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ソウル恋物語

 上曽根愛子のSOUL TWO SOULの記事の続編です。今回上曽根愛子さんはKIYOSHI YAMAKAWAを求めてはるばる韓国のソウルに行きます。そこでとうとうKIYOSHI YAMAKAWAと出会うのですが、しかし韓国で音楽プロディーサーとして成功しているはずのKIYOSHI YAMAKAWAは何故かすっかり落ちぶれてホームレスになっていました。

ソウル恋物語プロローグ

 先日亡くなった人気俳優田村正和の代表作に『ニューヨーク恋物語』というドラマがある。このドラマは大都市ニューヨークに生きる日本人の男と女の恋模様を描いた作品だ。井上陽水の官能的な主題歌もよく知られている。今回私が語りたいのはその田村正和のドラマではなくて伝説のソウルシンガーであり、今ではシティポップの最大の天才と言われているKIYOSHI YAMAKAWAと過ごしたソウルでの出来事だ。このドラマの出演者は私とKIYOSHI YAMAKAWAの二人だけ。田村正和のドラマのように豪華キャストなど出てこない。だけど私とKIYOSHI YAMAKAWAのソウル恋物語は他の豪華キャストなどいらないぐらいに深く濃密であった。まるですべてが強烈な夢でさえあるかのように。


 私は前回の記事で結局KIYOSHI YAMAKAWAを見つけられなかった事を書いた。だけどその後もずっとKIYOSHI YAMAKAWAを探しているうちに風の噂で彼が韓国で大物音楽プロデューサーになっている事を聞いたのだった。その噂を聞いた私は居ても立っても居られなくなりいつの間にかソウル行きの飛行機に乗っていた。韓国で大物音楽プロデューサーとなったKIYOSHI YAMAKAWAは常々こう言っていたという。『俺はソウルをこのソウルで見つけたのさ』

 韓国音楽好きのライターによると今のK-POPの礎を築いたのはKIYOSHI YAMAKAWAであるらしい。その音楽ライターによるとKIYOSHI YAMAKAWAは今では音楽業界から一線を引いたらしいが、現在でもソウルに在住しているということだった。だけど彼はこうも言った。最近KIYOSHI YAMAKAWAは人前に姿を現さなくなったらしい。彼は取材に来た記者に向けてもう引退したのだから放っておいてくれという手紙を送ったそうだ。その事を聞いて私は手ぶらで日本に帰ることになるかもしれないと一瞬不安になったが、しかし彼の音楽を深くリスペクトする私の熱意は絶対に彼に伝わると思い直し飛行機が降りるなり一目散に仁川空港を出てタクシーを拾ってソウル市内へと向かった。

 アメリカ一辺倒の私にとって韓国の首都であるソウルは全く眼中になかった。おそらくKIYOSHI YMAKAWAがソウルにいると知らなかったら私は今ソウルになど来ていないだろう。彼が現在のK-POPの立役者だと知ってからそれまで何の興味も抱いていなかったK-POPまで聴き出すようになった。K-POPの化粧をした男の子たちの後ろにはKIYOSHI YAMAKAWAがいる。そう思って聴くとこのキラキラした若者向けの音楽の中に微かなSOULの香りさえしてきた。私はタクシーの運転手に少しかじった韓国語でKIYOSHI YAMAKAWAのことを尋ねた。しかしタクシーの運転手は頭を振って知らないと答えた。そういえば私にKIYOSHI YAMAKAWAがソウルにいると教えてくれた音楽ライターも本人にはあったことがないと言っていた。彼の住居を尋ねたら不在であったらしい。音楽ライターは翌日も尋ねたらしいが残念ながら彼は帰っていなかったそうだ。

 しかし私は彼に逢わなくてはならない。もはやKIYOSHI YAMAKAWAは私の生活、いや人生そのものにさえなってしまったのだから。挨拶もなしにいきなり尋ねるなんてまったく無礼だし、KIYOSHI YAMAKAWAは突然尋ねてきた私を怒り狂って叩き出すかもしれない。だけどそれでもいい。そうしたら土下座でもキムチの早食いでもなんでもして許しを乞い彼に頼み込むだけだ。あなたを取材させてくださいと。

 タクシーの運転手は私に向かって目的地が近い事を教えてくれた。車は閑静な住宅街に入っていた。目の前に映る豪華な家々を見て私はKIYOSHI YAMAKAWAがこの韓国で成功した人間である事を実感した。私は彼の先程の言葉を思い出して彼のために嬉しくなった。あなたは本当にソウルでSOULを見つけたのね。

