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不登校の息子が色々な事を教えてくれた。

長男が不登校になってくれたお陰もあって、
昨年は色々と、本当に学びの多い一年だった。

例えば、

勉強って何で大事なの?
将来のためってどんな将来?
学校に行く目的ってなに?
勉強する目的は?
皆と一緒じゃなきゃダメなこと?
皆と同じスピードで覚えないとダメなこと?
幸せとは何か?
躾とは何か?
生きるとは何か?
親としてすることは何か?
正しい接し方とは何か?
生きていく上で大切な事は何か?

などなど。

とても充実した一年だったと思う。

約40年もの間、知らずに生きてきたこと、
自分が囚われていた見えない呪縛や、
妥当性が見出せない既存のルール、
時代に合っていない価値観、
色んな事に気付かせて貰えた1年だった。

ちなみに、ボク自身の幼少期というのは、
割とスパルタというか、甘えの少ない家庭だった、と思う。

ただし「教育熱心」といったようなベクトルではなくて、おそらく父が仕事人間で殆ど家にいなかったのもあり、3人の子供を完全なワンオペ育児だった母にとっては、余裕の無さと責任感からくる厳しさだったように思っている。

そして、そんな厳しかった我が家と母を見て、
ボクは決して不幸だとも思わなかったし、
思ってはいけない、とも考えていた。
これは、想像とかではなく、
小学2年生の時点でそう思っていた自覚と記憶がある。

だから、我慢することが美徳のような感覚とか、
嫌な事から逃げる事は悪である、みたいな感覚は、当時から心身を持って刻まれていたことと思う。

そのため、大人になった今でも、
認めるのは中々に抵抗があるというか、
言葉にするのは勇気がいったりもするのだけれど、周りの同級生に対しては、常に、次のような鬱屈した感情を持っていたのも事実です。

俺はあんなに辛い想いしたのに、
おまえら甘えてんじゃねぇよ!

でも、これが鬱屈とした、屈折した部分からくる感情だというところまでは、流石に自覚は出来ていなかったんだよね。

むしろ、そんな厳しい環境だった自分のことも、
厳しい母親のことも、兄弟のことも、ボクらは立派だと、誇りだと思っていたから。

今思えば、そう思わないと、
耐えられなかったんだろな、とも思う。

周りの友達、同級生の子たちが楽しそうに、
遊んでいたり、駄々をこねたり、
お菓子やジュースを買って貰ったりと、
甘える様を見たり聞いたりすると、
自分が惨めに思えて耐えられなくなるから
自分を支える為に、そう思うようになったんだと思う。

これは、ナツキが不登校になった事と前後して、
ボクの子どもたちに対する厳しさを見た妻が、
妻が勇気を出して言ってくれた事で気付けたこと。

ボクの子どもに対する態度が、キツすぎること。
そしてその厳しすぎる接し方や考え方は、
ボクから聞いていた幼少期の原体験にあるんじゃないか
って。

この事に気付かせてくれた妻にも、
本当に感謝している。

ただ、ボク自身は夫としても、社会人としても、
「未熟さや至らぬ点を指摘された時には、素直に受け入れる事」を日頃から心構えとして意識していたつもりだったので、妻から「今までも(ナツキに厳しすぎる)叱り方を聞くのが辛かった」とか「それをみーくんに伝えるのが怖かった」と言われた時は、流石に本気で凹みました。(苦笑)

なんていうか、マインドが批判されたとか、ボクの人格やバックボーンが否定されたとか、そういう事ではなくて、いつでも受け止めるつもりでいたし、常に妻の声に耳を傾ける事を意識して来たのに、その姿勢や気持ちが伝わっていなかったのか、と思って凹んだ。

それを伝えたらボクが怒るのではと妻に思われていた事に、どうしようもなく、凹んで、泣いたわ。(笑)

あれは、本当に、つらかった…。

まぁ、ともあれ、妻が指摘してくれた事で、
ボクはボクの中に未だ残っていた、
幼少期の呪縛に気付き解放される事が出来た。

自分で言うのもなんだけど、
ちょうど1年前くらいのその時をきっかけに、
子どもに対しては、かなり柔らかくなったと思う。

少なくとも、子どもとの接し方、声の掛け方、
考え方、見方が、かなり変わったと思う。


また、子を思って学んだことの1つには、、
自分が前を向いて、楽しく生きることが大事だというものもあった。

ボクや妻が人生を楽しんでいないと、
その背を見て育つ子どもの目にも、
「人生って楽しいものなんだな」とは
決して映るまい、ということ。

ボクや妻に自分の人生を生きることの大切さも、
ナツキは教えてくれた。

他人を受け入れることの大切さも、
多様性の本当の意味も、自分を受け入れる事の大切さも。

それらを学べたのも、
不登校になったナツキのお陰だ。
心から感謝している。

色々教えてくれて、ありがとう。


それと、ナツキよ、ボクはこれから先、
ずっとキミの1番のファンでいるつもりだ。
実際には妻には勝てないかも知れないけれど、
ボクには同性という強みもあるからね。

だから、十代を過ぎてからのキミには、
いつかきっと、焚き火に木をくべながら、
社会の話や、大人の話なんかをして、
関心したり、ちょっと背伸びした言葉を返してきた時に、
こう言ってやるのが夢なんだ。

「ばーか、おまえ、それが人生ってもんだよ」

まだまだ未熟な父親ではあるけれど、
どうか、これからもよろしくな。


※後日談です。



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子どもに教えられたこと

過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。