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《長編小説》小幡さんの初恋 第二十七回:父と子

 幸福が突然やって来ることは滅多にないが、不幸が突然やって来ることはうんざりするほどある。そのように鈴木の息子は突然にやって来て父の制止も聞かずそのまま家に上がって部屋の中を見回り始めた。

「何だよ辛気くせえ部屋だなぁ!オヤジぃあのマンション売ってどこに行ったかと思えばこんなど田舎のボロ家に住んでんのかよ。もっとまともなとこはなかったのかよ!」.

「電話もなくいきなり家に入ってきてその態度はなんだ!それが親に向かってする態度か!」

 鈴木は何の連絡もなく突然家に上がり込んできた息子に呆れた。

 この男は宮島アキラという。鈴木と離婚した妻との間に出来た一人息子である。名字は母が鈴木と離婚した後すぐ後に再婚した男のものを使っている。母は結局その男とも離婚したのだが名字はそのまま男の姓を使っているようだ。鈴木は離婚調停で子供の親権を全て譲り渡したが、それでも子供とは度々会っていた。子供の頃は親としての義務もあって一ヶ月に一回のペースで会っていたが、大人になってからも何故か息子の方から会いに来ていた。今回会うのは二年ぶりだが、息子は久しぶりに会った父のあまりの生活の変化っぷりを完全に面白がっていた。

「何が貧乏くさいだ!それが久しぶりに会った親に向かって言う言葉か!」

「いやいや全く変わってるんでビックリしたんだよ。家具とかあの高そうなシャンデリアとかどうしたの?メルカリにでも出して買い叩かれたの?」

「やかましい!で、今日は何の用で来たんだ!まさか俺をからかいにでも来たっていうんじゃないだろうな?」

「何だ?血の繋がった息子が特に理由もなく会いに来ちゃいけないのか?」

 鈴木はアキラの言葉に胸を突かれて口籠もった。やがて彼は気を取り直して息子に言った。

「コーヒー淹れるから茶の間で待ってろ」

 アキラは意外にも素直に鈴木の後についてきて言われるがままに茶の間のテーブルの下の座布団に座り、鈴木がコーヒーを淹れて来るのを待っていた。

 やがて鈴木がコーヒーカップとミルクと砂糖の入れ物を乗せたトレーを持って茶の間に現れた。彼はアキラの前にカップを置き、テーブルの真ん中にトレーを置いて自分のカップを向かい側に座るとアキラにコーヒーを飲むように言った。

「おい、これって昔出してくれたコーヒーと同じヤツじゃん!」

 と出されたコーヒーを一口飲んだアキラが呟いた。

「なんだよ。オヤジ貧乏になっちまったから、インスタントでも飲んでんじゃねえかと思ったよ」

「いや、インスタントは口に合わんからな。て、いつ俺が貧乏になったんだ!俺にはまだ充分に預金はあるし、この家だってお前から見ればボロ屋かも知れんが、住めば都の言葉通り趣があってそれなりに住み心地の良いものなんだぞ!いってみれば晴耕雨読の生活さ。こんな事言ったってお前にはわからんだろうがな」

「はっきり言ってわからないね。でもオヤジ昔からそういう事言ってだよな?夢が叶ってよかったじゃねえか。貧乏だけどな!」

「全くお前のその口の悪さは誰から受け継いだんだ」

「そりゃアンタの奥さんだった誰かだろ。文句ある?」

「……別にない」

 それから二人はしばらく黙ってコーヒーを飲んだ。鈴木はアキラとこうして対面している時間が苦痛であった。息子は口こそ悪いものの、自分を嫌っているわけではない事がその態度からわかるので話すには全く問題はなかった。しかしこうやって無言になった時、彼はアキラと別れた時の事を思い出してしまうのだ。あの時彼はこの息子に対して君の事を見捨てたりはしないと言った。果たして自分にはそれが出来ただろうか。たしかに息子には会える限りは会った。会って彼に何かあったらいつでも相談しろと言った。だが彼はどこかで息子から逃げていた。彼はアキラから自分に対する恨みを聞かされるのが怖かったのだ。何故あの時自分を捨てて去っていったのかと。鈴木はアキラに近況を尋ねた。

「会社ではうまくやってるのか?」

 するとアキラが笑って答えた。

「いや、辞めたよ。去年いっぱいで」

 この思わぬ言葉を聞いて鈴木は驚き重ねて尋ねた。

「なんで会社を辞めたんだ。会社内で何か問題でもあったのか?」

 鈴木は自分が退職したいきさつを思い浮かべてアキラに尋ねたのだ。アキラは成績優秀で彼と同じ大学の同じ学部に入って同じように一流商社に入っていた。その彼がが突然会社を辞めるとは。会社の人間関係で揉めたのか。いや、何かしらのハラスメントを受けたのか。鈴木は動揺を隠さずに彼に尋ねたのだ。しかしアキラは能天気な顔でこう答えた。

