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《長編小説》全身女優モエコ 第四話:テレビ中毒

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 モエコはそれからずっと孤独の日々を過ごした。いつもテレビを観ていた電器屋が何故かつぶれ、テレビを観る手段をなくした彼女はヤケクソになったモエコは、家に帰るなり父親の酒瓶を叩き割り、テレビ買わなかったらお前の酒瓶みんな叩き割ってやると吠えたが、その度に怒り狂った父親にボッコボコに殴られていた。

 彼女は悔しさにのたうち回り、ずっとテレビを思い浮かべて泣いていた。しかしそうしているうちに麻薬の禁断症状みたいなものが出てきてしまった。テレビの幻覚まで見始め、周りの誰かがテレビと一言口に出そうものなら、彼女はテレビのチャンネルを回そうと、いきなりその人の鼻を摘んで捻り出すまでになったのだ。

 モエコは一日中、テレビテレビと呟き、通りかかった家の窓からテレビが見えると目を剥いてテレビを凝視した。それだけで彼女は収まらず、テレビ見たさに、とうとう無断で他人の敷地に入るまでになった。夕食の一家団欒でテレビを見ながらおしゃべりする家族、ふと夜空を眺めようとして窓を見たら、ガラスに顔をべったりと貼りつき目を血走らせて、テレビを食い入るように凝視するモエコがいる。そんなことが村や町の中のあちこちで報告された。

 しかし、そんな重度のテレビ中毒に陥ったモエコに救済者が現れた。その人物とは、モエコがたまたまテレビを観に無断侵入した家の持ち主である。地主の一人息子で30過ぎてもろくに働かないでずっとテレビを観ていたその男は、ある日、自分の部屋の窓に、目を剥いて、ガラスにべったりと貼り付きながら、テレビを観ているモエコを見つけた。彼は少女を、このクソガキが、と追い出そうとしたが、モエコを間近で見た瞬間、男はこの少女の圧倒的な美貌に驚き、しばらくその場に立ち尽くしてしまった。彼は我を取り戻すと、この美少女に恐る恐る尋ねた。

「あ、あの君、ここ僕ちんのおウチだって、わ、わかってるよね!な、なんで君、僕ちんのおウチにいるの?」

 少女は男に質問された途端、急に泣き出した。男は少女の態度に動揺し、慌てて泣いている少女を宥めようとする。モエコはその男に向かって涙ながらにこう話したのである。

「あたし、貧乏だからテレビ持ってないの。だからいつも学校帰りに電器屋さんでテレビ観てたんだけど、電器屋さんが突然潰れちゃって、それからあたしなんかおかしくなっちゃった。気付いたらいつの間にか人の家に入ってテレビを見てるようになっちゃったの。あたし……テレビがなくちゃ生きていけない。テレビドラマを観なくちゃ病気になって死んじゃうよ!」

 少女の話を聞いた男は、こんな可愛そうな女の子がいるなんてと、心の底からこの哀れな少女に同情した。少女が話の間に絶妙なタイミングでしゃくり上げた時など、思わずウルッと泣きそうになったほどだ。

 しかし見れば見るほど美しい少女であった。その顔は九州南部や奄美諸島出身者によく見られる彫りの深い濃い顔であるが、その小悪魔的な表情は男の好きな手塚治虫の漫画に出てくる美少女をどこか思わせ、そしてその白い肌は健康的な白さで夏のさかりの太陽を弾いて光っている。要するにこの少女は男の好みそのまんまだったのである。童貞らしき彼は少女をまともに見ることが出来ず、チラチラと横目で見ながら恐る恐る少女に話しかけた。

「き、きみ、お名前な、なんで言うの?」

 モエコが自分の名前を言うと、男は興奮し、モエコちゃん、モエコちゃんと何故か繰り返して彼女の名前を呼んだ。それから続けて聞いた。

「じ、じゃあ、きみは、ど、どこから来たの?」

 村から歩いて来たとモエコが言ったら男はびっくりし、そんなに遠くからテレビを観にここまで歩いてきたのかと、目の前の少女を哀れんだ目で見つめた。そして男は興奮してモエコに向かって言ったのだ。