 やがてタクシーは白亜の家の前に止まった。運転手はここが目的地だという。私は胸の鼓動が速くなるのを感じた。いよいよあのKIYOSHI YAMAKAWAに会えるのだ。私は運転手に代金を払ってタクシーを降りて屋敷へと足を進めた。なんだか人気のない家だ。本当にKIYOSHI YAMAKAWAはここに住んでいるのだろうか。私は胸の鼓動を押さえながらベルを鳴らした。誰も出てこない。もう一度ベルを鳴らした。やはり誰も出てこなかった。恐らく彼は外出中なのだろう。私はKIYOSHI YAMAKAWAの帰りを待つことにした。

 しかし夜になってもKIYOSHI YAMAKAWAは帰ってこなかった。このあたりは高級住宅街らしいので通り魔などに襲われる確率は低い。だけど若い女が一人で家の前に立っているのは決して安全とはいえないだろう。もしかしたらどこかの中年男が私を売春婦と勘違いするかもしれない。そうしたら私は……。

 そうして私が立っていると手前を歩いていた一人の中年男が突然踵を返して私の元に近寄ってきた。私は近寄ってくる男に恐怖を感じて逃げようとしたが、しかしもしかしたら彼はKIYOSHI YAMAKAWAについて知っているのではないかと思い勇気を振り絞って彼を待つことにした。もしやつが私を襲ってきたら子供の頃習ってたテコンドーで頭をかち割ってやればいい。男は私の前に立つと私に話しかけてきた。

「あなたなんでずっとこんなところに立っているんだ。近所のみんなが気持ち悪がっているからさっさと出ていきなさい」

 相手は近所の住人であるらしかった。先程の懸念通りどうやら私は売春婦か何かのように思われていた。それは彼の態度からわかる。私は誤解を晴らすために彼に向かって自分はここに住んでいる日本人に会いに来たということを伝えた。しかし彼は外国人である私の韓国語が聞き取れなかったのかもう一度私に聞いてきた。私は今度は一語一語はっきりわかるように彼に向かって、KIYOSHI YAMAKAWAという日本人がここに住んでいないかと聞いた。彼は私の言葉を聞いて怪訝な表情になりしばらく黙った後でここには一年前から誰も住んでいないと答えた。そして門に貼られていたポスターの빈집という字を指し示してもうここは売りに出されていると言った。

 空き家?誰も住んでいない?じゃあ彼は今何処に住んでいるんだと私は彼に向かって問いただした。せっかくKIYOSHI YAMAKAWAに会いにわざわざ韓国まで来たのにこんなことってあるだろうか。私達は巡り会えない宿命なのだろうか。私は彼の胸ぐらを掴んで、しまいにはテコンドーの構えで足を上げながら彼にKIYOSHI YAMAKAWAに居所を教えろと脅したが、彼はKIYOSHI YAMAKAWAなんて知らないし、この家の住人なんて見たこともないと言って逃げてしまった。

落ちぶれた男

 もう泣きたい気分だった。KIYOSHI YAMAKAWAをまたしても見つけられなかったのだ。どうしたら彼に会えるのだろうか。彼の住居を求めてソウル中をシラミ潰しに探すしかないのだろうか。しかし彼がもう韓国から他の外国へと引っ越していたらどうしたらいいのだろうか。そうしたらまた一から彼の情報を集めなければならない。まったくただの悲しい堂々巡りではないか。やはり私とKIYOSHI YAMAKAWAは永遠に出会えぬ宿命なのではないのだろうか。絶望しきった私は重い足取りでその場を去った。

 ああ!SOULのないソウルはなんて退屈な風景なのだろうか。旅の疲れが絶望とともにどっと押し寄せてくる。多分このままKIYOSHI YAMAKAWAを探しても絶対に会えないだろう。恐らく私とKIYOSHI YAMAKAWAはそういう宿命なのだ。そうして私はあてどもなく異国の街を彷徨っていたが、そうしているうちにいつの間にかひどく寂れた裏通りに入ってしまった。古いビルが立ち並んでいて、それらのビルには風俗店らしきものの看板が並んでいた。私は大変なところに入ってしまったと焦り、すぐに表通りに戻ろうとしたが、深く入り込んでしまったようで表通りが見えなくなってしまっていた。どうしようかと焦ったものの、あたりの舌なめずりしたいかつい人間に道を聞くわけにもいかず、結局あちこち歩き回るしかなかった。そうして声をかけられないようになんとか歩きまわっていると目の前に人が集まっているのが見えた。どうやら集団で人をリンチしているようだ。被害者には申し訳ないけど今の私には助ける力も気力もない。だから私はそのままその場を去ろうとしたけど、必死で私を呼ぶ声が足を止まらせた。

