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学校に通っても通わなくても、何が幸せかを決めるのは自分。

昭和の固定観念は時代劇!
令和の父親になる為のアップデート作戦中!


こんばんわ、ナツキのパパです。


不登校の息子が2人と、行き渋りの娘がいます。SNSを覗くと、不登校の親御さんが沢山います。

その中には、色々と悩んでいる方、
苦しんでいる方も沢山います。

今日は、子どもの不登校で、というか、
「学校に行かない事」そのもので悩んでいる、
将来を案じながら上手くいかない日々に、
心身が疲れている方にお伝えしたいです。

不安なのは子どもの未来?

勉強の遅れはどうしたら良いの?
運動は?
コミュ力は?
進学は?
就職は?
将来、未来は!?
幸せはどうなるの!?

色々な悩み、不安が尽きないかと思います。
でも、逆に、どうなるのかな?

学校に行ってたなら、
勉強の遅れずに済む?なら安泰ですか?
コミュ力が着く?なら幸せですか?
理想の進学ができる?
理想の就職ができる?

理想の将来ってなんだろう?
理想の未来ってなんだろう?

明確にイメージされてるのでしょうか?
あるいはイメージは正しいものでしょうか?

学校に通えたなら、
勉強が遅れなかったらそうなれる?
コミュ力が着いたらそうなれる?
進学できたらそうなれる?
就職できたらそうなれる?

学校に通えてたら、
理想の幸せが手に入る??

もちろんそうなれるかも知れないし、
でもたぶん、誰も約束できない。

あなたが見聞きした、
学校で普通に学んだ未来、
学校でコミュ力を得た未来、
進学、就職にと色々な不安があっても、

つまり、学校に通えてこそ得られると思っているその未来は、きっと、誰からかどこからか見聞きした未来だと思う。

誰か、他の人が体験した未来であって、
そうなるかは誰にも分からないと思う。

今迎えているデジタル社会は、
特に決まった未来や道なんて無くて、
自分が歩む道だけが未来だと思う。

決まった道なんてなくて、
正解なんて誰にも分からなくて、
同時に、正解を決める事が出来るのは、
自分だけなんじゃないか?って思う。

未来は決まってない。
正解は分からないのなら、
逆に不正解も分からない。

未来を決めるのは自分だけだから、
自分が正解と思う道を進めば良いし、
幸せかどうかを決めるのも自分でいい。

誰かが体験した話と同じ道を選んでも、
同じゴールに繋がるかは分からない。

誰かが体験した話と違う道を選んでも、
自分が楽しく幸せと感じるのなら、
その道で合ってるんじゃないかなと思う。

学校は多くの人にとって、
色々な体験と学びが得られる場所。
でも誰にでも最高で最適な訳じゃない。

だから、
学校に行けないことを、
学校に行けないだけで、
そんなに悩まなくていいし、
子どもも親も苦しまなくてよいと思う。

なによりも、学校に行けないってだけの事で、
大切な我が子が、
自分の存在に疑問を持ったり、
罪悪感を覚えながら過ごしたり、
そんな毎日を送らせたくないな
と思うし、
皆さんのお子さんにも、
そんな思いで過ごす日々がない事を祈ります。

何も知らないくせに偉そうに、
と思われるかも知れません。

実際のところボクの不理解もあって、
初期には子どもを傷付けたり追い詰めたりして、
後悔もありましたし周り道もしました。

でも、少なくともうちの息子は今、
学校の勉強は遅れてるけど、
運動不足で体力もないけど、
たぶん同級生の誰かに負けないくらい、
素敵な笑顔を見せてくれるし、
一緒に笑ったりできるし、
弟たちの面倒も見てくれるし、
家事の手伝いもしてくれるし、
心の優しい素敵な子に育っています。

だから、あなたのお子さんにも、
今の自分を嫌わないで欲しいし、
そしてあなた自身にも、
笑顔で毎日を過ごして欲しいなと思います。

あなたの大切なお子さんと、
そしてあなた自身とが、
どうか決まってもない未来への不安の為に、
悲しい思いや苦しい想いで過ごす事なく、
笑顔でいられる穏やかな日々を過ごせますよう、
心から応援しております。


拙い文章ではありますが、ボク自身が不登校の当事者として感じた事や思う事をこちらでも書いていますので、もし宜しければ併せてご一読頂けたらと思います。


不登校あるあるだと思いますが、例に漏れず?ボクも初期は迷走しました。


もう数年もすれば社会の認識も(近年少しずつ加速してるので)変わるかもですが、子どもが不登校になった時の親の心の動きは、大体は「あるある」のように、以下のような心境の変化を経るのかなと思っています。


長男が不登校になって色々な事を教わりました。


不登校の親として思うこと

ボクが自身の経験から不登校に対して思う事を、以下のマガジンにまとめていますので、もし宜しければフォローのうえ他の記事もご覧頂けたら幸いです。



過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。