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フォルテシモ&ロマンティック協奏曲 第六回:メランコリア

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 諸般リストを抱えた大振は空港の外に止めてあった救急車に乗り込んだ。大振のこの一連の行動を見守っていた関係者とマスコミはその信じがたい光景に驚愕した。あの傲慢チキのパワハラ常習犯で、ヒトラーやスターリンを遥かに超える独裁者と言われる大振が、ここまで一人の人間に親身になれるとは。彼らはやはり大振と諸般は不倶戴天の敵同士とはいえ、やはり音楽家同士の絆があったのだと感動した。

 しかし救急車に乗っていた大振は担架に横たわっている諸般を助けたことをひたすら悔いていた。彼は枯れ木のように朽ち果てている諸般を憎さげに見て心の中で呟いた。ああ!こんな粗大ゴミを何故助けたのか!恩義のある人間なら粗大ゴミ以下の人間でも慈悲の心で助けもしよう!だがこいつには恩義どころか軽蔑と憎しみしかない! 

 クラシック界の面汚し。ピアニストという名の曲芸師。恥知らずにもロマンティックヴィルトゥオーソなどと名乗り、偉大なるクラシックを見せ物にまで貶めた男。こんな男をこの偉大な二十一世紀最大の音楽家である、この大振拓人が助けてしまうとは!こんな枯れ木の粗大ゴミなど、あの場に見捨てて朽ち果てさせればよかったのに! 

 あの詐欺師もどきのプロモーターは日頃から俺とこの粗大ゴミを似たもの同士だと言っていた。俺もそれを感じてこの粗大ゴミに親愛の情を感じてしまったのか。いや違う!このフォルテシモに偉大な音楽家の俺とバメリカンの曲芸師のコイツでは神とちり紙ほどの違いがある!ただの気まぐれに過ぎぬ!今からでもいい!早くコイツを救急車から捨てようと諸般を持ち上げてやると大振は担架から諸般を持ち上げて投げ捨てようとした。

 大振のあまりに奇怪な行動に驚いた救急隊員が慌てて彼を止めた。しかし大振は逆に救急隊員をボコボコにしてバックドアを強引に開けてそこから諸般を投げ捨てようとした。だがその瞬間大振は突然この枯れ木の粗大ゴミが突然愛しくなってきたのだ。大振はそれでも気まぐれだと振り切って諸般を投げようとした。だが出来なかった。彼は突如として現れた愛情に負けて諸般を投げ捨てる事をやめた。結局大振は諸般を担架に戻しいつの間にか止まったいた救急車の運転手に早く病院に向かわんか!と怒鳴りつけた。

 病院に着き諸般リストは早速緊急治療を受けた。大振はその緊急治療室の前で諸般の治療が終わるのを待っている間ずっと妙な胸騒ぎを覚えていた。さっきまで投げ捨てようとしていたあの枯れ木の粗大ゴミを何故ここまで心配するのか。さっきまであんな粗大ゴミは捨てて当然だと思っていたじゃないか!なのにどうして今あの粗大ゴミが助かるかどうか心配するのだ。ああ!これはただの憐れみ!粗大ゴミをペットか何かと錯覚したが故の憐れみに過ぎないのだ!だが今彼は一方でその粗大ゴミの生死を心臓が破裂しそうなるのを抑えながら必死で見守っていた。

 それからしばらくして緊急治療室の扉が開いた。中から医師とベッドの諸般とそのベッドを運んでいる看護師が現れた。医師は大振を呼んで別室に来るように声をかけた。大振はクラシックに無知な医師がフォルテシモなカリスマ指揮者大振拓人を知らないため、自分を諸般の兄弟と誤解していると思い、その場で自分がいかに素晴らしくフォルテシモな指揮者である事をアピールして誤解を正そうとしたが、しかしすぐに今の諸般が完全にぼっちなのに気づいて仕方なく医師の元へ向かう事にした。

 部屋の中で医師は意外にも平静な顔で大振に諸般の病状を説明したが、それによると諸般は特に病気らしい病気はないが、極端な栄養失調で、このまま何も食べなければいずれ死んでしまうという事だった。大振はこれを聞いて全く人騒がせな男!なんだと思って心配したがただのダイエットの失敗だったのか!いかにもバカメリカンらしい所業だと呆れ果てたが、医師は続けてこう言ったので急に耳を正した。