「アンタ日本人だろ?俺もKIYOSHI YAMAKAWAっていう日本人だ!助けてくれ!」

 KIYOSHI YAMAKAWA?その声を聞いた途端私はいつの間にか加害者のチンピラを皆テコンドーで叩きのめしていた。全員脳天に踵を食らわせてやった。そして私はチンピラたちにタクシーをこの場に呼べと脅しつけた。チンピラはビクッと震えてすぐにスマホでタクシーを呼んだ。その間私はずっと被害者を介抱していた。被害者、先程自らKIYOSHI YAMAKAWAだと名乗った男は痩せこけた老人であった。見るからにホームレスだ。服はボロボロで、頬は削げ落ち、キツすぎる匂いをあたりに漂わせている。この男があのKIYOSHI YAMAKAWAなのだろうか。そうだとしたら何故彼はホームレスになったのだろうか。日本で聞いた噂では彼はK-POPの生みの親の一人として今ごろは悠々自適の生活を送っているはずだった。なのになぜホームレスに。私は一瞬彼がKIYOSHI YAMAKAWAの同姓同名の人物じゃないかと思った。しかしホームレスである彼の目のギラツキがジャケットで見る全盛期の彼を思わせるのだ。私は確信した。この男は間違いなくあの伝説のソウルシンガー、一般的にはシティポップ最大の天才と言われているKIYOSHI YAMAKAWAその人だと。一体どうして彼がここまで落ちぶれてしまったのかわからない。だけど私は思ったのだ。彼を救うのは自分しかいないと。

「お姉さん、ありがとう」

 KIYOSHI YAMAKAWAが歯垢が溜まった歯をむき出しにしながらこう礼を言ってきたが、私は耐えきれずつい目を背けてしまった。彼の姿が不潔で観るに耐えられなかったからだが、それ以上に私はあの伝説のソウルシンガーKIYOSHI YAMAKAWAがここまで落ちぶれた事に耐えられなかったのだ。やがてタクシーがやってきた。チンピラたちは私達に向かって敬礼までして私達をタクシーまで案内した。タクシーの運転手は私と一緒にいるKIYOSHI YAMAKAWAを見て乗車拒否しようとしたが、私がテコンドーの構えで踵を上げて私達を乗せないと屋根潰すぞと脅しつけるとアイアイサーと言って私たちを丁重に案内した。

 タクシーの中で私はKIYOSHI YAMAKAWAに向かって色々と聞いた。彼は最初私の問いにひたすら沈黙を守っていた。しかししつこく聞く私に音を上げたのかとうとうその重い口を開いた。

「お姉さん、実は俺、記憶喪失なんだ。今までのことをほとんど忘れてしまって自分の名前と、自分が日本人であることしか思い出せない有様なんだ。だからお姉さんの質問には一つも答えられない。申し訳ない。俺自身お姉さんに言われて、自分がそんなに有名な歌手だったって知ったぐらいさ。だけどそう言われても何も思い出せないんだ。記憶を失って随分経つけど未だに昔のことは何も思い出せない。でも最近思うんだ。自分はこのまま記憶を取り戻せなくてもかまわない。過去を思い出したところで取り戻せるわけじゃないんだから」

 私はこのKIYOSHI YAMAKAWAの言葉に人生そのものを諦め切った男の悲しみを見た。彼が記憶を失ったのは何かに精神的なショックを受けたに違いない。異国の地でプロデューサーとして有名になった彼には取り巻きがいたであろう。その取り巻き達は異国人であり韓国の業界に疎いKIYOSHI YAMAKAWAに対して有る事無い事を吹き込んで騙してお金を引き出していたのかもしれない。やがて彼は自分が騙されて家まで抵当に入っていた事を知りショックで記憶を無くしてしまったのだ。彼は騙されたことがショックでもう自分の音楽さえ疎ましくなりそして記憶の彼方に捨ててしまったのだ。ああ!なんて哀しい話なのだろうか。せっかくこのソウルで成功したのに結局全てを投げ出してしまうなんて。だけどこのままでいいはずがない。私はKIYOSHI YAMAKAWAに向かって言った。

「あなたはいいの?せっかく自分が築いたものを死ぬまで忘れたまんまで生きていけるの?いい?YAMAKAWAさん。あなたは今世界中で注目されているのよ。現役時代にまったく注目されなかったあなたのSOULは今世界の人たちに聴かれているのよ。それでもあなたは忘れたまんまでいいと言うの?ねぇ、あなたは自分が認められた事を知らずに過ごすと言うの?私は我慢が出来ないわそんな事。YAMAKAWAさん。私があなたの記憶を取り戻させてあげる。そして世界中の人があなたの作品に夢中になっている事を教えてあげる」

 私がこう言い終わるとKIYOSHI YAMAKAWAは俯いて肩を震わせた。どうやら泣いているようだった。私はホテルまでの車中彼のドブみたいな匂いがつくのも構わずにずっと彼を抱きしめていた。

