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先輩

 私は高校の後輩と結婚した。彼は私が二年の時私が所属していた映画研究部に新人として入ってきた。私たちは初めてあった時から気が合い、そのうち部活だけじゃなくて普通の昼休みでも、そして外でも会うようになった。

 ごく自然にご想像通りの関係になった私と彼だったけど、しかしそんな関係になっても彼はいつも私を先輩と呼んでいた。私はそう呼ばれるたびにババくさいからやめてと半ば本気で怒った。だけど彼はそれでも長い間先輩呼びをやめず、ようやくやめたのはプロポーズしてくれた時だった。彼は私にさん付けでプロポーズして来た。私はようやく先輩呼びはやめてくれたのにまださん付けやめてくんないのかよと呆れて、少し怒った調子で私あなたを呼び捨てにするからあなたも呼び捨てで私を呼んで。でないと結婚しないと言ってやった。彼は私の言葉に慌てて私を呼び捨てで呼んで結婚してくれと男らしく言い直してくれた。

 こうして結婚した私たちだったけど私はやっぱりこの人と結婚してよかったと思った。結婚してからも私たちは家でも外でも映画を見まくり、映画に出てくる家族を見てはあんな家族になりたいとか、あるいはあの夫婦みたいにはなりたくはないなとかそんな事を喋ったりした。

 彼は夫稼業がすっかりいたについた。そして後はパパをやるだけだと思ったその時彼は突然病に倒れた。救急車で病院に向かった彼と私を待ち受けていたのは彼の余命が後半年だという悲しすぎる宣告だった。

 私は彼の余命宣告を聞いて激しく落ち込んだが、その私を慰めてくれたのは皮肉にも病床に臥せっている夫だった。彼はお前らしくないなんていつもの気張った顔で私を励ましてくれた。私は一番ショックを受けている当の本人を悲しませるなと自分に喝をいれ、彼の前では涙を見せまいとした。私の前の短い時間で私たちどれほど語っただろう。私の前でやたらオドオドしていた高校入りたての彼。私に知らない映画の事を話してくれた彼。逆に私から知らない映画の事を聞いて興味津々に目を輝かせて質問を浴びせて来た彼。彼と喋っていると私たちのいろんなシーンがスナップ写真のように私の脳裏に次々現れてくる。だけどそうやって話しているあいだにも彼はどんどん痩せてとうとう骨と皮だけになってしまった。彼は時々話したいのに息が出来ず声を詰まらせる事があった。私は彼に無理しないでと声をかけたが、でも心の中で彼から命の前に言葉を奪おうとしている神様を恨んだ。

 だけどいくら恨んでも運命はどうにもならずとうとう臨終の時が来た。彼の心拍数はみるみるうちに下がりもうすぐ天国に行くであろう事は誰の目にも明らかだった。握っている彼の手もだんだん冷たくなって来た。私はその動かない手にもう握り返してくれないんだなと思ったその時、突然彼が強い力で私の手を握りしめて来た。私はハッとして彼を見ると彼は潤んだ目でこっちを見て口をゆっくりと開けた。

「あ……あの、最後にわがまま言っていいか?」

 私はなんでもいいって泣きながら言った。わがままだったらいつでも聞くよ。私の悪口でもなんでもいいよ。私は耳を澄まして彼の言葉を待った。

「先輩……今までありがとう。俺先輩と結婚できて最高に幸せでした。ごめん、最後の最後で後輩ヅラしちゃって……だけど俺にとってあなたは……結婚してからも最高の先輩でした」

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