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文字を売る

 無から何かを作り出すと言う言葉が最も当てはまるのは文芸ではないだろうか。美術には材料が必要、音楽には楽器が必要、だけど文芸は我々が日常的に使っているペンと紙さえあれば創作できるのである。続けて書くが文芸ほど実体のない芸術はない。美術はその通りものであるし、音楽は演奏機材によって奏でられる。だが文芸は観ることも聞くこともできない。確かに字を見ることや、人が朗読するのを聴くことは出来るが、それで文芸を理解できるかといえばそうではない。文芸とは他の芸術のように受け入れるのではなくて、こちらが能動的に著作物に向き合わねばならない。我々が著作物の文字を読みそこから意味を汲み取って初めて文芸が成立する。文芸が文字の集積でなく意味の連なりで成り立つ芸術である事を理解するにはそれなりの知性が必要である。

 とある街の道端に散切り髪の男が半分に切った400字の原稿用紙を目の前に並べて俯き加減で座っていた。男は芥川龍之介が今時の服を着たような中々のイケメンで道を歩く女性の中の何人かが足を止めてチラチラと彼を見ていた。原稿用紙の手前には500円と値段が書かれたダンボールが立てかけられておりどうやら並べられた原稿を売っているようだ。その並べられた原稿は達筆な字で埋められている。どうやら男はここで自分の書き物を売っているらしい。

 一人の女性が並べられた原稿用紙が気になったのか原稿用紙を眺めた。眺めているうちに女性は原稿用紙に書かれてあることに興味を惹かれたようでその場に座って右上から原稿用紙を読み始めた。女性はしばらくしてから顔を上げて男に尋ねた。

「あのこれってあなたが書いたんですか?」

 尋ねられた男は顔を上げてそうですがと答えた。

「本当に素敵だなって思いました。あの、もしかしてプロの方ですか?」

「いえ、完全な素人ですよ。プロになりたいんですがこんな小ぶりなものしか書けないからいくら売り込んでも相手にされないんですよ」

「かわいそう。素敵なものなのに」

 女性は男を哀れに思った。男は女性の哀れみの言葉にハッとして顔を上げた。そして笑顔でじゃあ他のも見てくださいと言って他の原稿用紙を拾って女性に差し出した。

「欲しいものがあれば言ってください」

 彼女は男から差し出された原稿を全て読んだ。男の小説は実に多様であった。それどころか直筆の筆跡も小説ごとに違かった。まるで万華鏡のようだと女性は思った。彼女は全部欲しいと思ったが、一枚500円と素人ではあり得ないぐらい強気な価格設定なので我慢して最初に読んだ一枚を買うことにした。

「ホントは全部買いたいけどお金ないから500円分しか買えないの。ごめんなさいね」

 男は女性の言葉を聞いてそうですかと少しガッカリしたような力ない笑みを見せた。女性はその男を見てなんだか申し訳なくなった。

「お客さん結構渋いの選びますよね。これ簡単に書けそうで実は書くの大変なんですよ」

「そうですね。シンプルだけど奥が深いですもんね」

 男は原稿を手に取ると何故か傍に置いてあったらしいハサミを取り出した。そしてそのハサミで原稿用紙を切り出してしまったのだ。女性は男の行動に唖然として叫んだ。

「あの何やってるんですか!それ私が買った原稿じゃないですか!」

 男は女性を不思議そうに見た。そして言った。

「はぁ、何言ってるんですか。僕は今あなたが買った部分を切り出しているんですよ。あなたが買ったのはこの「り」じゃないですか?もしかしてあなたこの原稿用紙一枚全部欲しかったんですか?じゃあ500円じゃ買えないですよ。いいですか?ちゃんとこのダンボールの看板見てくださいよ。ここに1文字500円って書いてあるじゃないですか!あの、誤解しているかもしれないからハッキリ言っとくけど僕は小説家じゃなくて書道家ですよ。字が小さくて掛け軸に書けないからこうして原稿用紙にちまちま書いているんです。さぁわかったなら早くこの「り」を受け取ってくださいよ!」

「誰がそんなぼったくり受け取るか!いいもう帰るわ!」

「じゃあこの切った原稿用紙の弁償してくださいよ!あなたが「り」を買うって言うからわざわざ切ったのに!」

「うるさい!そんなもん誰がいるか!さようなら!」

「おい逃げるのか!このまま逃げたら器物破損で訴えてやるぞ!」

「勝手に訴えろこのバカ!」


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