アドベンチャー・ナイト


 ホテルの前にタクシーが止まると私はKIYOSHI YAMAKAWAの手を引いてさっと料金を払って降りた。タクシーの運転手は私たちの後ろから韓国語でくせえ!これじゃ客商売にならんとか喚いていたけど、私はテコンドーの構えで脅し付けてやったら車を走らせてさっさと逃げて行った。それから私たちはホテルに入ったけど入り口で止められてしまった。臭いから他のお客様に迷惑だと言ってきたのである。だからここでもテコンドーを使わざるを得なかった。KIYOSHI YAMAKAWAに木の板を何枚か持ってもらうと私はテコンドーでその木の板を一気に叩き割ってやった。するとホテルのフロントにいた人々は一斉に拍手をした。それからホテルの支配人らしき人がやってきて私たちをスイートルームに泊まるように言ってくれたのである。世の中には不思議なこともあるものだ。この件もそうだが、特にこうして憧れのKIYOSHI YAMAKAWAと一緒の部屋に泊まる事になるなんて。

 エレベーターの最中他の客たちがボロボロの格好でドブみたいな匂いを放っているKIYOSHI YAMAKAWAとその隣にいる私をゴミでも見る目で見ていた。だけど今の私にはそんな他人の冷たい視線などどうでもよかった。今の私の使命は早くKIYOSHI YAMAKAWAの記憶を取り戻させること。彼に過去に向き合ってもらうことだからだ。

 エレベーターはスイートルームの階で止まりそしてゆっくりと開いた。もうエレベーターの中には私たちの他は誰もいなかった。私たちはエレベーターから降りて自分たちの部屋へと向かいドアを開けた。正直に言うが私はスイートルームに泊まるのは初めてだ。開けた時部屋の広さに驚いてしまった。だけど驚いている暇など私とKIYOSHI YAMAKAWAにはない。一刻も早くKIYOSHI YAMAKAWAの記憶を取り戻さなければならないのだ。彼の年を考えたら残された時間は決して多くはない。下手したら記憶を失ったまま、認知症となってしまうかもしれないのだ。もうそうなったら一生介護しなければならないだろう。でも私はそれでもいいと思った。これは恩返し。不幸な彼を介護することが私たちのために素敵な音楽を作ってくれた伝説のソウルシンガーKIYOSHI YAMAKAWAに私が唯一できる事だった。私は部屋に入るなりドブみたいに匂うKIYOSHI YAMAKAWAに風呂に入るように言った。しかし彼はその場から動かない。私はその彼を見て鬱病にかかっているのではないかと考えた。鬱病の人間は極端に入浴を嫌うものだ。やはり彼には記憶を失うほどの不幸な事件があったのだ。しかし不幸があったとはいえこんなに臭くてはたまらない。私は嫌がる彼をふんづかまえて無理やり浴室にぶち込んで服を引きちぎってシャワーを浴びせた。彼はそのシワだらけの痩せ切った体で震えていたが、私はそのしょぼくれた裸体を見て悲しくなった。今私の目の前にいる老人には現役時代に醸し出していた濃厚な官能性は見る影もない。ただの老人の痩せ切った裸があるだけだ。だけど私はその裸体が無性に愛しくなった。その痩せ切った背中には彼の人生が積まれていた。私は彼の背中をタオルで擦りながら泣いた。

 シャワーで彼の体を洗い終えると私は彼にパジャマを着せてからリビングへ案内した。それから彼に待ってもらうように言って私もシャワーを浴びに行った。私はシャワーを浴びながらずっとKIYOSHI YAMAKAWAの記憶を取り戻すにはどうすべきか考えていた。やはり彼に自分の曲を聴かせた方がいいだろう。そうしたらなにかしらの反応があるはず。もしかしたら自分がSOULを振り絞った声を聴けば一瞬で記憶を取り戻すことも出来るかもしれない。そうだ早速聴かせてみよう。私はそう決意すると浴室から出るなりリビングに行き、椅子に惚けたように座っているKIYOSHI YAMAKAWAにむけてスマホから彼の歌っている曲を流した。しかし、なんの反応もなかった。彼は一瞬私の方を見たけれどそれっきりだった。でも私はしばらくそのままかけ続けた。

