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全身女優モエコ 第二部 第四回:はじめての親友

 モエコは白星真理子が女優だとは到底信じられなかった。だから真理子から三日月エリカの舞台に自分も出演すると聞かされたときあんなに驚いたのだ。女優ですって?とモエコは目の前の真理子を穴の開くほど見つめた。女優ですって?こんな普通の格好をした人が女優?モエコはたまらず真理子を問いただした。

「あなたが女優ですって?なんでそんな嘘を言うの?女優だったらなんでそんな普通の格好をしているのよ!女優だったら私みたいにちゃんとしたドレスを着てるはずじゃない!」

 真理子はこのモエコの問いに戸惑い口籠ってしまった。彼女はとても優しい人間で、相手に対して過剰に気遣うところがあった。そんな彼女だからモエコにどういう返事をしていいか分からずとうとう私に目で助けを求めてきた。私はこの田舎の少女の勘違いぶりを正そうとハッキリと言ってやった。

「おい、田舎の女優はわからないけど、東京の女優にはそんなアホなドレス着てるやつなんて一人もいねえんだよ!」

 モエコは私の言葉にショックを受けたようだった。いや、受けたようだったではなくあからさまにショックを受けていた。彼女両手を頬に添えるといかにも信じられないといった表情で叫びだした。そして絶望の涙を流しながら私たちに向かって激しく訴えたのだ。

「ああ!信じられないわ!女優が普段着を着ているなんて!昔の人も言ってたじゃない!女優は舞台を降りても女優だって!そんな女優に憧れて東京まで来たのに!裏切りだわ!これはモエコに対する裏切りだわ!」

 そう言い切るとモエコは大声をあげて泣き出した。タクシーの運転手はモエコがあまりに騒ぐのにうんざりしたようで私たちに向かって、さっさとこの娘を黙らせないと今すぐ車から降ろすと脅してきた。しかしいつまで経ってもモエコは泣き止まなかった。すると真理子がモエコをなだめた。

「モエちゃん、ゴメンね。期待を裏切っちゃって……」

 そう言って真理子はモエコに謝っていたが、謝っているうちに何故か彼女まで泣き出してしまった。モエコはそれに気づくとすぐさま大声て泣くのをやめて真理子を慰め出した。

「真理子、何泣いてるのよ!これじゃまるでモエコが悪い子みたいじゃない!いい?真理子。モエコはあなたがブサイクとか女優の才能がないとかそう事を言ってるんじゃないんだから!大丈夫よ真理子。あなたはちゃんとドレスを着れば立派な女優さんに見えるわ!モエコが保証するから自身を持って!真理子、これからはちゃんとドレスを着て!こんなバカな男の言葉に拐かされないで!大体この男は何者なの?さっきから威張り腐って!こんな男とお友達になってはダメよ!絶対にお金持ってないし、見るからに頭が悪そうじゃない!」

「バカヤローッ!俺は真理子のマネージャーだ!」

 その時突然タクシーの運転手が私たちの方を向いて、手のひらを見せて代金を要求するそぶりをみせながら私たちを怒鳴りつけてきた。

「もう我慢できん!さっき注意したのに大声で喚きやがって!お前らさっさとタクシーから降りろ!」


 というわけで結局私たちは道の途中でタクシーを降ろされてしまった。しかしどうせこのままタクシーに乗っていたところで、渋滞で前に進めなかったのだし、どうせ降りるつもりだったからかえって都合がよかったのだ。外はもう日が暮れて街灯がチラホラ点き始めていた。モエコのヤツは初めて観る都会の景色に見とれて、ああ!とかいちいち大袈裟な身振りでいて感激を露わにしていた。そんなモエコを見て真理子は私にこう言った。「モエちゃんてホント子供みたい。いくら田舎の子供だってあんなに純粋に感動なんてしないわ」

 私たちは近くの駅まで歩いてそれから電車に乗った。モエコのヤツはここでも電車から見る夕暮れねビルの景色に感動したのか、ああ!と大袈裟に声をあげていた。そして私たちは駅を降りて歩いて真理子のマンションへと向かっていたのだが、その時真理子が急に土地止まり私に聞いてきた。

「そういえば猪狩さん。モエちゃんはどうするの?彼女はどこに止めるのよ」

「さっきから相談してるじゃねえか。で、どうするんだ?お前の部屋に泊めるか俺の部屋に泊めるかどうするんだ!」

 私がこう言うと真理子は眉を八の字にしていかにも困ったような顔をして答えた。

「ええ、そんなこと言われても……困ったわぁ〜、どうしよう」

「困ったわぁ〜じゃねえよ!まったくお前は大事な時になると全然役に立たねえんだから!」

 その時モエコが急に真理子の手をとって言ったのだ。

「モエコ真理子の所に泊まる!ねぇいいでしょ真理子!」

「でも、モエちゃん。私のお部屋汚いわ。まだお片付けしてないし、お客様なんて呼べないわ」

「真理子何言ってるのよ!お片付けなんて二人ですればいいじゃない!ねぇお願い真理子!モエコを泊めて!でないとモエコこの頭もお金もないこんなバカ男と泊まらなきゃいけなくなるのよ!」

