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《長編小説》小幡さんの初恋 第五回:週末のパプニング その1

 春のうららかな日差しがさす中、何故か鈴木と小幡さんは土手を歩いていた。時々小幡さんが花を指さして「鈴木さん見て」と笑顔で言う。鈴木はその小幡さんを見て同僚とこうやって二人きりで会うのもいいなとにこやかな気持ちになった。再び小幡さんが今度は花を手に持って鈴木に向かって満面の笑顔で言う。「お父さん、お花よ!うちに持って帰りましょうよ!」おおっ、今度は僕が君の父親代わりをするのかい?難しい注文だな。君のお父さんの事は全く知らないから。それから小幡さんはしゃがみ込むとつくしん坊を引っこ抜いて鈴木に見せて彼の名前を囁いた。「守男さん……」

 ここで鈴木はビックリして目を覚ました。そして今見ていた夢を思い出していかんいかん、小幡さんを夢でもからかってはいかんと自分を戒めた。しかし何故小幡さんが突然夢に出てきたのか。しかも妙に卑猥さを感じさせる夢であった。小幡さんが夢に出てきたのはおそらくはじめてだ。しかし彼は再びいかんいかん、これ以上変な想像をしてはいかん。今日はサイクリングに行くのだ。余計な邪念は捨てろとすぐに布団から跳ね起きた。


 さて朝である。鈴木は布団から跳ね起きるとすぐにお勝手に向かってランチ作りを始めた。今日鈴木は毎週の習慣になっているサイクリングに行くのだ。サイクリングは昔から趣味であったが、習慣になったのはこの土地に来てからである。作っているのサイクリングの途中で食べるための弁当だ。手慣れた調子で野菜やら肉やらを刻み調理していくが、その際には材料のカロリーの配分と、味付けの調味料のさじ加減には細心の注意を払う。「今日は油や醤油は控えなきゃな」と彼はミリ単位で醤油や油を測る。とはいっても別に彼は健康オタクというわけではない。これは彼の一種の頭脳労働的な暇つぶしに過ぎないのだ。そうして出来あがった弁当を見て彼はその出来栄えを自画自賛した。彼がまともに弁当を作るようになったのは東京を引き払ってこの地に来てからである。

 そうして弁当を作ると鈴木はその弁当の残り物で朝食を食べる。食べるとやはり美味い。彼はたった二年で自分がここまで料理が上手くなるとは思わなかったと思い、今まで高級レストランやら、ビジネスの隙間時間に手軽にマックで腹を満たしていた商社時代を思い出し、あの頃とはずいぶん変わったなと感慨深く思った。

 朝食を食べ終わると鈴木は食器を洗い、それからシャワーん浴びて髪を乾かすと、サイクリングスーツに着替えた。それからリュックに弁当と、あとはサイクリング後の水泳用の水着が入った巾着を入れると、戸締まりがされているか各部屋を確認しに回った。

 改めて家の中を見てみるとこの平屋は一人で暮らすにしては少し広すぎるような気がした。マンションから家具一式や部屋を埋め尽くすほど本を持って来ればかなりのスペースを埋められたかも知れない。だが今の鈴木には必要なものがあればそれでよかった。近所の安い家具屋で買った家具と、手元に残した僅かな本。鈴木は最後に自分の書斎を確認して一人呟いた。「悪くないじゃないか」そして全ての部屋の戸締まりの確認を終えた鈴木はサイクリングに向かうために外に出た。

 鈴木はドアの鍵を閉めてそれから郵便受けを覗いたが、中にはピザやら宅配寿司などのチラシが何枚も入っていた。彼は以前住んでいたマンションではチラシなど入れられる事はなかったので、チラシを入れられても迷惑がるどころか逆に興味を持って中身を読んだ。

 彼はチラシをさっと見て後はサイクリングの途中で読もうと思ってチラシをリュックの中に入れようとしたが、その時彼は離婚した妻の父親とその息子の名前が記されたハガキを見つけた。父親の息子というのは離婚した妻の弟である。鈴木はもう縁もとっくに切れているのに毎年季節ごとにご苦労な事だと苦笑した。手紙には父親が大きな字で、「早春、陽は麗らかに、またいつか」と下手くそな俳句があり、その脇に婿はん、東京はあたたかくなりましたか?と小さく書かれてあった。その脇には元妻の弟から次男が東京の大学に入ったので会うような事があったらよろしくお願いします。と丁寧な時で書いてある。鈴木はここまで読んで一瞬、東京とその他の県の区別もつかぬとは。と関西人の無知ぶりに呆れかけたが、あらためて大学名を確認すると確かに息子の入ったという大学のキャンパスの場所は東京ではあるが近くにあることに気づいて、なるほど確かに会うかも知れぬと思い直した。しかし、二人のハガキには元妻の事は全く触れられていなかった。やはり二人ともアイツとはまだ仲直りしてないのかと、今では全く他人事ながらなんだか心配になった。鈴木はハガキをしばらく見つめると、さてと呟いて気分転換するとハガキをチラシと一緒にリュックに突っ込んだ。