 やがてホテルの従業員がディナーを運んできた。従業員は音楽が部屋に流れている事にビックリしたようだったが、曲の素晴らしさを理解したのか、手慣れた日本語でいい曲ですねと褒めてくれた。私は我が事のように嬉しくなり思わずKIYOSHI YAMAKAWAを見たけど彼は相変わらず全くの無反応だった。だけど私は音楽を止めなかった。こうしてかけ続けていればいずれ彼が昔の記憶を取り戻してくれると思ったのだ。曲目の順番は彼のファーストアルバムからラストアルバムの順番だ。こうして年代順に追ってもらえば記憶が蘇るかもしれない。私はディナーを食べながらKIYOSHI YAMAKAWAを見ていた。彼は久しぶりの食べ物によだれを垂らしながら文字通りかぶりついていた。私はその彼を見てこれがあのKIYOSHI YAMAKAWAの現在の姿なのかと悲しくなった。ソウルシンガーとして認められず、イヤイヤながらシティポップに路線変更したがそれでも人気が出ず、アメリカに旅立ち、そしてこのソウルというSOULと全く同じ発音の都市に安住の地を得たと思っていたのにこんなに落ちぶれてしまうなんて。私は料理をフォークを突き刺して口に放り込む彼を悲しい気持ちでしばらく見ていた。すると食事中の彼が突然両手で頭を抱えて蹲った。私は驚いて彼を介抱しようとしたが、彼は両手で頭を押さえながら叫んだのだ。

「今すぐあの音楽を止めてくれ!頭が割れそうだ!」

 スマホからは『アドベンチャー・ナイト』がかかっていた。KIYOSHI YAMAKAWAは両耳を塞ぎ苦悶の表情でうめいている。まさか記憶が蘇ったのか。私は彼に向かって記憶が蘇ったのか聞いた。しかし彼は記憶なんか蘇るわけないだろ!ただこの曲を聴いてると頭が痛くなるだけだ!と叫んだ。私はすぐにスマホの音声を消した。すると彼は頭から両手て離し安堵の表情で私を見た。私は彼に尋ねた。

「あなたさっきあの曲を聴いてどう感じたの教えて?」

 それに対する彼の答えはこうだった。

「わからないんだ。ただあの曲を聴いた時猛烈な嫌悪感を感じたんだ。俺がこんな甘ったるい曲を歌っていたはずはないってね」

 私はこの答えを聞いてKIYOSHI YAMAKAWAはまだ死んではいないと思った。やはり記憶を失ってもSOULはまだ彼の中にある。彼の中のSOULはあんなシティポップは認めていないのだ。いや、もしかしたらまだ記憶は完全には失われていないのかもしれない。彼の中にわずかに残る記憶が忌まわしきアドベンチャー・ナイトを拒絶したのかもしれない。だとすると記憶は意外にも早く蘇るかもしれない。

 ディナーを終えた私たちは就寝の準備に入った。明日からが本番だ。一体どうしたらKIYOSHI YAMAKAWAの記憶を取り戻せるだろうか。さっき意外にも早く彼の記憶を取り戻せるかもと思ったけど、それはあくまでも運が良ければの話だ。

 私は隣のベッドで寝ているKIYOSHI YAMAKAWAを見て明日の予定を考えはじめた。まずは彼に新しい服を買うことだ。それから彼にこれまでの経緯を尋ねてみよう。勿論記憶を失った彼は覚えていないと首を振るだけだろう。だけど彼に過去の自分のことを聞かせてやれば何かのきっかけで記憶が復活するかもしれない。しかし冷静に考えればおかしなことだ。本来なら記憶喪失の人間はすぐに病院に連れてゆくべきなのに自分で引き取って面倒を見るなんて。私はこれは恋、いや恋以上のものだと思った。愛するKIYOSHI YAMAKAWAを救いたい。そんな思いが今の自分を走らせていた。

 そうして私はいつの間にか眠っていたが、胸に誰かの手の感触を覚えて目を覚ました。私が目を開けると目の前に隣のベッドで寝ているはずのKIYOSHI YAMAKAWAがいるではないか。あまりに突然の出来事に私は驚き叫ぼうとしたが、目の前にいるKIYOSHI YAMAKAWAが私の胸を揉みながら体を震わせて泣いているのを見て思わず止めた。そこにはあの現役時代の彼もこの韓国で音楽プロデューサーとしての彼もそこにはいなかった。今ここにいるのは痩せ切った一人の孤独な男だった。もはや男としての精力はなく、ただ昔の幻影を求めて女に縋り付く哀れな老人でしかなかった。私は朝まで彼を抱きとめそして寝た。

KIYOSHI YAMAKAWAを探して


 翌朝、起きるとKIYOSHI YAMAKAWAはすでに起きていたようでリビングでぼんやりと座っていた。私が来ると彼は申し訳なさそうに謝ってきた。そのパジャマ姿を見て私は昨夜のことを思い出して顔が熱くなったけどそれを彼に気取られないように必死で隠した。私は早速モーニングを注文して彼と一緒に朝食をとりながら今日の予定を伝えた。まずは服を彼の服を買いにゆくこと。それからソウル市内を歩き彼にこれまでのことを聞くこと。彼は私の言うことに頷きそしてアンタのために早く記憶を取り戻さなきゃと笑った。