「いや別に。なんも問題ねえよ。ただ飽きたからやめただけだよ。飽きたからやめま〜すって退職届書いてそれでおしまいだよ」

 このあまりにも能天気な返答に鈴木は呆れて口があんぐりとなった。

「じゃあ、今何してるんだ?」

「ババアの会社で本部長やってる。ビックリしただろ?二十代でオヤジと同じ役職だぜ。会社の規模が違うとかいうなよな」

 息子の言うババアとは離婚した元妻の事である。彼女は鈴木と離婚後かねてから不倫関係にあったIT企業の社長と結婚したが、その後離婚し、それから間もなくしてから自分の会社を立ち上げた。鈴木は元妻の会社の業績が好調で会社の規模を拡大している事を知っていた。しかしいきなり息子を本部長なんて重職に就かせるとは。これじゃまるで金持ちのどら息子じゃないか。放っといたら何しでかすかわからないからとりあえず役職を与えて縄つけとくっていうアレじゃないか。全くアイツめどこまでも息子を甘やかしてからに!すると鈴木の表情から何かを察したのかアキラが笑って言った。

「オヤジぃ〜。何そんな不安げな顔してるんだよ。俺はちゃんと働いているんだせ。それどころか会社の業績を爆上げしたんだ。まぁ、これもババアのおかげだけどな。俺はババアの会社で働き始めてやっと気づいたんだよ。自分は人に使われる人間じゃなくて人を使う人間だってことに」

「おい、そうやって自分に働き口をあたえてくれた親をババアなんていうのはやめろ。ちゃんとお母さんって言うんだ」

「うるせえな。アイツはババアなんだからババアなんだよ。俺ババアの前でもババアって言ってるし。別に気を使う事はねえんだよ」

「じゃあ、なんで俺はオヤジなんだ?ずっと一緒にいたアイツがババアならたまに会うだけの俺なんかただのジジイじゃないか」

「めんどくせえな。オヤジはオヤジだがらオヤジなんだよ。人がどう呼ぼうが関係ねえだろ?」

「ああそうかい」
 
 鈴木は自分に投げかけられたアキラの言葉に言葉を詰まらせた。息子の言葉はこの口の悪い皮肉屋の彼の自分に対する精一杯の愛情表現に思えた。鈴木は一昨日の小幡さんの告白を思い出して勇気を出して息子に尋ねた。

「アキラ、一つお前に聞きたいことがあるんだ。聞いてくれるかな?」

「ああなんだ?」

「こんな事を聞くのは今更かもしれないが、お前俺とアイツが離婚した時どう思ったんだ?いきなり俺とアイツが別れると聞かされて明日から別のお父さんの所に行くんだと言われた時どう思った?やはり自分を捨てた俺を恨んだか?君を見捨てたりしないなんて言っといて申し訳程度にしか顔見せしない俺をどう思っていたんだ?」

「ちょ、ちょっと待てよオヤジ!いきなり何言い出すんだよ!気持ち悪いからやめろよ!」

「俺はお前に謝りたいんだ!」

 この鈴木の言葉にアキラは笑うのをやめて真面目な顔で話しだした。

「いや、あのさ。オヤジあの事はさ。別にオヤジ悪く無いじゃん。誰がどう見てもババアのほうが悪いじゃん。それにオヤジが俺を引き取れなかった理由だって今となって見りゃわかりすぎるほどよく分かるよ。たださ。それは今になったから理解できることで、あの時はただ訳がわからなかったな。だって昨日まで三人で食事して話してたのに。当日になって急に今日限りでお父さんとお母さんは別れますだぜ。全く訳分かんなかったよ。それからババアに知らないジジイに会わされてよ。今日からはこの人をお父さんと呼べと言われてよ。親の都合で振り回されるってこういうことなんだって思ったよ」

