夏野ネコ

何者でもないひとが短歌をつくっています。Twitter(まだXって言いたくないぞ)が主…

夏野ネコ

何者でもないひとが短歌をつくっています。Twitter(まだXって言いたくないぞ)が主な活動場所ですが、ここではつくった短歌をまとめたり、それについて文章を書いたりします。

マガジン

  • 日記と短歌

    その日その日に起こったことや感じたことを短歌一首とともに記します。

  • 月々のうた

    毎月つくった自選短歌をピックアップしてまとめています。

  • 連作短歌

    連作、というほど大げさなものではありませんが、連なりの中で表現したものたち。だいたい思い立って一気につくります。

  • チベット短歌記〜河口慧海の歌を読む

    明治30年、仏教原典を求めチベットへ単身潜入した河口慧海の「チベット旅行記」に記された彼の歌をちょっとずつ読んでいきます。超人的な行動力に比べて素朴な歌のミスマッチが面白い!のんびり更新

  • Re : 散文夢

    夜と朝のはざまにある「あっち側の私」の体験を「こっち側の私」が記述する、ごく個人的なマジックリアリズムの記録です。

最近の記事

練習しないと上手にならない、なるとは限らないけれど [日記と短歌]24,4,7

ドラえもん泣いてよその雫こそが最強ひみつ道具なんだよ/夏野ネコ 絵師、というほどでもないけれど絵を描くリアル友人がいます。「というほどでもないけれど」なんて微妙な言い方をしてしまったのは、この方があまり練習をしないからなんです。 「好きこそものの上手なれ」が成立する前提として「好きなことには努力を惜しまない」ていうかむしろ「好きゆえに努力を努力とすら思わない」があるわけで、本人の自覚の有無にかかわらず練習は大事なわけです。 でも身体能力が問われるスポーツなどと違い、美術

    • 月々のうた:2024年3月

      別れてはいけない人なんていない珪土マットにひと知れず水 踏まれたら野道になって夏草の露であなたを少し濡らそう 低反発枕は戻るゆっくりと揮発していく夢を惜しんで くちびるを裂かず言葉は舌先へ残り噛み砕くにはいとしい 後ろ手をほどいて受ける雨よまだあがるな銀の線で突き刺せ はい、3月も終わってしまった!新年度! 思えばこの3月は、私の人生でも特筆すべきさまざまな出来事の連続でした。ありすぎました、ほんとうに。辛いことと嬉しいことの、その極限的なパワーで両極へと、本当に

      • 戻らない人へ、でも笑いかけることはできる [日記と短歌]24,3,18

        天国のドアへあなたはボサノバを神の子守唄として鳴らす/夏野ネコ 夢を見ました。逝ってしまった友達の夢です。 一時期私たちはバンドみたいなことをやっていました。バンド、というほど立派なものではない地味なアコースティックのユニットで、活動場所もダイニングバーの一角であるとか、お座敷感が強かった。 コロナ禍もあって活動はそう長く続かなかったのだけどメンバーとはその後もたまに遊んだり、メッセージをやりとりしたり、まぁ普通にトモダチでした。そのなかのひとりが急逝してしまったのは

        • 連作短歌:最高に最低な朝がくる

          公園をきれいにゴミはもち帰りましょうこぼした痛みを拾う チューハイは91パーセントぶん素面を飲ませるから嫌いだよ 半額の寿司が飛び散る床のうえ朝の陽は元死体らに降る 鋼鉄の屋根に守られ雨つぶに祝福されず死にゆくミミズ かなしみは握った中にツナマヨを入れたら咀嚼できる程度さ メンタルが落ち窪んで、嫌なことや避けがたい悲しい出来事が次々と起こり、そうして迎える週末にはせめて早起きして空気の良い場所でのんびりして整えよう、と思っていた矢先の金曜が歴史に残るほどのひどい夜

        練習しないと上手にならない、なるとは限らないけれど [日記と短歌]24,4,7

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        • Re : 散文夢
          4本