「あ、あの、テ、テレビ観たかったら僕ちんのウチに来ていいよ!毎日来てもいいんだよ!」

 その一言を聞いたモエコがどれほど喜んだか想像に難くない。モエコは喜びのあまり思わず飛び跳ね、ワォーと遠吠えを始めた。モエコの遠吠えに反応して近所の犬が一斉に吠え出す中、男は無邪気に喜ぶモエコの全身を舐め回すように眺めていた。

 結局モエコはその日、男とソファーに座って陽が落ちるまでテレビを観ていた。勿論肉体的な接触などはありはしなかった。ただ男はテレビドラマを夢中になって観ているモエコを目を血走らせながら見ていただけだ。それから男はモエコを町の外まで送ったが、その時、男は二度と会えぬかも知れぬと不安になり、別れ際に慌ててモエコを呼び止め万札を二枚渡した。彼女はあまりにも突然のプレゼントにびっくりし飛び上がるほど喜んだ。テレビを観せてもらってしかもお金までくれるなんて、この人はなんていい人なんだろう、まるであしながおじさんみたいだ、と子供らしくモエコは素直に感激したのである。

 家に帰るとモエコは父親から目を逸らし、まっすぐ寝室に入ると、スカートのポケットに閉まっておいた2万円札を取り出して眺めた。今まで見たこともないような大金であった。テレビはいくらぐらいするのだろう、と彼女は考えはじめ、そしてあの、あしながおじさんのとこに行ったらまたお金をくれるかなと笑みを浮かべたのであった。

 しかし、モエコが翌日男の家で、お金を貯めてテレビを買うのが自分の夢だと言った瞬間、男は急に不機嫌になり、お小遣いを5000円に減らしてきたのである。しかも一週間に一回しか小遣いあげないからなと言い出したのであった。この男の態度の激変ぶりに怒ったモエコは、男の家を飛び出し、町の駅前で道ゆく男達にお家でテレビが観たいのと言って誘いをかけ出した。もうテレビを買うためならどんな手段も厭わなかった。

 嗚呼!モエコの行為は今で言ったらパパ活、ちょっと昔だったら援交と言われていたものだったかも知れない。もっとも当時はそんな言葉はなかったが。しかし、モエコが恋愛のいろはもわからぬ年頃に、知ってか知らずかこんな悪事に手を染めていたとは!たしかに、この生まれながらの淫ら女め!と蔑まれる行為であるかも知れない。しかし、彼女は今の薄っぺらなバカアイドルや風俗嬢などと違って、命よりも大事なテレビが欲しいという切実な理由があったのだ。彼女はテレビを買うために何もかもを犠牲にするつもりだったのだ。子供であり、まだ女優になりたいと思ってさえいなかった当時の彼女は、自分にもこれほどまでテレビを欲しがる理由がわからなかったであろう。しかし、彼女が全身女優とてその生涯を終えた今になってはハッキリとその理由が分かるのだ。少女の頃から彼女は知らず知らずのうちに導かれていたのだ。芸能界へと、いや全身女優としての道に。

 結局モエコは三人の男の家に変わりばんこで行くことになった。駅で彼女の誘いにのった男二人と、一番最初に金をもらったあの男である。男は彼女が家を飛び出した後、すぐに泣きながら彼女を追った。そして翌日に駅前をプラプラ歩いていた彼女を発見して、泣きながら、君がテレビを買ったら、僕ちんのところに来なくなるのが怖くなってああいうことを言ったんだと、正直に告白して謝った。彼女は男の許してあげるからこれからは小遣いを2万円に戻してと言い、続けて、これからは一週間に二日会うことにしようねと、男にこれからも逢ってあげる事を約束したのである。

 そうして男達の家を順に回って、テレビを観てお金をもらう事を続けているうちに、お金はどんどん貯まっていった。モエコは最初の頃は札を肌身離さず持ち歩いていたが、貰うごとに札がだんだん嵩張ってきて、もう両親から隠せる金額じゃなくなってしまった(余談だが、モエコはこの時点で、テレビなど余裕で買えるほど、金を貯め込んでいたことに、亡くなるまで気づかなかった)。最初はランドセルに入れようと思ったが、学校では毎日ランドセルの検査があるので入れとくわけにはいかない。彼女はいろいろ考えて、結局押し入れの隅っこに札束を隠すことに決めた。