 パジャマを着たKIYOSHI YAMAKAWAを連れた私は誰がどう見ても老人の介護人だった。KIYOSHI YAMAKAWAの足取りはたしかだったけど体は痩せ切って実際の年齢より遥かに老けて見える。タクシーで服屋を探していた私とKIYOSHI YAMAKAWAはとある服屋の前で降りた。私はもしかしたら服屋にパジャマ姿の老人は入れないんじゃないかと思ったけどやっぱり店員に止められた。だから私はいつも通りテコンドーのパフォーマンスで強引に店に入った。やはりテコンドーは韓国の国技だから達人は尊敬の的なのだということをここであらためて実感した。私は徘徊老人のように店内をうろつくKIYOSHI YAMAKAWAの手を引きながら彼にどんな服がいいかと聞いた。この店はどちらかといえば庶民的な店だ。彼のために高い服を買って上げたいけど今の手持ちのお金では買えるものも限られている。だけど私はできるだけKIYOSHI YAMAKAWAのイメージに合うような服を買ってあげたかった。そうすれば記憶も戻ってくるように思えた。私は彼のアルバムのジャケットや雑誌のインタービューで来ていた服を思い浮かべながらそれに合うような服を探した。私はKIYOSHI YAMAKAWAに服を見せてどう思うか聞いたけど彼の反応はさっぱりだった。そうして私はしばらく服を探していたが、偶然というべきか、宿命というべきか私はアドベンチャー・ナイトで彼が来ていたシャツとそっくりなものを見つけたのだ。私は思わずシャツを取り出して思わずKIYOSHI YAMAWAMAに見せた。しかし彼はやっぱり無反応だった。だけど私はそんなことはどうでも良かった。私は店内を探し回りなんとこの店でアドベンチャー・ナイトでKIYOSHI YAMAKAWAが来ていたものをすべて見つけてしまったのだ。シャツもジーンズもシューズもサングラスも。私は店員にすべて見せてKIYOSHI YAMAKAWAを指差してこの人に試着させても大丈夫かと聞いた。店員は少し戸惑ったが私がテコンドーの身振りをすると大丈夫だと慌ててうなずいて許可してくれた。

 私はKIYOSHI YAMAKAWAに服をもたせて試着室で着替えるように言い、私は試着室の前で彼が着替え終わるのを待った。待っている間店員が私に向かって話しかけて来た。どうやら彼は日本語が話せるようだ。店員はあの服装いま韓国で流行っているんだと言っていた。彼によると今韓国でもシティポップがブームであり、中でもKIYOSHI YAMAKAWAが注目されているとのことだった。更に彼はこんなことまで教えてくれた。彼によればそのKIYOSHI YAMAKAWAは数年前まではこっちでプロデューサーとして活動していたのだけど突然消えてしまったということだ。そのことを聞いて私は嬉しくなり、今試着室で着替えているのがそのKIYOSHI YAMAKAWAなのだと彼に教えようとしたが、あんな徘徊老人みたいなのが本人だと教えたらKIYOSHI YAMAKAWAのイメージが崩壊することを恐れて私は黙った。しばらくすると試着室から着替え終わったKIYOSHI YAMAKAWAが出てきた。その姿を見て私は思わずため息を漏らした。そこには現役時代を彷彿とさせる彼が立っていたからだ。店員も私と同じようにKIYOSHI YAMAKAWAの姿に感嘆していた。KIYOSHI YAMAKAWAはそんな私達を見て照れたように笑みを作っていた。

 私はクレジットで代金を支払うとすっかりおしゃれになったKIYOSHI YAMAKAWAを連れ立って外へと出た。外に出てから私は彼に向かってさっきのお店の店員があなたのことを知っていたわよと教えてあげた。しかし彼は相変わらずなんの無反応だった。あとはこうしてソウル市内を回りながら彼に過去について尋ねればいい。毎日そうしていれば彼の記憶ももしかしたら戻るかもしれない。これは私達二人でKIYOSHI YAMAKAWAを探す旅なのだ。私はCDショップを尋ねることにした。KIYOSHI YAMAKAWAはここ韓国でも有名らしいからきっとCDショップに彼のCDが沢山あるだろう。そのCDを見れば彼も自分の過去を思い出してくれるかもという僅かな可能性にかけたのだ。CDショップに入るといきなり『アドベンチャー・ナイト』が流れていた。私は昨夜のことを思い出し思わずKIYOSHI YAMAKAWAを眺めた。しかし彼は昨日とは違い全くの無反応だった。やはりさっきの服屋の店員の言ったとおりKIYOSHI YAMAKAWAは韓国でも有名らしい。私は目の前に彼の特集コーナーがあるのを見つけてKIYOSHI YAMAKAWAを連れて行った。しかし彼はその特集コーナーを見ても無反応だった。目の前に積まれたCDを見ても彼は無表情のままだった。私がこれはあなたが昔出したレコードをCDにしたものなのよと言っても彼は表情を変えずうなずくだけだった。どうしてなのだろう。なぜ彼はここまで自分の過去を忘れてしまった。何がここまで彼の記憶を失わせたのか。彼は平積みのCDを見ている間たった一言こう言っただけだった。