「何がバカ男だ!お前は一体俺をなんだと思っているんだ!」

 しかしモエコは私の説教など聞いていなかった。真理子をずっと見つめていたからである。真理子は相変わらず困ったような顔で、しかし満更でもない表情で考え込んでいた。そして真理子はモエコに言った。

「いいわ、モエちゃん。今日は一緒に泊まろ。ただあんまりいいお部屋じゃないから覚悟しておいてね」

 こうしてモエコは真理子の部屋に泊まる事になった。私はずっとくっついている彼女たちをマンションの部屋の前まで送ると、明日の舞台稽古は朝早いからちゃんと寝ておけと言伝をしてマンションから出て行った。


 バッグと先程買った土産物を抱えたモエコは真理子に誘われるがままに玄関に入ったのだが、部屋のハイカラな内装にビックリして尻込みしてしまった。真理子は靴を脱ぎ捨てて部屋に入りテーブルの上の皿などを素早くキッチンに移動するとモエコに向かって「窮屈かもしれないけど我慢してね」と言って中に入るように呼びかけた。たしかに真理子の言う通りさほど広くはない部屋である。しかも中古のマンションらしくフローリングの床は歩く度にミシリと音がした。しかしモエコはこんなハイカラな部屋は田舎の自分の家は勿論、金持ちのお友達たちの家でさえ見た事がなかったのである。部屋の壁のそこかしこには映画のポスターやモエコの知らぬ外国の音楽グループの写真が貼ってあった。モエコはそのまま壁に貼られた写真を見ていたが、彼女はそこに神崎雄介のプロマイドを見つけた。モエコはあっと声を上げたが、それを察した真理子が顔を真っ赤にしてモエコの前に立って彼女の視界を塞いでしまった。そして二人で思いっきり笑った。

 真理子はモエコのために簡単な夜食を作った。モエコは真理子の料理を見てまた感動してこれ食べていいの?と無邪気に聞いた。いいわよと真理子は答えたが、答えた途端モエコがいきなりフォークで料理を突き刺したので「ああモエちゃんダメよ!」とモエコを注意した。そして彼女はモエコにテーブルマナーを教えたのだが、気の強いモエコにしては珍しく人の言うことを聞いたのだった。そしてモエコが真理子に教わったとおりに食べ始めると真理子は満足したように微笑んだのだった。

 食事の間モエコは真理子といろんな事を話した。まずモエコが自分の女優論を滔々と語りその中で彼女は女優とは森羅万象の全てを演じることだと言い切った。そのモエコの断言に真理子は素直に感心しモエコを何度も凄いと褒めちぎった。しかしモエコは本職の女優である真理子が自分の女優論を能天気に褒め上げるばかりで彼女自身の女優論を語ろうともしないのに腹が立ってきて、ついに真理子に向かってこう問いただしたのだ。

「真理子、あなたも自分の女優論を話してよ!女優のあなたなら自分の女優論をもってるはずでしょ?」

「ゴメンモエちゃん、私自分の女優論なんてもってないの。そんこと考えてもなかったし……」

「呆れたわ!女優のくせに自分のことも語れないなんて!」

 真理子はモエコの言葉を聞いて慌てて弁解を始めた。彼女はまず自分がどうして昨年新宿で友達と遊んで今の事務所のあのマネージャー(つまり私だ)にスカウトされたのだが、女優には興味のなかった彼女は最初は断った。しかしスカウトが神崎雄介に会えるとか言ってきたのでノリでサインしてしまった。それからズルズルと芸能界にいる事になったけどいつまでもいられるとは思わない。自分には女優の才能はないから、大学を卒業したら女優を辞めるつもりだとも言った。そして最後にだから自分には女優論持てるはずがないと言ったのだ。

 モエコは真理子の話に相槌代わりにああ!呆れたわ!それでよく女優なんかやってられるわ!とかいちいち叫んだ。モエコは真理子を目の前にして自分の女優観が崩壊してゆくのを感じた。

 実際にモエコと白星真理子は生まれも育ちも何もかも違っていた。今まで散々話したように貧乏人でその美貌と才能だけを頼りに生きてきたモエコと、父親が横浜にある会社の重役であり恵まれた家庭ですくすくと育った真理子では、住む世界も、ものの考え方も違っていた。だが現実とは不思議なものでこんな生まれも育ちも違う二人がお互い別れがたくなるほどの絆で結ばれてしまうのだ。