        記事

          丸ノ内(線の南半分)サディスティック [日記と短歌]24,3,5

          飛魚の条理 一瞬だけの空 ゾンビが薔薇を愛でる四ツ谷へ/夏野ネコ 椎名林檎さんの「丸ノ内サディスティック (※以下丸サ)」がここ数日、脳に貼り付いたようにリフレインしています。 彼女のファーストである「無罪モラトリアム」発売25周年の記事を読んで、ふむ、と久しぶりに聴いたらガッツン殺られてしまったわけです。 25年…、そんなに前なのか、ていうか20世紀なのか…、と思うとにわかには信じがたいサウンドです。超絶的にかっこいい。破壊力ハンパない。 丸サはご存じの通り様々にロ

          丸ノ内(線の南半分)サディスティック [日記と短歌]24,3,5

          月々のうた:2024年2月

          人類の二足歩行のメリットはわずかに空へ近づけること 大切なひと大切なわたしたちだった白夜のようなアパート 左利きの君は右腕から洗うGAFAの知らない個人情報 止血した愛は願いを閉じ込めて受粉のままに膿んでいくのね 舌先がきみを知ってる味噌汁の味も奥歯の治療のあとも 気づいたら2024年の2月が終わってしまいました。もう3月ですよ? なんだろう、いつもより早く回ってるんじゃないか?地球…。そんなに頑張らなくてもいいからもっとゆっくり回ってくれよ。本当に。 さてこの

          月々のうた:2024年2月

          メンタルを復活させたカレースープの話 [日記と短歌]24,2,26

          カレー粉の蓋がちょっぴり開いていて微かに夢は色めいてゆく/夏野ネコ 週5の営業日が2週続けて4日になる特殊な2月の事情もあって、随分忙しい日々でした。危機は一旦去りましたが息継ぎ程度、次の関門である年度末がずんどこと接近しています。 こなすべきタスクが先々まで記されたOutlookカレンダーがもはや横スクロールゲームに見える。これがマリオだったらどんなにいいか。 そんなワーホリ状態(ワーキングホリデーじゃない方)でゾンビみたいに暮らしていたのですが、夜遅く帰ってきたある

          メンタルを復活させたカレースープの話 [日記と短歌]24,2,26

          名もなき薩摩芋のお弁当 [日記と短歌]24,2,21

          薩摩芋も馬鈴薯なくただ春のスープとなった地上のすべて/夏野ネコ 私の普段の主食。 朝はオートミール、昼のお弁当はストックの炊き込みご飯、とおおむね決まっているのですが、最近ここにとつじょ脚光を浴びたのがサツマイモです。 きっかけは些細なことでした。貰い物のサツマイモを蒸したまではいいものの、ハタと立ち止まってしまったのです。これはちょっと食べ切れるかと。 なので急遽お昼のお弁当の主食担当であるストックの炊き込みご飯を、いっときサツマイモに変えてみたのでした。 食べ方は

          名もなき薩摩芋のお弁当 [日記と短歌]24,2,21

          失恋、ボブ・ディラン、村上春樹 [日記と短歌]24,2,13

          翼なき背中で雨を受けとめた君はあの夜天使だったよ/夏野ネコ 今日はとりとめなく、短歌における比喩と私の失恋と雨の日の少年についての話です。意味わかんないですね。でもよろしければお付き合い下さい。 最近、歌の構造や比喩の後ろにある思いなどに意識を向けて歌集を読み始めたせいか、この比喩や象徴化の部分で色々と学びと発見がある気がしてます。とてもわかりにくい比喩もあれば、どストレートなもの、抽象度の高いもの、ファンタジックなもの、いやむしろマジックリアリズムでは?みたいな表現も

          失恋、ボブ・ディラン、村上春樹 [日記と短歌]24,2,13

          月々のうた:2024年1月

          履歴書の空白にある何者でなくとも君が戦った日々 娼婦風パスタの風だけを集めて嵐、私は私のままだ ぼくたちは背中合わせで見つめ合う地球を愛の証人として 春待たず落ちる椿の音のごとゆっくりとあなたへと歩けば なにもかも再生される歌のなか君だけいないエラーに、風が 2024年、さいしょの月。 数えてみたら、うたの日やこのnote、suiuなどで33首を詠んでいました。そのほか自主トレみたいに作ったものや折々に書き散らかしたもの、ピーマン歌会の月詠などで100首以上、なん

