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練習しないと上手にならない、なるとは限らないけれど [日記と短歌]24,4,7


ドラえもん泣いてよその雫こそが最強ひみつ道具なんだよ/夏野ネコ


絵師、というほどでもないけれど絵を描くリアル友人がいます。「というほどでもないけれど」なんて微妙な言い方をしてしまったのは、この方があまり練習をしないからなんです。

「好きこそものの上手なれ」が成立する前提として「好きなことには努力を惜しまない」ていうかむしろ「好きゆえに努力を努力とすら思わない」があるわけで、本人の自覚の有無にかかわらず練習は大事なわけです。
でも身体能力が問われるスポーツなどと違い、美術表現ってどこか「センス」みたいな曖昧な感覚で努力の痕跡が処理されているケースがある気がしてるんですよね、一部。

件の友人はどうやら模写やデッサンといった基礎練習をオリジナリティを毀損するものと思っているフシがあり、ゆえに絵が一定水準より先にいかないのですよね。
まぁ趣味でやっていることだし誰に迷惑をかけるでないので、それはそれで全然構わないのですが、ただもったいないな、と思っています。

芸術活動における練習の必要性について、おそらくいちばん分かり易いのは音楽でしょうか。和音もリズムも運指も知らずにいきなりセンスだけでピアノもギターも弾けません。まずもって大事なのは模倣も含めた練習と学習。それに火をつけるための情熱。
むろん練習したから上手になる保証は全くないけれど。

翻って短歌はどうなんだ、という話です。
はい、練習します。ひとのこと言ってる場合じゃないですね、でも…。

でも才能とかそういう特別に彩度の高いものを持っていなかったとしても、表現に感動できるならば、そして自分もやってみようと思えるならば、そして手を動かしているのならば、いやもう既に才能あるじゃん!と信じたい。

だって泣きたいほど才能ないってことを知っているんだよ、私は。そしておそらく友人も。だから信じたいのですよ。


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