 モエコは真理子のあまりの能天気さに驚き呆れ果てたものの、彼女の屈託のない笑顔を見ていると何故か妙な安心感を感じた。真理子もまたこのわがままな少女に妹のような親愛感を覚え始めていた。

 彼女たちはそれからそれぞれシャワーを浴びて就寝する事になった。真理子はベッドで、モエコは敷布団である。真理子は最初はモエコをベッドに寝かせるつもりだったがモエコが敷布団の方が寝慣れてると言いだしたのだ。

 それから二人はそれぞれの布団に入ったのだが、その時モエコがバッグから裾が焼け爛れた子供用のドレスと、水で濡れたのかガビガビとなった絵本を取り出した。そしてそれを目の前にきれいに畳んで置くと一心に拝み始めた。ベッドに寝そべっていた真理子は焼け爛れたドレスやガビガビになった絵本らしきものを無心で拝んでいるモエコを見て、その美しさに思わず見とれてしまった。そして彼女はしばらくモエコを眺めていたが、いつの間にか拝むのを終えたモエコが自分の方を眺めていたのでハッとして目を反らした。「ごめんね!じっとみてたりして」と真理子はすぐに謝った。しかしモエコはその真理子に向かって「なんで謝るの真理子?」とニッコリと笑いながら言った。それから彼女は真理子に向かって喋りだした。

「モエコは寝る前にいつもシンデレラのドレスと絵本お祈りしてから寝るの。今じゃこんなボロっちくなっちゃったシンデレラのドレスだけど、買った頃はキラキラでピカピカのドレスだったのよ。これモエコが小学生の頃文化祭でシンデレラの舞台のために買ったんだけどすぐに焼けちゃって焦げてボロボロになっちゃった。やっぱり舞台なんかやってると衣装なんてすぐに焼けてボロボロになっちゃうのね。それからこのガビガビの本はシンデレラの絵本なのよ。小学生一年生の頃モエコが偶然図書館でこの絵本を見つけたの。モエコ読んだ瞬間、頭の中に雷鳴が轟くようなショックを受けて、絵本を持ったまま図書館の人の制止を振り切って家まで猛ダッシュしたの。それからずっとこのシンデレラの絵本はモエコのそばにいるわ。ああ!大げさでもなんでもなくモエコこの絵本があったから今まで生きてこれたの。この絵本がなかったらモエコ死んでたかもしれない。でも人から見たらおかしいわよね。こんな焦げたボロボロのドレスとガビガビの絵本なんか大事に持ち歩いている人なんて」

「おかしくはないわ」と真理子はモエコに向かって優しく言った。

 今にして思えばモエコがここまで人に心を許せたのは真理子だけかもしれない。真理子はモエコにとって唯一気を許せる友であり、心の安らぎだった。真理子は気性の激しいモエコを抱きとめられるただ一人の人間であった。

 モエコが寝息を立てて寝始めたのを見て真理子は電気を消したが、その途端、新幹線での移動と一日中モエコに振り回された疲れがどっと出てすぐに熟睡してしまった。しかし彼女は耳を貫く鋭い叫び声で強引に目を覚まされた。驚いて目を覚ました真理子は何事かとハッとして暗闇に包まれた部屋を見渡し、そして床に寝ているモエコが絶叫しているのを見た。

 彼女はビクンビクンと体を震わせながらやめて!やめて!と叫び、そして声にならない絶叫を繰り返していた。真理子はしばらくモエコを見つめていたが、その時モエコが突然跳ね起きた。彼女は暗闇の中ですすり泣きながら真理子を見た。そして「モエコ、またあの夢を見たの。夢の中で私は舞台で何度も刺されてしまうの。怖いわ!モエコ怖いわ!」と言って声をあげて泣き出してしまった。真理子は目の前で泣き叫ぶモエコを見て驚き恐怖した。だが泣き叫ぶモエコを見ているうちに恐怖より泣き叫ぶ彼女を救いたい気持ちのほうが強くなってきた。この哀れな捨て猫のように助けを求めて泣き叫ぶモエコを抱き締めて安心させてあげたくなったのだ。だから真理子は自分の掛け布団を開けてモエコを呼んだのだ。

「モエちゃん、一緒に寝よ。大丈夫よ。私があなたを怖い夢から守ってあげるから」

 モエコは泣きながら真理子の胸に飛び込んだ。そして彼女の胸に縋り付いた。「真理子……」とモエコは自分がひとりじゃないことを確認するかのように真理子の名前を何度もつぶやいた。真理子はモエコが自分の名前を呼ぶたびに「なあに?」と返事をした。そしてモエコの頭を優しくなでて彼女が眠るまでずっとそうしていた。





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