          月々のうた:2024年1月

          歌集を「読む」が「詠む」に通じたこと [日記と短歌]24,1,27

          なにもかも再生される歌のなか君だけいないエラーに、風が/夏野ネコ 歌集に「正しい読み方」があるかどうかわかりませんが、本と言えば小説ばかり読んでいた私が歌集、という表現形態へ読みをアジャストしていくのは、これ、けっこう時間がかかりました。 読書といえば古典やSF、海外文学が好みということもあり、どちらかというと理屈っぽい文字の追い方をしていたのかもしれません。 なので同じ「本」というシルエットを持っているゆえに、歌集を読んでいくことがしんどかったように思います。自分は短

          歌集を「読む」が「詠む」に通じたこと [日記と短歌]24,1,27

          短歌の推敲は走りながらでうまくいく(こともある) [日記と短歌]24,1,23

          走り去る季節よおまえスポーツかなんかやってたろう若い頃/夏野ネコ ぼちぼちと趣味のジョギングなどしている私ですが、走っているさなかに短歌を推敲すると意外とうまくいく、そんな体験をよくします。 と言うか最近はむしろ積極的に狙っていって、ある程度の景をインプットしたらそれを転がしながら走るのが常です。無論いつもうまくいくわけはないのですが、でも椅子に座ってウンウンやるよりいい感じなのは確かです。 ここで「ジョギング推敲で新聞歌壇に載りました!」とか「連続で薔薇です!宝くじも

          短歌の推敲は走りながらでうまくいく(こともある) [日記と短歌]24,1,23

          少しだけ積極的になりたい、今年は [日記と短歌]24,1,13

          きんいろの枯葉を蹴って安物の靴よ踊ろう新月のうえ/夏野ネコ 今年は(ちょっと)積極的になるぞ! と、昨年末に思ってまだ具体的な実行に移していないのですが、休暇があけてからこっち、とりあえず前年のペースよりも例えば「うたの日」などには出詠するようにしています。 そしてこれは少しだけ意図してやっているのですが、あまり考えを巡らせず目の前の部屋に出すみたいな、基本的に行き当たりばったりなスタイルです。 してみると、あとさきを考えずにまず作る、出す、のJust Do itの感覚

          少しだけ積極的になりたい、今年は [日記と短歌]24,1,13

          チベット短歌記番外編:河口慧海の歌、そのルーツについて考える

          明治時代、仏教原典を求め単身でチベットへ潜入した僧侶、河口慧海。その旅が記された「チベット旅行記」の中で詠まれた歌を鑑賞するこころみ、今回は慧海の歌のルーツにちょっと、思いをはせてみようと思います。 マガジンはこちら 趣旨はここに さて 発端は「ぽっぷこーんじぇる(@popcorngel)」さんがコメントと共に慧海の記事を共有してくださったPostで、私も「そうだよなぁ」と思いました。慧海の歌のルーツを「考える」ということについてです。 実を言うと私は文芸史にほとんど疎く

          チベット短歌記番外編:河口慧海の歌、そのルーツについて考える

          月々のうた:2023年12月

          くち元で冬の終わりを温めた手は君の手へ春を告げゆく 一度だけ躊躇いたくて言い訳を希釈していくゆびさきに夜 この世界がいいのだなんて震えてる、睫毛、あけてよ旅は朝焼け 交わさないことばを抱え降り立った海へと雪は音もなく音 女子じゃなく男子と書いてスキと読む国であなたを好きになりたい ようやく2023年の12月の歌をまとめました、の自選歌5首です。 ここ数ヶ月は発表短歌が月で20首程度、あとは詠んでも放っておいたり、いちごつみや非公開のオンライン歌会などで詠んだものだ

          月々のうた:2023年12月

          名画座で映画「アフターサン」を観た [日記と短歌]24,1,4

          太陽を失くした君の頬のいろあの日ホントはなんて言ったの/夏野ネコ 人間活動をしなければ、と思いたち、映画を観にいきました。去年2023年の5月に公開されていた「アフターサン」の、最終上映館の最終上映日だったようです。ちょうギリギリで大森キネカの名画座で観ました。 映画はむろんのこと、この名画座ってスタイルがとってもよかった。 ロードショーが終わった作品や過去の佳作をリーズナブルに観せてくれるのはもちろん、少ない席数の小さなスクリーンがなんだかとてもアットホームで雰囲気も

          名画座で映画「アフターサン」を観た [日記と短歌]24,1,4