「これを俺が出したっていうのか。まるで他人の話を聞かされているようだ」

 こうして私達は一日中彼とソウルの街を歩いていたけど彼の記憶が戻ることはなかった。いや、いっそうひどくなっていったように感じた。彼は感情を見せず惚けたようになっていった。どうしたらいいのだろう。どうしたら彼の記憶を取り戻すことができるのか。しかし考えても結局今の方法を続けるしかなかった。この方法は長い時間がかかるだろう。だけどどんなに時間がかかろうと私は彼を支えるつもりだった。そうすればいずれ彼の記憶も蘇るだろう。そう私は思ったのだ。

記憶よ、よみがえれ!

 しかしKIYOSHI YAMAKAWAの記憶が蘇る気配は一向になかった。私は毎日彼の記憶が蘇るようにいろんなところに行った。最初に彼が数年前まで在籍したらしいレコード会社に行ったけど私と彼は門前払いされた。警備員は私がいくら隣にいる老人がKIYOSHI YAMAKAWAだと行っても信じてくれなかったのだ。テコンドーで脅しつけてもだめだった。あの売りに出されている彼の住んでいた家にも行った。だけどここに来ても彼の記憶は蘇らなかった。彼はずっと無表情で家を見つめていただけだった。しかし戻らぬ記憶とは別に彼は急速に健康になっていった。彼は日を経るごとに昔のKIYOSHI YAMAKAWAに戻って行くようだった。だけど記憶だけはどうしても戻らなかったのだ。私はもどかしさにたまらず彼に向かって何でもいいから思い出してと懇願した。しかし彼はそんな私を困ったように見つめるだけだった。

 健康になったKIYOSHI YAMAKAWAは明るくなり良くしゃべるようになった。彼は以外にも饒舌で、乱暴な口調で私に向かってよく小話を披露したものだ。北の島の老楽師に弟子入りした歌手の話とか、空の家にみんなを集めてリサイタルを開いていたら突然ギャングに襲われて命からがら逃げた話とか、そんな面白いとも言えない話を延々していた。私は話の最中にあなたはなぜソウルに来たのと聞いてみた。私はSOULの言葉を口にすることで彼の記憶を呼び覚まそうとしてみたのだ。しかし彼はSOULという言葉に全く反応せず、在日の知り合いにソウル通がいたような気がすると明後日の答えをするだけだった。

 そうして私は毎日KIYOSHI YAMAKAWAと会話していたが、次第に彼は私を避けるようになった。私が彼の記憶を蘇らそうとせっつくからだ。確かに彼は表立って私を避けているわけではない。散歩には必ずついてくるし、私の話も聞いてくれる。しかし私が彼の過去について聞くと急に黙り込んでしまうのだ。それは思い出せないからと言うのではなく、明らかに思い出したくないというような身振りだった。私が彼についていくら話しても彼は聞く耳は持たないといった感じで、挙句の果てにこんなことまで言い出した。

「オマエさんが言っているのはほんとに俺のことなのかい?もしかして赤の他人のことじゃないだろうね?」

 私はそれを聞いて思わず彼を怒鳴りつけてしまった。

「どうしてあなたはそうやって自分の過去から逃げるの!はっきり言って私はあなたが韓国に来てから何があったのか知らない。だけどそうやっていつまでも自分の過去から逃げていいの?あなたは一生過去を失ったままで生きてゆくの?あの素敵な音楽を作ったことさえ忘れたままで死んでもいいというの?思い出してよ!世界中のあなたのリスナーのために、いえあなたを誰よりも愛している私のために!」

 KIYOSHI YAMAKAWAは唖然とした表情で私を見た。その表情を見て私は勢いで大胆なことを言ってしまったことを恥じた。だけどこれは私の偽らざる気持ちだった。彼への崇拝はいつの間にか愛へと変わってしまったのだ。KIYOSHI YAMAKAWAは深く息をしてから口を開いた。