「とりあえず、健康上は何の問題もないので何か食べさせれば体調はすぐに回復に向かでしょう。しかし精神の状態が非常に悪く、治療中も、死ぬ、僕は死ぬ、ロマンティックに僕は死ぬと繰り返し譫言を言っていて、このまま放っておいたら大変危険かと。一度専門の病院で診てもらった方がよろしいと思います」

 これを聞いて大振は驚愕した。このバカメリカンがメランコリアというロマンティックな病に憑かれただと?メランコリアは洗練された文化を持つヨーロッパの芸術家や、俺のような規格外の天才芸術家のみがかかる病だ!奴如きいつもハッピーセットなバメリカンの曲芸師がかかるはずがない!ヨーロッパをひたすら讃え、アメリカ文化を果てしなく軽蔑する大振には諸般のようなハッピーセットなバメリカンがメランコリアにかかった事を知って憤激した。

 大振は医師の部屋から出るとまっすぐ諸般が収容されている個室に向かった。そして諸般の部屋のドアをそっと開けたが、諸般はすでに目覚めており、大振を認めるとハローと片手を上げて気のない挨拶をしてきた。大振は撫然とした顔で鼻を鳴らして諸般に向かって空港での出来事を語り、そして貴様どうしてそんな枯れ木みたいな格好をしているんだ!貴様のせいで明日の記者会見はなくなったんだ!貴様は本当に俺と曲を作る気があるのか?ましてやコンサートなどやれるのか?この枯れ木の粗大ゴミめ!と徹底的に諸般を罵倒した。しかも最後に押し付けがましく自分が助けなきゃ貴様は死んでいたのだぞ。俺に跪拝して感謝を捧げろと言って自分への感謝を強要した。

 しかし諸般は大振に感謝も激怒もせず、突然体を震わせて泣き出した。大振はこのロマンティック気取りの男のあまりに意外な反応に驚愕した。

「オー、スティック・ボーイ。僕はもうダメだ。もうピアノなんて弾けないよ」

「何を言っているのだ貴様!俺と共作の協奏曲の話はどうなったのだ!それよりもコンサートはどうするのだ!協奏曲なら天才の俺が才能ゼロの貴様の代わりに全部書いてやるが、コンサートは俺一人じゃ出来んのだ!いや、俺一人でもコンサートはできる!だがこのコンサートはあくまで俺のフォルテシモな指揮で貴様をとっちめてやるためのコンサートなんだぞ!貴様が出なければ意味がないのだ!それなのにピアノが弾けないだと!貴様もしかして俺のフォルテシモな指揮が怖くて逃げるつもりか?正直に言え!貴様はコンサートで俺にとっちめられるのが怖くてステージに立てません申し訳ありませんと跪いて俺に懺悔しろ!」

 大振は諸般のあまりにも情けない言葉に憤慨して激しく怒鳴り散らした。すると諸般が突然拳で激しくベッドを叩いて叫んだ。

「ボーイ!さっきも言っただろ!僕にはもうピアノなんて弾けないんだよ!今の僕にはピアノなんて全く意味のない存在だ!今の僕にできるのは死ぬことだけだ!先祖から受け継がれたヤマトスピリッツを抱いてこの地でロマンティックに朽ち果てるのさ!ふっ、最初はこのむなしい人生の最期を君のコンサートで飾って死ぬつもりだった。だけどそれさえもう出来なくなったんだ!僕はもう終わりだよ!ジ・エンドだ!」

 諸般はこう激白すると両手で頭を抱えて号泣した。諸般の悲しい絶叫を聞いて大振は深い衝撃を受けた。このハッピーセットのバカメリカンがこれほどに人生に絶望しているとは!この絶望っぷりは、まるでこの間までの俺そのものではないか!ああ!大振は今心から諸般に同情し始めていた。人を人とも思わない大振が他人の不幸に初めて心を揺さぶられたのである。大振は諸般に何があったのか知りたかった。それを知れば彼を救えると思ったからである。

「諸般!貴様に一体何があったのだ!俺に全部話してみろ!」

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