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《長編小説》小幡さんの初恋 第十回:新人歓迎会当日の椿事

 そして金曜日になった。今日は丸山くんの新人歓迎会が行われる日である。すっかり忘れていたが今回の歓迎会は久しぶりに大口の契約を取った岡庭の祝勝会でもあった。社長はいつもの朝礼でいつもの昨日の営業報告やらの後で歓迎会の事について話した。

「それと今日は歓迎会があるから出来る限り業務を早く終わらせること。いつまでも仕事やってる奴がいたら日報破いて今日の仕事自体なかった事にするからよろしく!」

 この社長の締めの言葉に社員から笑いがちらほら起こった。それから専務が続けて言った。

「ええっと、毎日言っているように歓迎会に参加する人の中で車やバイク、あるいは使って会社に来られた方は、一旦ご自宅に戻ってバスとかタクシーとか公共の乗り物に乗って会社に来てください。その際のバス代やタクシー代はご自分の負担でお願いします。会社からは一切出しません。これは毎日言っていますが本当に出しません。車代貸せと言っても貸しません。大体赤字なのに歓迎会なんかやっている場合ではないし……」

 と、専務がまた赤字だと愚痴り始めたので社長は目配せして専務を黙らせ「じゃあ本日も気合を入れて頑張るぞ!」と無理矢理締めて朝礼を終わらせたのだった。

 朝礼が終わると社長はすぐに小幡さんと鈴木の所にやってきた。そしてやたら低姿勢で話しかけてきたのだ。

「あの、小畑さんいいかな?……実はね。おふくろが鈴木さんと飲みたいとか今日突然言い出して……。あの、おふくろ鈴木さんをなんか気に入っちゃったらしいんだな。その、自分よりずっと若いのにまるで明治男みたいな風格があるとか言い出して。おふくろを歓迎会に参加させていいかな?どうせすぐ寝たいとか言って帰るし、いいだろ?それともう一つ……」

「えっ、まだ参加者いるんですか?」

 小幡さんは社長が続けてなにか言いかけたので、これは絶対に参加者の追加だと思った。いつもこうなのだ。この会社の人たちはとっくに締め切っているのに、当日になって私も参加したい、僕も参加したいとか急に言い出すのだ。だから彼女は腹が立って相手が口を開く前にキツくこう問い返してやった。すると社長は汗を拭き拭きしながら答えた。

「あ、あの、うちの親戚の女の子が参加したいって言ってるんだ。ほら、女子大生の子いるだろ?あの子昨日の夜うちに遊びに来たんだけど、俺、その時に明日飲み会やるって言ったんだよ。そしたら友達連れてくるから私も参加させてよとかお願いされて。彼女の父親もうちの会社の取締役の一人だし、何かと気を使わなきゃいけないんだな、これが……」

 社長はこう言い終わってからニッコリ笑って小幡さんの方を見たのだが、彼女がダニを見るような目で自分を睨みつけていたのでハッと目を逸らした。

「それでお友達も含めて何人来るんですか?」

「五人……」

「わかりました。すぐ調整します」

 こう小幡さんが無表情で返答するのを聞いて社長はゾッとした。彼は小幡さんに向かって「と、とりあえず、おふくろは鈴木さんの隣ね。女の子はどこでもいいから」と伝えるととコソコソと逃げて行った。

 しばらくすると入れ替わりに専務がやってきた。彼は小幡さんに母と親戚の子が参加するって本当かと聞いてきたので、小幡さんが知らなかったのかと、逆に質問したら専務は大きなため息をついて兄の社長を罵り出した。

「全くあのバカは盛り上げる事しか考えてないんだから!あれでよく経営者なんと務まると思うよ。僕が散々赤字だ。いつまでもこんな放漫経営してたら会社はいずれ倒産するって言ってるのに!」

 そして専務は急に真剣な顔になって小幡さんに言った。

「なぁ、小幡さん。今からでも遅くはない。歓迎会中止しないか?」

「はぁ?できるわけないでしょ!」

「いや、出来るさ。そもそもこのコロナ禍の情勢に人の家使ってあんなに仕切り板だの膳だのアルコール消毒液だの並べてまで歓迎会やるなんてバカげてるんだよ!こっちはフィギュアの面倒見なくちゃいけないのに、そんなものに付き合わされてたまるかよ!」