 リュックを背負った鈴木は拭きものを手に持つと、庭に止めてあるロードバイクのサドルとハンドルを拭き始めた。それから最後に忘れ物はないかと念には念を入れて確認をした。そうして持ち物が全部揃っている事を確認すると、いざ出発と土手に向かってバイクを漕ぎ出した。


 鈴木が二年前にこの土地に来たのはただの偶然だった。ハッキリ言って二年前までこの土地のことについて自分のところのグループ会社が事業をしていた街という認識しかなかった。彼は東京港区育ちのエリートの家に生まれた生粋の都会人であり、数年前まで元財閥グループの中核企業である大手商社の本部長を勤めていた人間だったからだ。商社に入社して早くから数々のプロジェクトに抜擢されて順調に出世していった。三十手前で結婚した妻と一人息子をもうけた後十年後に離婚したが、それは彼の出世の障害にはならなかった。離婚した時には妻の素行の悪さが広まっていたので、皆彼に同情したからである。数々の働きが認められて鈴木は本部長に任命され、いずれ取締役になるのではと噂されたが、彼は運悪く社内の派閥抗争に巻き込まれてしまった。現経営陣と会社の経営を取り戻そうとする創業者一族の争いである。鈴木は創業者一族の当主と大学の先輩後輩の関係で親しくしていた関係で創業者側についたが、それが仇となった。札束さえ飛んだという壮絶な争いの果てに創業者一族側は敗北し、創業者側は鈴木に全て吹き込まれたと大嘘をついて今回の抗争の全責任を鈴木に押し付けた。結局鈴木は責任を取らざるを得なくなり、辞表を出して会社を去った。

 こうして鈴木は自分の積み上げてきた地位を一瞬にして全て失ったわけだが、彼は自分でも不思議なくらい淡々と事実を受け入れた。自分を追放した経営陣や自分を裏切った創業者一族さえ恨まなかった。たしかに彼は一時期は創業者一族や同僚や部下の裏切りに傷つきはしたものの、すぐに立ち直り、こういう事もあるさと驚くほど客観的に全てを受け入れたのである。恐らくそれは鈴木が持っていた人生感からくるものだろう。彼はいつの頃からか晴耕雨読というものに憧れを抱き始めていた。晴耕雨読とは文字通り晴れた日は畑を耕し雨の日は読書に耽るという、一種の仙人的な生活を表したものだが、鈴木はこう仙人のような達観した境地で自分に降り掛かった災難を全て受け入れたのだった。そしてこうして突然自分のキャリアが終わった時、彼はいっそこれからはその晴耕雨読の生活を実践しようと考えた。幸にして退職金はあるし、不動産や株や車を全て売り払ってどこかの安い土地に引っ越せば一生安泰に暮らせる。これは早い定年退職だと思えばいいと彼は考えた。

 勿論社内にも創業者一族に嵌められた鈴木に対する同情の声があり、鈴木に対して会社を裁判で訴えたらいいのではないかと持ちかけるものがいたが、彼は訴えることはしなかった。また、鈴木の退職を聞きつけた大学時代の知り合いや取引先の会社の人間からのスカウトがたくさん来たがそれも全て断った。

 さて、そうして辞表を出した後、溜まりに溜まった有給を消化していた彼はどこに行くともなく毎日図書館や美術館に通って暇を潰していた。そうしてブラブラしていたある日のこと、鈴木は部屋のPCのネットでたまたま目にした不動産の広告にはたと目を止めたのだった。いつもだったら無視するのだが、住む土地を探していた鈴木は気まぐれにクリックしてみた。

 そこはまっさらな空き地でポツンポツンと家が申し訳程度に建っていた。あたりは一面の平地で坂などまるでない。鈴木はこれを見てまるでアメリカの郊外のようだと思った。どこの田舎なのかと彼は見てみるとなんと東京のすぐそばではないか。彼はもしかしてここだったら自分の理想とする晴耕雨読の生活が出来るのではないかと思った。東京と近いが都会とは隔絶されており、しかも地方の田舎ではなさそうだ。どうやらこの土地は新興住宅地で、彼の大嫌いな田舎の因襲(彼は関西も含めて東京都市圏以外の地方を全て田舎と呼んでいた。)とは無関係の土地に思えた。よそものを排除せず、しかも干渉してこない。そんな生まれも育ちも違う他人同士が住む土地のように思えた。


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