「オマエさんの気持ちはわかった。俺、オマエさんのために記憶を取り戻せるよう努力してみるよ」

アドベンチャー・ナイト その2

 それから私とKIYOSHI YAMAKAWAは彼の記憶を取り戻すために必死でソウル内を歩き回った。頭に刺激があれば記憶が取り戻せるかもと私のあまり好みではない、激辛の韓国料理まで食べた。KIYOSHI YAMAKAWAは意外にも激辛料理をぺろりと食べてしまった。彼は食べながら、韓国料理は昔から食べていたような気がすると言っていた。店を出て私達はまた街中を歩いた。歩いているときに彼は街で流れているK-POPに毒づいて拳が入っていないと言い出した。私は彼が演歌歌手みたいなことを言うなと思ったけどそれも時代の流れなのだろう。彼が数年前にプロデューサー業を引退したことも頷ける。数年前の彼は感覚的に時代と合わなくなっていることに気づいていたのだ。その後彼がどういうきっかけで記憶を喪失するほどの精神的なダメージを被ることになったのかはわからない。それは今私の目の前にいるKIYOSHI YAMAKAWAしか知らない真相なのだ。だけど彼はその真相と向き合うのを恐れて記憶を封じてしまっていた。だけど今の彼はその辛い過去に必死になって向き合おうとしている。

 日を経る毎に健康になってゆく彼を見て私はKIYOSHI YAMAKAWAの復活は近いと感じていた。私が買った服を着こなした彼は現役の頃のKIYOSHI YAMAKAWA瓜二つに見えた。私の滞在期限は明後日に近づいていだけれどもしかしたらそれまでに彼の記憶は戻るかもしれないと思った。彼はあれから毎日私に自分の音楽を流してくれるように頼んできた。そして私がスマホで音楽を流すと彼は目を閉じて聞き入っていた。今日もKIYOSHI YAMAKAWAはそうして記憶を取り戻すために自分の曲を一から聴いていたのだ。全身に染み渡るようなKIYOSHI YAMAKAWAのセクシーボイス。ああ!なんて官能的なのだろうか。過去のあなたはこんな歌を歌っていたのよ。体液を放出させるような熱いソウルを歌っていたのよ。曲は進んで最初の夜の時のように『アドベンチャー・ナイト』がかかり出した。曲が流れると彼は突然耳を塞いだ。それはまるで最初の夜の再現だった。彼はうわごとのようにこう繰り返していた。

「こんな曲は俺の曲じゃねえ。こんな魂のねえ曲は俺は歌わねえ。俺の曲は……」

「まさかあなた記憶が戻ったの?」

 その私の言葉にKIYOSHI YAMAKAWAはゆっくりと頷いた。そしてずっと持っていたらしいテープ式の古いウォークマンを私に見せた。

「姉ちゃん、電池くれねえか?この中に俺の歌が入ったカセットテープがあるんだ。今から聞かせてやるよ」

 私はすぐに電池を渡した。あとはウォークマンが動くのを祈るだけだ。ウォークマンはかなりの年代物だ。もしかしたら動作しないかもしれない。私とKIYOSHI  YAMAKAWAは固唾を飲んでウォークマンを見守る。彼はウォークマンを開けて中のテープを取り出してクルクルと回し始めた。そして震える手で再生ボタンを押した。するとウォークマンから扇情的なストリングスが流れてきた。そのストリングスに乗せてKIYOSHI YAMAKAWAは生のセクシーボイスでこう歌いだした。

「ああ〜♪アヴァンチュール・ナイとぉ〜♪熱海の夜はぁ〜♪」

 ああ!なんだこれはぁ!なんでKIYOSHI YAMAKAWAがこんなダサくて酷い曲歌っているのよ!アンタホントにKIYOSHI YAMAKAWAなの?あなたがこんな酷すぎる曲歌っていいの?

「姉ちゃん、ありがとう!アンタのおかげでやっと記憶を取り戻せたぜ!俺、横浜のバーが潰れて知り合いを頼って韓国まで来たけどそこで知り合いと揉めちまって海に沈められたんだ!九死に一生を得て俺は助かったけど記憶が飛んじまってな。でもありがとう。姉ちゃんのことも思い出したぜ。アンタ横浜で会ったよな。あれからずっと俺を探してくれてたんだな。俺、この年になって女にここまで惚れられるなんて嬉しいぜ」

 ああ!思い出した!コイツはソウル歌手のKIYOSHI YAMAKAWAじゃなくて演歌歌手のKIYOSHI YAMAKAWAだった!ああ!私はなんて愚かなのだろう!こんなジジイに服買ってあげるどころか胸まで触らせたりして!

「さぁ、姉ちゃん!今夜は俺ととびきりのアヴァンチュール・ナイトを過ごすんだ!そのつもりで俺を助けてくれたんだろ?さあ、早く一緒に裸になろうぜ!」

 そんなに裸になりたいのか!じゃあ今すぐ裸にしてやるわ!怒り狂った私はジジイを掴むと着ていた服をボロボロに引き裂いて廊下に叩き出してやった。そしてビビってチビっているKIYOSHI YAMAKAWAの偽物のジジイに向かってこう叫んだ。

「お前誰だよ!」


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