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二度目のエゴン・シーレ 〜絵画と音楽について取り留めもなく語る

 昨日二度目のエゴン・シーレ展に行ってきました。今回は前回買えなかったグッツを買うという目的もあって行ったのですが、同じモノを同じように観てもしょうがないのでシーレと同時代に活躍した作曲家アルノルド・シェーンベルクの『浄められた夜』を聴きながら鑑賞していました。この曲は後に十二音列音楽で現代音楽を作り上げるシェーンベルクの前期の作品でまだ後期ロマン派色が濃厚に残っている曲です。捻れたワーグナーともいうべき卑猥な音色がこの曲の特色ですが、その音色はシーレの絵を音像化したようでもあります。そういえばシェーンベルク四重奏団という彼の名を冠した楽団がこの曲を演奏したCDのジャケットがシーレの絵でした。この曲は後にシェーンベルク自身の手によってオーケストラ化されていますが、私は室内楽版の方が断然好きでオーケストラ版は滅多に聴きません。

 この曲を聴きながら改めてシーレを見ると彼の生きていた時代の雰囲気が視覚聴覚で感じてまるで当時のウィーンの街中を歩いているような気になります。シーレとこの当時のシェーンベルクがテーマにしているのは一種の閉塞感ですが、シェーンベルクが後に表現主義に入ることでこの閉塞感から抜け出しますが、シーレの方は一生閉塞感を書き続けたと思います。

 ここでシーレと全く関係ない話になりますが、音楽に大してよく言われる言説に『音楽は文学や美術に比べて発展が遅れている』というものがあります。この言説に私はずっと引っかかっていて、どうにも納得がいかないのです。確かに音楽のロマン派は文学や美術よりも遅れて発生している。バッハやヘンデルのバロック音楽もやはりそうです。しかしこれって音楽が文学や美術のように形のないものだからじゃないでしょうか。音楽は文学のような時の連なりではなく、美術のような物そのものではありません。音楽は音というそれだけでは意味を持たないものの連なりであります。確かに楽譜というものはありますが、楽譜だけでは音楽を聴いた事にはならないと思います。形がないからそれだけでは説明できず、他のものからそれっぽいものを引っ張ってきてくるしかない。一般に音楽が他の芸術に比べて発展が遅れて言われている原因はここにあると私は考えています。音楽が他の芸術に遅れているわけではない事を証明するのは案外簡単で例として先程あげたシェーンベルクと抽象画の第一人者であるカンディンスキーをあげることができます。この二人はジャンルも国籍も違うのにも関わらず共に芸術を発展させようとしていましたが、そのカンディンスキーはシェーンベルクの無調音楽に影響を受けて抽象画を編み出したんですよ。という例からも私はやっぱり音楽は他の芸術より遅れているわけではないと思います。いや、もっと身近な例があった。最近の文学も美術もヒップホップなくしてあり得ない。昔はロックだったけど今はヒップホップでしょう。ロックがそうであったように、ヒップホップも音楽だけで語られるムーブメントではありませんが、音楽が中心であるのは事実でしょう。

 とここで再び話をシーレに戻します。今回の展覧会では残念ながら展示されていませんでしたが、シーレに『死と乙女』というシューベルトの同名の弦楽四重奏曲と同名の作品があります。この両作の関連性については確認できませんが、個人的にこの両作には近しいものを感じていています。私はシューベルトの曲を初めて聞いた瞬間シーレのこの絵を瞬時に思い浮かべましたが、後に高名な音楽評論家の故吉田秀和氏はシューベルトのこの弦楽四重奏曲に関してとあるエッセイでクラシックで初めて汚い音を鳴らしたと書いているのを読んでやはりそういうものであったかと膝を打ちました。バッハやヘンデルは勿論、モーツァルトやベートーヴェンでさえシューベルトのような汚い音は出していない。確かにモーツァルトは不協和音を取り入れたことはあらますが、これは冗談というか聴衆をびっくりさせてやろうという彼の悪戯心からくるものでシューベルトのような表現として用いませんでした。このシューベルトからリストやワーグナー、その後のマーラーを通ってシェーンベルクの『浄められた夜』に行き着くわけですが、シューベルトは世紀末のウィーンで大人気だったようで、シーレの師匠のグスタフ・クリムトも消失した作品『ピアノを弾くシューベルト』でシューベルトを描いていますから、やっぱりシーレの『死と乙女』もシューベルトと関わりあるのかなと思うんですよね。


 シーレに話を戻すと言いながらいつの間にかまたシーレから脱線していました。だけどシーレについて語るといっても二回目の観覧なんで特に語ることってないんですよ。感想は前回とほぼ一緒で新しい発見はほとんどありませんでした。前回見た時に受けた印象を再度確認したって感じでしょうか。

 お客さんは夜にも関わらず結構いてルードリッヒ二世な気分には全くなれませんでしたが、今回も良かったことはよかったです。観覧が終わってから販売コーナーでカタログとクリアファイルとポストカードを買ったんですが、その時シーレの絵がプリントされているシーレクッションをみました。私はそれを見て流石にちょっとと思いました。

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