなり自分がその才能があったんだ!ってなる訳がありません。
自分が無意識的にさえも影響を受けていないものについては才能もクソもないということですね。

才能が開花して、いわゆる成功している人であったり、第一線にいた人というのは、才能があったからそうなったというわけではなく、才能の芽に情熱を注いでそれだけの努力を重ねてきて結果的にそうなったという訳です。

ただ周りの人間は彼、彼女には才能があったとかたづけてしまうんですね。

才能はすでに我々全ての人の中に存在して、あとは育むのかどうかは自分次第ということですね。才能があるくせにないない言って目を瞑っているのは芽を摘むっているのかもしれませんね。

夢を掴み取る人、成功者は自分の情熱を追い続けて
失敗する人は才能を当てにする

才能はすでにあるので、あとはしっかりと開花させるまでやり続けること
情熱を持って…

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