「今まですまなかった!こうして土下座したって許してもらえることじゃないのは分かっているんだ!だけど今の俺にはこうやって謝るしか謝罪の仕様がないんだ!」

 鈴木はアキラの前に出て土下座しながらそう何度も謝った。しかし彼には今更謝ったところで離婚によってアキラが受けた傷が治ることはないと分かっていた。

「おいおいオヤジ何いきなり土下座なんかしてんだよ!さっきも言ったけどオヤジ全然悪くねえだろうが!悪いのは全部ババアだぜ!大体俺が今話したような状態になったのって離婚してからあのジジイの家に連れてかれるまでの話だぜ!オヤジも俺の性格知ってるだろうが!俺は人に合せるのがうまいんだよ。だからあのジジイともうまくやって小遣い結構ガメたしさ。だからオヤジが自分を責める必要は全く無いっての!それにオヤジは俺にこうして会ってくれてるじゃん。会えない時はマンションまで貸してくれたじゃん!」

 マンションと聞いて鈴木はアキラたちがしでかした事件を思い出した。

「ああ!思い出したぞ!それ確かお前が大学時代の頃だったよな!お前が電話かけて来た時、俺がアメリカに出張でしばらく日本にいないと言ったら、じゃあマンション貸してくれとか言い出して、それで貸して何するかと思えば俺のマンションで合コンなんかしやがって!帰って来てから俺が隣近所からどれだけ責められたのか分かっているのか!」

「まあまあ、そんな昔の事は水に流そうぜオヤジ!」

「流せる問題じゃないわ!」

「俺はオヤジを許したじゃねえかよ!オヤジも俺を許せよ!」

 鈴木とアキラはだんだんおかしくなって笑いが止まらなくなりとうとうふたりとも腹を抱えて笑い出してしまった。

 しばらくしてアキラが飯が食いたいと言い出した。鈴木はじゃあ自分が作ろうかと言ったが、アキラがオヤジの作った飯食うんならコンビニのほうがマシと言い出したのでしょうがなく二人でコンビニまで買い出しに出た。外に出て歩きだすとアキラがまた文句を言いはじめた。

「しっかしひでえ田舎だなあ!オヤジ。あのさ、ここフレンチとかイタリアンとかないわけ?」

「お前はその何でも馬鹿にする癖をやめろ!ここはお前みたいに選ばなきゃ何でもあるんだ!」

「へえ~!」

「何だそのバカに仕切ったような顔は!……あっ、忘れていたがアイツは元気なのか?」

「ああ、元気元気超元気!まあコンサルのツバメとはうまく行っていないみたいだけど」

「何だそのコンサルってのは?」

「ジジイと別れた後に付き合ってるコンサルタント会社のやつだよ。ババアより年下だけど結構大物らしいよ。そいつ今アメリカにいるんだ。オヤジ、復縁のチャンスだぜ!」

「誰があんな奴と復縁するんだ!」

「そんなに邪険にするなよオヤジ。ババアが可愛そうだろうが。過去は過去で水に流そうぜ。ババアもオヤジに会いたいって言ってるしさ」

「会う?何故」

 鈴木はアキラの発言に驚いて尋ねた。会う?今更自分に会ってどうするのか。アキラは鈴木を見て笑って答えた。

「GWぐらいに会いに来るんじゃないの?その前に多分ババアからオヤジのとこに電話かメール来るよ。俺オヤジの電話番号とアドレス教えたから」

 アキラの口から元妻がGWに会いに来ると聞いて鈴木は頭が真っ暗になった。何故会いになど来るのか。大体アイツとは二十年以上全く会っていないのだ。そんな人間が何のために今になって自分のところに会いに来るとは寄りでも戻すのか。いや、そんな事はありえない。大体今のアイツと自分は住む世界そのものが違うのだ。そうだ、これはアキラの冗談なのだ。この男はこんなたちの悪い冗談をすぐ言うのだ。このバカめ思いっきり叱り飛ばしてやる!と鈴木はこのバカ息子を叱り飛ばそうとしたのだが、アキラは明後日の方を向いて鈴木に尋ねてきた。

「オヤジ、あのデカい女知り合いか?さっきからオヤジ見てるぜ」

 鈴木はアキラの言葉にハッと我に帰って前を見た。すると少し離れたところに自分を見ている小幡さんがいるではないか。小幡さんはなにか紙袋らしきものを持って立っていた。しかし彼女は鈴木と目が会うと急に逆方向を向いて急ぎ足で去ってしまった。

「あの人は俺が今勤めている会社の先輩だ」

 アキラは鈴木をしばらく眺めてから言った。

「そうなの?しかし、まあひっでえブスだな。オヤジあんなのと一緒にいるわけ?俺だったら即辞めるね。て、おい。オヤジその顔……まさかオヤジあのブス好きなの?いや、悪い!ブスなんて言って悪い!よく見るといいプロポーションしてるじゃん!オヤジ以外に見どころがあるよ!」

 鈴木は怒りの拳を振り上げてアキラに向かって叫んだ!

「貴様はそれでも俺の子か!」


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