 それから数日経ったある日の事である。彼女はいつものように男達の家にテレビを観に行った。そして帰宅して家の玄関を開けたその時だった。何故かお茶の間の両親の座っているテーブルいっぱいに、豪勢な握り寿司が置かれているのを見たのである。両親は今日に限っては妙に愛想がよく、モエコにアンタも食べたらと寿司を勧めてくる。それを見た瞬間、モエコはあっと叫ぶなり、慌てて押し入れまで飛んでいき、そして札束が入っているはずの押し入れの隅っこを見たのだ。……やっぱりない。自分がテレビを買うために貯めてた金がない!モエコは怒り狂い、再びお茶の間に戻ると、「私の金どこやったんだ!」と両親を怒鳴りつけた。すると父親が立ち上がって彼女を殴り始めたのである。

「うるせえ!俺たちがこんなに金に苦しんでいるのに、テメエだけ、男とほっつき歩いてよ!俺はすっかりお見通しなんだぜ!お前が学校からまっすぐ町の方に歩いて行くのをよぉ!お前、町でお子様好きの変態爺とあんな事やこんな事してるんだろ!お前何才なんだ?年端もいかねえガキが売春なんかしやがって!こんな淫売女に金なんか渡したら大変なことになる!金は俺が預かるからな!いいか、これは娘を心配する親心だ!」

「何が親心だ!アンタ酒ばっかり飲んでちっとも働かないじゃない!娘を思うんだったら、なんで娘が命よりも欲しがってるテレビを買ってくれないのよ!売春だって?あの人達はモエコを可哀想に思ってテレビを見せてくれたり、お金をくれたりしてくれたのよ!アンタ達なんかよりあの人達の方がよっぽど親らしいよ!モエコにテレビまで観させてくれて、お金までくれるんだから!」

「モエコ!その辺でやめなさいよ!お父さんを本気で怒らす気?アンタただじゃすまないわよ!」

「何がタダじゃ済まないよ!アンタだってこの男と同じよ!モエコがテレビが欲しいって言って、いつもコイツに殴られているのに、アンタはいつも私は関係ありませんって逃げてばかりじゃない!許さない!アンタ達は許さない!」

 母の一言は結局モエコの怒りに火を注いだけだった。怒り狂ったモエコは酒が丸々入った酒瓶を掴んだ。そしてこう呟いた。「返せ……私のテレビ代返せ」

 そして父親に近づいたのだが、父親はモエコが酒瓶を持ち上げられぬのを見ると、嘲笑って挑発しだした。

「おい、それで殴るつもりかよ。それ、酒が丸ごと入ってるんだぜ。持ち上げられるのか、お前に?お前の力で持ち上げて俺を殴れるのか?早く殴れよ。殴ってみろよ!」

 モエコはその言葉を聞いて、頭にマグマが吹き上がってくるのを感じた。活火山みたいに吹き上がった怒りはもう止められなかった。モエコはウワァー!と絶叫すると酒瓶を持ち上げ、そして振りかぶった。そして「テレビ代返せー!」と叫びなからフルスイングで父親の頭を殴ったのである。

 それから阿鼻叫喚の大騒ぎであった。ビンは割れ、中のアルコールと破片が畳に飛び散る中、頭から血を吹き出した父親は「痛え、痛え」と喚きながら畳を転がり周り、母親は「やめてぇ、モエコやめてぇ」と叫びながらひたすら寿司にパク付いている。モエコは血塗れの海と化した畳に、血を吹き出して倒れている父親の襟を掴んで揺さぶりながら、「テレビ代返せ!」と何度も殴りながら叫んだ。近隣の住民は、火山の方から聞こえてくるこの騒ぎに、またいつもの宴会が始まったなと笑い、この悲鳴と絶叫を肴に酒を飲み出した。こんなことは九州の火山地帯ではありふれた事だったのだ。

 その後、包帯を頭にグルグル巻きにした父親はもうこんなことはうんざりと、モエコにテレビを買うことを許可したのだった。但し、モエコが家に金を入れ続けることが条件である。モエコはなんだそんなこと簡単よ、とすんなりその条件を飲んだのだが、この事が後に彼女の運命を決する大事件になることを、彼女はまだ知る由もなかった。

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