 この専務の人を馬鹿にした言い草に小幡さんはカチンときた。

「ああそうですか!専務は私が歓迎会を安全に行うために一生懸命考えた事が全てバカげてるっておっしゃるんですか?」

「いや、僕はあくまで一般論として言っただけだ。別に小幡さんをバカにしたわけじゃない!」

「何が一般論ですか!あなたの言っている事はそのまんま私への侮辱じゃないですか!」

 専務はあまりの小幡さんの剣幕に震え上がってしまった。彼は小幡さんの視線に耐えられず逃げ出そうとしたが、後ろから小幡さんが専務と大声で呼んだのにハイ!と起立して立ち止まった。

「専務は歓迎会に参加するのかしないのか、結局どっちなんですか?フィギュアのお世話があるから参加できないんですか?ハッキリ答えて下さいよ!」

 専務はこの小幡さんの質問に半泣きプラス半ギレで答えた。

「さ、参加するに決まっているだろ!ぼ、僕は、社員が勝手にメニューを注文しないか、か、監視する役目があるんだから!」

 こう言って専務も社長と同じように自分から逃げたのを見て、小幡さんは深いため息をついて、しばらくしてから居酒屋に電話して人数が追加された事を伝えて対応できるかどうか確認した。それが終わると机の上に歓迎会のために作った座席表を広げて席の割り振りのやり直しを始めた。そんな小幡さんに鈴木は同情して声をかけようとしたが、小幡さんが明らかに怒っている状態なのだったので思いとどまった。しかし、しばらくしてから小幡さんが若干怒り気味の口調で自分を呼んだので鈴木は何事かと思って小幡さんを見た。

「あの、一昨日聞きそびれたんですけど、鈴木さん私の隣でいいですよね?」

 鈴木は別に構わないがと答えた。小幡さんはそれを聞くと急に笑顔になり「よし!」と声を出して座席表の自分と鈴木の名前の所に丸をつけた。

 結局小幡さんは歓迎会の座席の再度のセッティングのために昼休みを返上する羽目になった。鈴木は小幡さんに自分も手伝うと言ったが、小幡さんは大丈夫です!社長と専務をこき使いますからと笑って鈴木に早く昼休みに行くように言った。

 歓迎会の当日になって災難を一人で浴びている小幡さんであったが、実は終始上機嫌であった。たしかに社長や専務に怒りはしたものの、こんな事は毎日慣れっこになっていたので対した問題ではなかった。彼女は久しぶりに行われるこの飲み会をずっと楽しみにしていた。午後になると小幡さんは歓迎会が待ちきれぬのか、たびたび隣の鈴木に向かって笑顔で言うのだった。

「鈴木さん、歓迎会まで後もう少しですよ。お仕事早く終わらせましょうね」

 パートの楢崎さんが終業時間になったので、いつものように小幡さんと鈴木に退出の挨拶にやってきた。その際楢崎さんは小幡さんに歓迎会に出れない事を残念がった。今週も孫が来るから準備しなくてはいけないらしい。小幡さんはまた次回よろしくお願いしますと彼女を慰めた。それから彼女は小幡さんと鈴木にまた来週と挨拶して事務所から退出したが、その際も鈴木へのウィンクを忘れなかった。

 それから小幡さんはいつものように日報のトレイの準備を始めたが、それが終わった後で彼女は鈴木に今日は鈴木さんが日報集めをやってくれませんかと頼んできた。歓迎会のために居酒屋を迎えなくてはいけないためである。

 やがて17時になり外回りの社員が次々と帰ってきたが、同時に歓迎会のためにやってきた居酒屋のワゴン車が駐車場に次々と止まった。小幡さんは居酒屋から到着したと連絡を受けると、迎えに行くために立ち上がり鈴木に後はよろしくと言い残して事務所を出ていった。鈴木は小幡さんの代わりに社員たちに日報の提出をするよう言ったが、その態度があまりにも貫禄がありすぎたせいか、社員は急に真面目になり次々と日報を提出してきた。最後に日報を提出して来たのは丸山くんであった。彼は鈴木に頭を下げて本日はよろしくお願いしますと言ってきた。鈴木もこちらこそよろしくと言ってから、この前途有望な少年に向かって「君は新しい法律では一応青年となっているが、まだ二十歳になっていないのだから決してお酒は飲んで行けないよ。先輩に飲めと言われても頑として断るのだ」と忠告した。こういう未来ある若者を正しき道に進ませるよう我々年長者が見守ってやらねばと、鈴木は丸山くんを見ながら考えていたが、その鈴木のもとに小幡さんがやってきてお願いだから今すぐ手伝って欲しいと頼んできた。鈴木は丸山くんにまた歓迎会で会おうと言うと、小幡さんとともに歓迎会の会場へと向かった。







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